遊びゴコロあふれるデザインから、民主主義を再建設する
前回、福島県いわき市が運営する、老いや介護を取り上げるigokuの取り組みについてインタビューを掲載しました。そこで話されていたのはメッセージを届けるために「真面目にフマジメ」であることの重要性。言い換えると、この取組の根幹にあるのは「遊びゴコロ」だったのではないでしょうか。
本稿では、遊びと遊びゴコロ、遊びとゲームの定義や差異には踏み込みませんが、それらがなぜ行政に、都市に、民主的な社会に必要なのか?ひいては、遊びが民主的社会の建設にどう関わるのか?そうした問いを念頭に置いて、ゆるく事例とともに考えていきたいと思います。
遊びは不要、をいかに乗り越えられるのか?
コロナウイルスの蔓延に伴い幾度も目にした不要不急ということば。みなさんにとっての、不要の一線はどこに引かれているでしょうか?
白井聡「武器としての資本論」では、イギリスのご飯がまずくなった理由が紹介されています。原因は産業革命の発達。土着の農業生産をおこなっていた地域では、私有地化と共同体の解体に伴い、階級に関わらず誰もが豪華な食事を食べられた祭り・暦の儀礼などの機会が失われたことで、豊かな食文化と人々の食の能力は削がれていったと、あります。
さて、美味しい食事は不要でしょうか。そんなわけありません。これは、生きる/生き延びるの話です。生き延びるだけであれば、お腹が満たせればいいし、栄養が取れるサプリでいいかもしれない。でも、ぼくたちは瑞々しくまた、厳しくもある世の中のリアリティを享受しながら生きたいはずです。それには「これは必要だ」というラインを引き上げていく、それこそが人間そのものの存在価値を認めることである、というのが「武器としての資本論」のメッセージです。
本題です。遊び、というのは無駄であり、不要の塊です。だって遊びそれ自体が目的(つまり無目的)、なのですから。生産性を問われても、こまります。でも、これを排除した社会はどうなるのか、恐ろしいでしょう。有名な話で、人間はホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)であるとホイジンガは述べました。人間は"そもそも不要不急を本質にしている動物"なのです。また人間は他の霊長類に比べて子ども期が長いことが特徴としてあげられます。これは、子ども期に遊ぶことを通して脳の複雑な神経系を発達させ、多様な知的活動・生活による生き残りを可能にした、と考えられています。
懐かしのドラクエ3では転職システムがありますが「遊び人」という職業だけは特殊アイテムなしで強めの「賢者」に転職できるのです。遊びがすごいというのは、バーチャルな世界でもまかり通ってるわけです。
一方、日本は少子高齢化という現象に直面しています。これが「問題」なのかはさておいて、子どもが少なくなっている事実には不安要素が隠せません。なぜなら本稿の文脈でいえば、全力で遊ぶこどもが少なくなればなるほど、遊びを重要視する価値観が社会から消えてしまうのではないか。そう感じるからです。「遊び=無駄なもの・遊び=子どもがすること」は未だ主流の認識であり、上手く遊べる大人が、遊びを許容する社会が不在のままに子どもが減れば、遊ば(べ)ない世の中になっていくのは必然です。
民主的社会におく、遊びの役割とは?
民主主義とは、一人ひとり異なるぼくたちがより良くともに生きるための調整でもあります。以前、ルールメイキング(=社会を前進させるための法の構築)を、テクノロジーで民主的に行っていく事例を紹介しました。また以前、弁護士の水野祐さんとともに登壇したオンラインイベントで質問する機会がありました。その時、わたしたちはルールとは縛るものだと思いこんでいるため、自分でルールを改変/形成可能なのだという態度や技法をいかに育むか?と質問したところ、ひとつには遊びやゲームではないか、とお答えいただきました。(水野祐「法のデザイン」も参照)
遊びはルールに則るもの(将棋・サッカー・鬼ごっこ)と脱ルール的なもの(演劇やシーソー)、両方あります。鬼ごっこひとつ取っても、氷オニやドロケイに色オニなど様々なルールのもとで営まれる遊びだし、子どもはその中でルールを自分たちで勝手に作り変えていきます。それは、まさにルールメイキングへの最初のタッチポイントになるのでしょう。友人たちとわちゃわちゃする中で、社会的で協和的なふるまいや、遊びにより立ち上がった別世界を再構成していく技法を身に着けていくのです。
一方、民主主義には成熟した個の確立が前提になります。日本は、非常に調和的・協調的な国と考えられているかと思います。が、能楽師の安田登さんはこうした"和"の文化はみんなが空気をよみ合わせる調和ではなく、"一人ひとりがバラバラでありながら協和している状態"と話しています。
個人主義といえば、利己的なふるまいをし、他者とのつながりが隔絶されたようなイメージもありますが、必要なのは成熟した個人主義でしょう。それは他者が自分とどうしようもなく違う存在だと認めつつも、それを尊重でき、互いに自分をその差異へ開いていくようなあり方ではないでしょうか。それには、自らの由りどころとして自分のしっかりした芯をつくる必要があります。唯一神がいる宗教観では、絶対的存在との対話にてそれを形成していくと言われますが、その代替となる一つに、遊びや趣味に興じて数寄の感覚を磨くことが挙げられるのでは、と感じます。このように、個の確立を伴いバラバラでありながら協和し、ともに生きる調整をおこなう民主的な社会の建設には、遊びが必要なのです。
ちなみに遊びゴコロはデザインにも切り離せないものです。Design Attitudeという研究では、デザイナーの姿勢として「遊び心をもってものごとに命を吹きこむ(Playfully bringing things to life)」と述べられます。また政治的な課題へ問いをなげかけるデザインスタジオMETAHAVENは著書「Can jokes bring down governments?」で"ジョークは政治的な現状により押し付けられた枠組みに抵抗し、転覆させる可能性と力をもつ"と述べています。ジョーク、ユーモア、遊びはデザインの今とは異なるあり方を想像するとびらを開く手助けをしてくれるのです。
デザインと遊びゴコロはこうした密な関わりをもちます。と、このテーマの考察はどこまででも深められるのですが、本稿は遊びー公共/政治/行政ーデザインの関係を位置づける程度にして、いくつか遊び・遊びゴコロ・ゲームをキーワードにした事例を見ていきましょう。
🎪遊びを、都市計画のアジェンダに|ウェールズ & ボストン
ぼくが小学生のときには、近所の公園で野球をしていた。とはいえ、地元はそれなりの都会なので公園もとても狭かった。中学生になる頃には気づけば「ボール遊び禁止」の看板が建てられていた。おそらく、ぼくの地元ではぼくの世代が公園で気兼ねなく草野球ができた最後の世代だったのだ
(ぼくの実体験です)
子供の「遊びや熱中できる経験の乏しさ」が子ども達の社会・文化・経済的な背景に影響するという考えのもとで、ウェールズ政府は対・貧困政策としてThe Play Sufficiencyという政策を掲げました。各地方自治体は、地域において子供に十分な遊びの機会とアクセスを保証することを義務付けられる、というものです。これは2010年頃から、本格的に施行されました。これに伴い、子どもの遊ぶ権利を社会に対して唱え、「遊びに優しいウェールズ」のブランディングを担うためPlay Walesという慈善団体が政府の予算で立ち上げられます。
でも、自治体からしてもいきなりそんなこと言われても困っちゃいます。なのでサポートのために、政府は評価ツールキットを作成しました。考えの枠組みをつくってこれを元に、試してみてね、と。また、Play deprivation=遊びの剥奪と称して、遊びの欠如が社会的にどういう影響をもたらすかという研究も公開されています。
具体的にConwyという地域では、遊び開発チームを専任で雇うためのスキームを組んで、スタッフが遊びの機会や遊びの障壁について子ども・若者たちと話したり。結果、ボール遊び禁止の看板を撤去するプロジェクトが立ち上がりました。取り組みとしては地味なんですが、素晴らしい。
・・・
私たちは、遊び・遊びゴコロは共同体のケアや、レジリエントな都市、機能する民主主義にとって重要な一部だと信じているのです。
ーPlayful Bostonより
アメリカ・ボストンでもPlayful Bostonと称して、協働や変化への適応力を育むために遊びが重要だと認識し、遊びココロ溢れるアプローチやイベント、空間がどう共同体の関係性や市民のエンゲージメントに影響するかを実験しています。
下記の5つの原則に乗っ取り施策をうっている模様。
・遊びゴコロはユニバーサルであり、年齢に関係ない
・遊びココロは予期していないところで、起こる
・遊びココロを支持する都市とは、効率より人間を重要視する
・遊びココロは人それぞれ多様なあり方を生み出す
・遊び、それ自体が目的である
具体的には、都市を遊びココロをもたせた空間へ再想像していくためのコンペティションを開催しアイデアを募り、実行しています。たとえば、Mystery Mapというアイデアは地元アーティストの起案で、4色のラインと円が絡み合うように道路に描かれており、これをゲームボードとみなして遊びを発想してもらう補助線として機能させたり、都市のある場所への楽しいナビゲーターとしての意味をもちます。
ボストン市内中に実装されたMystery Map
EcoSonic Playgroundはアート教育への平等な機会の提供、STEAM教育への支援、環境的に持続可能な習慣形成の問題と絡めた、地元のパイプなどのリサイクル素材を活用して作られた楽器。バス停のような公共性の高い場所に置かれ、住民が一緒にジャズのような即興的な演奏するという関わり合いを生んだり、環境問題への認知をアートを通じて可能にしています。
EcoSonic Playground
こうした都市・公共空間に遊びゴコロを散りばめ、突然の遭遇を生み出すことは日常の中にちょっとした心のオアシスを出現させるのではないでしょうか。自然な生活習慣のなかで、楽しい気持ちや遊びへの姿勢を育むことにつながることが、こうした公共への介入では重要だと感じます。なにより戦略的に行政が遊びを活用し、それを重要だと認識していること自体、大きな希望とも言えます。
👼こども病院 BørneRigetの問いかけ。遊びは、健康を促進できるのか?|コペンハーゲン
子ども達は常に遊びます。命を脅かすような深刻な病に直面しているときでさえも。ーMedical Chied Professor, Bent Otteson
コペンハーゲンに2024年、開設予定の新たな児童病院BørneRigetは、遊びを全体コンセプトおよび体験に統合した、深刻な病の児童や青少年、妊娠中の女性への治療をするための病院施設です。単に治療の機能をもつだけではなく、遊びと健康の関係性を探求するための研究も並行して行われます。
遊びは治療の必要不可欠な要素であるという信念のもと、たとえば病院のスタッフの遊びゴコロと柔らかさに満ちた言葉遣いは、安心感を生み出し、治療へのポジティブな体験へとつながります。また、治療に対しての子どもの協力も得やすくなります。
この病院は5つのデザイン原則でかたちづくられています。
・Integrated play: 遊びが病院のデザイン、生活、全ての側面に統合される
・Designed for everyday life: 毎日の生活こそが現実である。病院内にいても外の世界と手を取り合うように感じられる
・See me, ask me, let me: 患者は自己の主体性や効力感を取り戻せる。
・The good journey: 患者の旅路はなめらかに始まり、常に患者自身が把握をし、進捗を祝えるようにする
・Clear zones: 建物は直感的に行きたい所へ導き、なにを行えるのかをアフォードする
病院の内装イメージ
全ての側面に遊びゴコロあるアプローチを統合させるということは、建築空間や内装や空間サインだけでなく、治療の方針や職員スタッフの対応の仕方や、言葉遣いなどのシステムや文化のレベルで遊びゴコロを情勢していかなければいけません。スタッフそのものが遊びゴコロに満ちた人間でないと、成り立ちません。
また、病院の職員・患者やその家族などこの病院を使いうる人々の関与は、病院の設立・運営プロセスに必須のものとしてみられています。新しい病院の計画および検証のあいだ、デザイナーや建築家ではなく病院スタッフが意思決定を行っていきました。
例えば下記の取り組みが、病院をデザインするのに行われました。
・患者と家族が夢の病院を語るための場をつくった
・患者がアプリで病院の経験や、現在の病院の一番好き&嫌いな場所の写真を撮って共有した
・130人の患者・家族・スタッフとその他の専門家が集まり、2日間の合宿で未来の病院の建物のレイアウトや理想体験を構想した。
・72人の患者の密なコミュニティを作り、継続的にワークやアンケートへの参加を担保した
患者へのケアのフローを可視化する
病院における体験や健康を超えて、子どもの人生を見たときに入院している期間に遊びを触発できる環境の有無は、長期的にその子どもたちの未来に影響するのではないか、そのような大きな問いすら考えさせられる事例です。
🎲行政職員こそ、遊びゴコロを。ゲームで政府の未来を探索する
「政府の未来2030+ 市民中心の新しい統治モデル」と称されたEUリサーチ機関のプロジェクトの一貫で、FutureGov gameという未来シナリオに対応する政策を議論するためのゲームが開発されました。
ある未来シナリオにもとづいて、プレイヤーはアクションカードと役割カード(政府・インフルエンサー・市民・民間企業)を配られます。プレイヤーは役割カードをもとに、国籍や年齢、価値観などのプロフィールを想像して記述していったうえで、未来シナリオに抱くそれぞれの信念や期待を共有します。各役割によって未来への望みや期待は対立しうるため、それが想像力をかきたて、従来検討できなかったようなあり方を議論するための空間を立ち上げます。
ゲームのプレイイメージ
具体的には、4ラウンドで構成され、設定された未来シナリオに向けた政策の仮アイデアが各ラウンドで提示されます。プレイヤーはそれに賛成or反対or修正(各プレイヤーは1枚の修正カードをもち、政策の修正を行える、ただし過半数の他のプレイヤーからの賛成が必要)を投じるとともに、プレイヤーは役割の立場を強めるために、他のプレイヤーと協力するための戦略を検討します。賛成したり修正提案した政策が通るごとに応じたポイントを獲得して、高ポイントのプレイヤーが勝者というゲームです。
シナリオの一例: 超協働的な政府
ロールプレイ型のゲームには、自動運転車におけるトロッコ問題のシミュレーションや、アメリカの極度な貧困状態を経験できるゲームなどつまり、自分が現実世界では遭遇しないような状況や、異なる他者を身体に取り込めることで、想像力や共感を働かせながら、新しいまなざしを得るために多大な可能性があります。あらゆる未来において、どう対応していき、どういった政策が必要なのかをそのような想像力のもとで議論するには非常に有効です。
また、実際の政策議論を促すだけでなく、プロセスを通じて行政職員や政治家の協働を促したり、働き方や姿勢に遊びゴコロが生まれていくという意味で、重要な介入ではないでしょうか。
おわりに
遊びが民主的社会の建設にどう関わるのか?という問いのもと、抽象的な議論をふまえた上で、具体的な遊びの集団性や自己内発性、ゲームの可能性を示唆するパブリックセクターの事例を見ていきました。
本マガジンでは公共×デザインの記事を定期的に更新しているので、よろしければマガジンのフォローをお願いします。また、遊びやゲームの活用に関して・またはその他なにかご一緒に模索していきたい行政・自治体関係者の方がいらっしゃいましたら、お気軽にTwitterのDMまたは📩アドレスpublicanddesign.pad@gmail.com宛にご連絡ください。
Reference
長谷川眞理子「進化から見たヒトの子どものユニークさ」https://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/m/pdf/Vol_5_hasegawa.pdf
安藤 拓生、八重樫 文「デザイン態度(Design Attitude)の概念の検討とその理論的考察」
Børneriget:
https://www.rigshospitalet.dk/boerneriget/english/Sider/default.aspx
FuturGov Game:
https://ec.europa.eu/knowledge4policy/foresight/topic/futurgov-game_en
Play around the city in Boston:
https://www.boston.gov/civic-engagement/play-around-city
Play sufficiency:
https://playwales.org.uk/eng/sufficiency
User involvement during the feasibility study:
https://www.rigshospitalet.dk/boerneriget/english/user-involvement/Sider/user-involvement-during-the-feasibility-study.aspx