他人を説得する方法
注。わたしは「青山繁晴氏」信者ではありません(とか、かくと、なんか『嘘っぽい』演出になっちゃうよね。お笑いでいうところの「フリ」ってやつ? まあいいや。実際のところ、わたしは参議院議員なんぞ辞めていただいて、以前のように「エッジの効いた」情報収集・分析・評価・評論活動に戻っていただいて、わたしの「知的欲求」を満たす、"苗床"としてご活躍願いたいのです)
やってみせる、ってことの大切さを痛感する。
「やって」(実際に行動という実践をして)「みせる」(その成果を客観事実として指し示す」こと。
それ以外に、どんだけ「口、うまく」語ったところで、人は「説得されない」んだってことでもある。
青山繁晴氏のブログ記事を少々引用する。
https://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=5298
まあ、だいたい、「言いたいこと」(青山氏にしても、わたしにしても)はこの引用でだいたいは伝わるかなあ、と思います。「万全に伝わる」なんて幻想は抱けない。そもそも、「言語仕様」はそんなふうには出来ていないです、からね。
簡単安易な例示。
こどもに「箸の使い方」を教えるのに、言葉だけでこどもが箸使いのスキルを会得出来るでしょうか?
「やってみせる」ってことは、所作ばかりでなく、思考にや思考態度、物事に対する公平な姿勢などにおいても、最も大事なことです。
そこを忘れちゃってる人が今の世の中には多いのでしょうか。わたしは「多くはない」んだろうなって思ってます。単に「悪目立ち」する人があるってだけなんだろうなって思っています。でも「悪目立ち」するとそれがあたかも「常道、常識」であるかのように多くの人々を”洗脳"して思い込ませてしまうって「悪い」効能・効果はあるんだろうなって思います。
こどもに「恥かしくない」おとなの態度をとろう。
ってのは少なくとも昭和後期、末期くらいの、貴賤を問わず多くの日本人の(言う言わない、言語化云々の差はあったとしても)「内心の信念」だったように、わたしは思います。
……こどもって、親や大人の「悪い癖」とかばっかり、モノマネ・模倣し勝ちですし……苦笑。こどものモノマネを叱る前に、おとうさんおかあさん、近所のおっちゃんおばちゃん、じーちゃんばーちゃん、にーちゃんねーちゃんは「まず、自分のこと」を反省しましょうね。「鏡」みたいなもんですよ。こどもって。
良い「感化」を与えたければ、まず ”自分が” よくあろうと心掛け、よくあるべく振る舞うよう努めましょうね。……とか書いてるわたしも別に他人に(言葉で)説教垂れるほど偉いわきゃぁない。言語活動もまた「ふるまい、行い」です。公平に批判されるべき対象物です。闇雲に悪口叩きつけて良い、とは言ってませんからね。お手柔らかに。わたし、すぐ泣いちゃいますよ?(それは"恫喝"なのかな? いやそんなつもりは”あんまり”ないですよ)
アニメーションオタクを自認しているので(実際はあんまり「オタク」でもないって最近思うようになってるよ。とほほ。凋落オタクでござる)アニメーション作品から引用しようよホトトギス。
『Fate/ZERO』の、ライダーさんの「聖杯問答エピソード」で放たれる言葉、民の羨望を一身に背負い、とか、王の王たる道、とか、言った後で、「我もまた"王"たらんと、憧憬の火が灯る」ってのがわたしは好きです。
ライダーさんの「覇道」はとてつもなくデカい。
だからこそ宝具「王の軍勢」に説得力が出る、って作中の設定都合ってのもあるんでしょうけど、まあ、好きですようん。
オチの記述は回避するけど、人間は、最後の最後の最後まで、「行為する」ように努力する存在なんです。「行為する」ことを「生きる」と言い換えても支障はないでしょう。不本意に「行為」できずに「生かされ」続けるのなんて、たぶん多くの人はお嫌でしょう? USA映画『マトリックス』みたいに「生ける"生体電力供給源"」に「される」のなんて真っ平ごめんでしょう?
とはいえ、「何に焦がれる」か、何を「憧憬」し何を「羨望」するのかは、ひとえに個人の側に委ねられているのです。
こどもは無差別になんでもモノマネするけれど、物心ついた大人や半分大人なこどもには、ある程度の取捨と選択の"自由"があるのです。
「良いところ」は真似て、「悪いところ」は止めるように努めるのが吉、ではないでしょうか?
いいたいことは言い尽くしたのでここでおしまいです。
(12024.06.24.月 追加)
誤解されそうなので書き足す。
「行い」をみせるってだけで「日本の尊厳と国益を護る会」の参加者が増加した、とわたしは"思っていません"。
引退した小泉純一郎氏のように「ケンカに勝つ」のが全てに優先するタイプの人間からすれば、「時流に乗る”道具"のひとつ」に見えてるの"かも"しれません。
使えるものはなんでも使う、小池百合子氏型の人間からしても「使い勝手の良さ」から参加している人”も"、あるのかもしれません。「内心」なんて誰にも分からない。本人はわかってるつもりかもしれないけど、それだってどこまで "あてになる" かは知れません。
「ひとつの成果(数字的な)」ではあっても、青山繁晴氏の目指すところ、"思惑"とは、必ず、乖離している、とわたしは見ています。
ただ、「下衆な心根」で参加してきたとしても、そのうち変わるかもしれないですし、やっぱり変わらないで「道具として使いたがる」ばかりなのかもしれません。そこはどうともならない。個人の、その人自身の問題ですね。
「下衆な心根」であるのかないのか、そんなことは(割と)どうでもいい。
良くも悪くも、人は「変わる」ものだし「変わり続ける」ものです。
善人だって悪党になることもありましょうし、悪人が"正機"することだってないとは言えない。
……と「言い訳」を書き足しました。
参加メンバーの中には、モロ「怪しいおねえさん」とか混ざってますし。
尖閣に行ったりしてるけど、「改心」したのかどうか分かったもんじゃないって、わたし個人は「大いに疑って」います。たぶん今後、政界引退なさる瞬間まで、いや引退後も、「疑念をもって」挙動を見守り続けることになろうかと思いますよ。
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