アナーキーな連帯を生み出す想像力と関係づくり
「災害ユートピア」という考え方があります。大規模な災害のあとには、一時的に互いに手を差し伸べる理想的なコミュニティが立ちあがる現象を指したもの。COVID-19でも、助け合うためにオンラインシートを活用など、多くの事例も確認されています。一方で、COVID-19は政府の権力や、自粛警察と称されるように市民同士での相互監視もみられ、「支配状態」の強化にもつながっています。
この問題意識をもとに今回は、アナキズムの考え方やそれを指し示すようなプロジェクトを見ていきたいと思います。
支配なき状態を目指すアナキズムと、相互扶助
アナキズムは権力による強制なしに人間がたがいに助け合って生きてゆくことを理想とする思想
鶴見俊輔「身振りとしての抵抗」p.17
アナキズムは一般的に、政府を転覆させたり無政府状態になり秩序なき世界があふれるイメージがあります。しかし本質としては、無政府というのは「権力の強制」なしで生きられるような、自治と相互扶助による秩序を志向したものです。単に反国家的なわけではないのです。
ゴードンは、アナキズムの3つの柱を示しました。まず中核にはあらゆる"支配"に対する闘い、支配されない状態を目指すこと。2つめに直接行動、自身が正しいと思うあり方を自分たちで実践しかたちづくっていくこと。3つめに、オープン、これは特定の"理想的な青写真"に"支配"されるでもなく多様な可能性にひらいていることです(Gordon, 2007)。
この支配とは、日常のあらゆる状況につながります。行政や企業がわたしたちの生活に影響を与え、無意識的にでも支配状態に陥っているのが、現代社会と個人のあり方ではないでしょうか。たとえば、近くに海外産の食材が多いスーパー以外に選択肢がないことは、食生活が権力をもつ企業に支配されていると同時に、それ以外の方法を想像できない精神が支配されている状態といえます。反対に、みずから食料をつくることはその支配への抵抗とも取れるかもしれません。
以前、プロジェクト駆動の民主主義の考え方をご紹介しました。デモクラシーとは民衆(demos)による支配/権力(krats)ですが、一市民・国民として「投票する」ことは、自身の望む社会をかたちづくるには距離が遠すぎます。現状の民主主義はけっきょく、一部の権力者による支配状態でしかない、と栗原は言い切ります。
議会政治とは少数による統治なのだ、貴族制である。もし民主政うんぬんというのであれば、直接民主主義か、それにかぎりなくちかいものじゃなきゃおかしいだろう。
栗原康「何ものにも縛られないための政治学」p.43
ゆえに、身近な生活において自分の望ましさをつくっていくような多様なプロジェクトが重要だし、人々がそうした支配状態を抜け出すことが大切です。自らを縛る「当たり前」と異なる可能性への想像力や、権力に依存しないようにたがいに助け合っていくことが必要なのです。
これは、関係性を書き換えることを要します。"下にあるわたし"と"上にいる権力機構"の「依存関係」を断ち切り、"横のわたしたち"の「相互扶助関係」へと。今回ご紹介する事例は、そうした関係性の再想像と再記述のプロジェクトです。
警察のない世界での「公共安全」とはなにかを想像するFutures of Public Safety
アメリカの刑事司法制度は、人種的な差別と抑圧の歴史とともにあります。社会運動Black Lives Matterは記憶に新しいですが、白人至上主義というイデオロギーと権威的な制度が絡まり、複雑さを醸しています。そもそも刑事司法制度とは、誰のためにあるのか?を問い直す余地はおおいにあります。
アメリカ・ファーガソンは、2014年に白人警官のダレン・ウィルソンが黒人青年のマイケル・ブラウンを射殺したことで、全国的に抗議活動が行われた場所。デモ参加者の要求により、2016年には地域住民に改革への発言権を与えるための「近隣警察運営委員会 (NPSC)」が創設されました。しかし、このNPSCはとても段階的・形式的なものにとどまり、根本からの構造改革には至っていないのが現状。そこでFutures of Public Safetyプロジェクトが立ち上がり、安全が警察に依存しているという思い込みを払拭するため、住民たちが「警察のいない未来」を想像する場を設けました。
画像引用: https://designradicalfutures.com/Futures-of-Public-Safety
Futures of Public Safetyは、ストリートフェアやワークショップをひらき住民と話し合う場を設けました。NPSCや学生を交えたプロジェクトメンバーを中心に、制限速度を超えて車を運転する、ドメスティックバイオレンスを目撃する、車を盗まれるなど、特定の状況に対して「コミュニティ中心ー政府中心」「監視中心ーケア中心」の社会それぞれがどのように応答するか、住民と話し合いました。最終的には、政府主導のものからコミュニティ主導のものまで、3つの未来像を作成。
画像引用: https://designradicalfutures.com/Futures-of-Public-Safety
NPSCで警察署の方針を検討していた住民にとって、これらの会話は、例えば、安全性は警察の存在よりも、住民同士のつながりや隣人の精神的な健康状態への配慮に依存するのではないか、ということを議論する場となりました。下記で紹介するアウトプットも、それ自体が正解ではなくあくまで議論を促すためのものです。
草の根の協働における未来
地域住民が自分の安全に責任を持つべきだという多くの人々の信念から生まれたシナリオです。例えば子どもが窓ガラスを割ったり、駐車禁止の場所へ停車する状況で、警察が不必要に介入してくることへの危機感から生まれたもの。反対に、家庭内暴力など本当に助けが必要なシーンで警察は介入できませんし、隣人のサポートのほうが必要な場面も多々あります。
この未来では、近所の人たちが協力してまちの安全を守ります。プロテクターのスカウトベストには、調停や傾聴、近隣のネットワーク作り、教育、応急処置、公共空間の維持などのスキルに加え、近隣住民が暴力から自分や他人を守れるようにするための銃器の使用について獲得したバッジが表示されています。プロテクターは、尊敬と信頼の証として銃弾を与えられ、その責任を示すために銃弾を身につけています。より地域に密着した生産システムが必要なので、隣人たちはDIYで作ったラジオを使ってコミュニケーションをとります。
画像引用: https://designradicalfutures.com/Futures-of-Public-Safety
このベストや銃弾も権威性を帯びかねませんが、その前提には現在の警察との関係とはことなる、「顔のみえる関係」に根ざしていることが、大きな違いを生むのだろうと感じます。
ココロと身体の未来
ファーガソンのコミュニティメンバーへのリサーチでは、共通の道徳心を構築する方法として、宗教に言及する人が多くいました。「祈りのチーム」を結成して、犯罪を犯したりコミュニティに害を及ぼす人たちのために祈るべきだと言う人もいました。
画像引用: https://designradicalfutures.com/Futures-of-Public-Safety
この未来は、地域の宗教指導者が地域住民の道徳心を育むことで安全を確保する関係性に成り立ちます。住民はお互いにケアし、迷える魂を宗教指導者に導く役割を担い、"不道徳"は個人の失敗ではなく、追い払わなければならない外部の精神という考えに基づいています。
消防局に依存しない、災害への備えに対応した共同体の足場をつくるリサーチプロジェクト
近年、自然災害は今まで以上に猛威を奮っています。大雨による洪水や土砂災害、急な熱波、山火事などは年々増えています。
オーストラリアではとりわけ山火事は深刻な問題で、発生件数も増えています。2019年から2020年にかけて発生した山火事では、日本国土の1/4にあたる107,000平方キロメートルの消失・10億匹以上の動物被害・多くの死者も出ました。
こうした山火事の増加原因としては、温暖化による少雨や干ばつによって乾燥状態が進むことで、枯れ草が摩擦を起こし発火しやすくなっているからだと言われています。つまり、人間の営みの結果から、自然災害の発生が増えているのです。この状況を歴史家スティーブン・パインは「Pyrocene(火新世)」という時代だ、とさえ表現しています。
オーストラリアのRMIT大学によるプロジェクトでは、2009年から2014年にかけてオーストラリア政府が設立した「山火事協同調査センター」と協働して、災害に対するコミュニティの備えとコミュニケーションの問題へのリサーチを行いました。
チームがまず行ったのはフィールドリサーチ。そこで分かったことのひとつは、webサイトや紙面資料で「家庭での備え」に関する情報は提供されているものの、住民の多くは役に立たないと感じていることでした。
また、山火事が起こった時の消防・救急のサービスと共同体の関係性も問題でした。現状では、消防局がトップダウンで状況に対応するために、消防局=専門家・住民=非専門家という関係ができており、これは専門家である消防局への依存を意味しています。「火事のときには消防が助けに来るはずだという誤った安心感」によって、備えがおろそかになっているのです。
画像引用: Yoko, A. 'Wicked Problems': 答えはどこに?トランスディシプリンのデザインリサーチ
さらに、オーストラリアには日本の自治会にあたるような近隣住民とのつながりを維持するシステムは存在していないこともあり、家庭で個人として備えていても近隣を考慮していない住民も多くいました。
プロジェクトでは、この消防局と住民の関係性・住民同士の関係性が変わることが重要だと捉え、山火事のリスクが高いビクトリア州のSouthern Otways での実験を行い、ここに住む住民同士が対話し関わり合うための介入を行いました。
画像引用: Yoko, A. 'Wicked Problems': 答えはどこに?トランスディシプリンのデザインリサーチ
ワークショップでは地域のマップを下敷きにし、そこに"プレイフルトリガー"と称して、ボタン・ワイヤー・マッチ・オモチャの動物などを素材として持ち寄ります。それらを使って、「お年寄りなどの助けが必要な住民の家がどこにあるかや、危険な可能性のある物や場所、携帯電話などの電波が入る場所、入らない場所、火が向かう可能性のある方向」などを示しながら対話を促します。
次に、共同体の住民同士の関係性を同じくプレイフルな素材を使って可視化し、緊急時に誰がどういう助言をするのか、などを話し合っていったり、「もしもケガして自分が動けない状況になったら」など架空状況のシナリオをもとに対話を深めていきました。
これらのメソッドは、オーストラリア危機管理研究所での災害管理のコースで採用され、トップダウンではなく住民同士の結びつきに根ざした備えのあり方の再構築につながっています。
このようにコミュニティが自分たちが主導で活動するような足組みを作ることで、社会に絆が生まれます。集団として共に学び、態度を変えることで、より逆境に強い持続可能な変化が生まれます。言い換えれば、ここでのデザインの役割とは、物を作って人々の問題を彼らの代わりに「解決する」ことではなく、人間の潜在能力を広げ、それぞれに順応して相互に依存できる関係を築く触媒となるきっかけをつくり出すことです。
Yoko, A. 'Wicked Problems': 答えはどこに?トランスディシプリンのデザインリサーチ より
本プロジェクトのポイントは、住民同士が多様な状況想定をしながら、相互扶助を可能にする関係性を生み出したことで、権威的な専門家への依存関係を切断する足場をかけたことにあるのでしょう。
おわりに
権力への依存関係とは、徐々に個々人の精神まで入り込んでいきます。いつの間にか、自分自身で「これが当たり前だ、こうあるべきだ」と規範をつくってしまい、その規範によって「支配」されてしまう。そうならないためにも、今と異なる想像力は必要であり、また、生を営む上で権力ではない身近な他者に相互依存する。生を全うするには、これが必要だと思うのです。みなさんは本稿からどのように感じたでしょうか。以下の問いをぜひ考えてみてください。
問い①: 今の生活で、あなたが権力(ex: 行政、支配的な企業、プラットフォーム、スーパーなどの支配的な選択肢...)に依存していると思うことはなんでしょうか?
問い②: いざとなったらどのくらい頼れる人がいるでしょうか。そういう関係を身近に増やしていくには、どういう一歩が必要でしょうか?
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Reference
https://designradicalfutures.com/Futures-of-Public-Safety
Gordon, U. 2007. ‘Anarchism Reloaded’, Journal of Political Ideologies 12(1): 29–48.
Gerber, A. 2018. PARTICIPATORY SPECULATION: FUTURES OF PUBLIC SAFETY
https://alixgerber.com/participatory-speculation-futures-of-public-safety
Yoko, A. 'Wicked Problems': 答えはどこに?トランスディシプリンのデザインリサーチ
https://www.academia.edu/10333561/Wicked_Problems_答えはどこに_トランスディシプリンのデザインリサーチ