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ぼくと言うゲームクリエイターの横顔
おはようございます!masaです^^かなり早起きしてしまいました。プロキオンパワー。これ男性活力剤であり、女性にも効くようです。
にんにくの希少成分の何か(名前を忘れました)新発見され、ラットに投与したところ、活動量が凄く増えたそうです^^
性的な元気も爆上がりで、もう1年以上服用し、活力を生かして、バリバリとnoteを書いています^^
スキとフォローに感謝しています。コメントしてくださる方、ありがとうございます。交友できることが最大の楽しみです^^
コメントで、パソコンとか、ゲームとか、ゲーム会社の日本ファルコム様の話とか、できることに嬉しさを感じます。
ゲームにOP(オープニング)を最初に取り入れたのは、ファルコム様で、多分、1988年に(夏だった覚えがある)、
暑い中、大須観音に地下鉄で買いに行った記憶があります。
17歳
17歳の時は、愛知工業高校の2年生で、ひたすら、Ysもどきや、2D縦スクロールシューティングゲームを独学で創っていて(学校の先生に話したら、「ごめん、わからん」と言われ、本の知識で頑張っていた)、
どういうわけか、パソコンサークルに入れられて、そのリーダーのO川くんに、
「masa,お前、シャープのマシン詳しいだろう?機関誌に載せる、X68000の記事をかいてもらえないか?」
「ああ、いいよ」
帰宅後、X1turboで、速攻で書き、それが若干の手直しで載せられました。
夏に、そのO川ともう一人に、「T&Esoftに見学に行くんだけど、いっしょに行く?」
正直、こいつらはエロゲーコピーしまくりだったので、ぼくは変な気分でした。今でこそ、認めますが、その当時のゲーム屋で、
PC98のエロゲーが幅を利かせており、X1用のゲームを探すのが大変で、て店員を捕まえて、聞いていました^^
そんな奴らとゲーム会社見学?仕方なしについていきましたが、
そこの営業担当なのか知らないけど、恐らく、20代の男性は、
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話しかけてくれて、ぼくは奇妙なバイトを発見した。明らかに重度の精神障がい者が、パッケージのシール張りをしていたんです。
雰囲気が変でトチ狂った空気で、それに嫌な顔をすると、営業担当は、嫌な顔をしました。これが決定的でした。
一応、「ぼく、X1でゲームみたいなものを作ってきたんです^^」(やっとまともな話ができた。対人恐怖があった)
営業担当は、「ええー。プログラムできるの」
一緒に来た仲間も、「聴いて無いぞ」
感情的になって、「お願いです。見て下さい」
営業担当は、笑いながら、「もうX1はやらないんだ」
「売れない機種にゲームを出すわけにいかないんだ。PC98はできる?」
「できません」
「帰り、車で駅まで送るよ」
そこで、営業担当は、事務室に戻っていきました。
それでもゲーム創りは続く
ゲーム会社訪問は、どうしてなのか理解できませんでした。当時、神を信じていませんでしたし、(受験は、菅原道真公にお祈りしていました。その時だけ)
1995年に、やっとのことでX68000XVIを大須観音のツクモ電気で、大枚はたいて買います。でも、遅かった。
最新の機種を買うと言う選択肢の無い、シャープユーザーでした。思い込みが激しかったなあ^^
何冊もゲーム開発の本を買いますが、分かりません。当時、ネットが無い時代です。そんなときに、確かΣと言う本屋(IT関係専門)を見つけ、本を買います。今はありません。服屋になっていました😢
X68000
X1よりは、売れたんじゃないかな^^13万台売れたとの話を聞きました。
ぼくが17の頃、シャープがパソコンの番組を作っており、
毎週、日曜の9:30AMは、熱心に見ていましたよ^^パソコンサンデー。
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