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雑考堆肥

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日々のこころのもやもやと雑感を堆肥化してく
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記事一覧

連鎖からの逸脱の先、複数の世界の行き来

殺し合いの連鎖から、どう抜け出せるか。バガボンドの武蔵は、天下無双を目指し、その強い「我…

Masafumi Kawachi
3か月前
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内向きとのベクトルと、関わり方の可能性

メンタルの上がり下がり、波が激しい気質。ひどい時にはベッドから起き上がれないし、死にたく…

Masafumi Kawachi
5か月前
15

遠野をめぐる_関わることで魂をおいていく

6月の最初の週末は、高知で友人の結婚式があった。そのまま翌日に、飛行機で羽田に飛ぶ。少し…

Masafumi Kawachi
8か月前
13

不慣れさと過ごす生活。不在と遭遇。

ここ一週間は、ありえないほどバタバタしていた。会社の大きなイベントがあったので、その準備…

Masafumi Kawachi
9か月前
9

不気味で避けたいものにこそ潜むじぶん

いつだったか、実家の和室の端っこに、白っぽいきのこが生えていた。小学生か中学生くらいのこ…

Masafumi Kawachi
9か月前
9

生活と芸術のあいだの行為を考える: わたしにとってのサッポロ一番はなにか

東京に出張できている。そういえば会社をつくったばかりのときは、東京にいくたびにアポをいれ…

Masafumi Kawachi
10か月前
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ごっこのような。失われる想像力。

昨日仕事でやっていたワークショップのなかでも、こどもの力って半端ないんですよ、ほんとに。っていう話が出てきた。こどもが育てた植物や野菜を地域の人にこどもが手渡したり、メンタルもからだも疲れている大人に渡したら、グッとくるよね、なんて話がでていた。 こどもは社会の中で守られなければならず、一人前でない。そんなこども観がいまだ強くもあるが、それと同時に、こどものちからを見つめ直そうという運動もあちらこちらで起きているように感じる。 それは、これだけ「こどもに頼らないといけない」

エネルギーをかけるとは、共に苦しむこと

躁鬱をもち、落ちてるときはひたすら過眠してしまい起きられない。起きられなくてバイトの面接…

Masafumi Kawachi
10か月前
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生活と芸術のあいだの行為を考える

最近はデザインということばよりも、もっぱら芸術のことをかんがえることが多い。仕事でおてら…

Masafumi Kawachi
10か月前
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稲川淳二や模様替えやイマジナリーフレンドからみる、生きるわざ

最近は、ずっと技や技法ということについて、考えている。ずっと考えている、という表現をする…

Masafumi Kawachi
11か月前
7

日記や記録を書くなかでの、どうしようもなさ

昨日は朝7時すぎに家を出た。東京・下北沢で11時から打ち合わせの予定だった。少し余裕をもっ…

Masafumi Kawachi
11か月前
17

ないなら、つくることで生き延びる

世界に道具にされてしまう、という強い言葉が頭のなかに反芻している。 労働の歯車と化すこと…

10

魂を傷つけることと、おっさん穴にすぐ入ること

漫画『バガボンド』が大好きなのだけど、特に主人公の宮本武蔵の幼少期の「おっさん穴」のくだ…

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暮らしの技の消失と、じぶんという存在の萎縮

鷲田清一さんの『生きながらえる術』を読んだ。生きながらえること、いきいきと生きること、死なないこと..そのためにいろんな「わざ」や「すべ」を身につけていくこと。じぶんのことばになりきらない関心に対して、鷲田さんはいつもうまくことばをあてがっている。 実存的な不安は、歴史の中で先人がどうだったのかは知らないが、現代社会ではこれまでにないくらい渦巻いていると思う。ただ生きててそれでいいのかなと思ったり、働いていて仕事を通じて社会にかかわり、価値をもたらしていることで安心が得られ