#ハウツー "なんとかする"訓練

 (当然)自慢話である。自慢話が大嫌いな人は読まないように。ボクとの約束だよ!(なにキャラだよ)

 20代。
 国家認定の「情報処理試験」とやらを受けた。

 受験の前に、通勤時間を使って「過去問題集」を解く練習を繰り返した。
 今どうなってるか知らないけど当時は「答えを四つから選ぶ」スタイルだった。
 正答のページは破って捨てて(捨ててない。取り外して自宅に放置)、とにかく答えのため、調べた。新聞頼ったり。

 「試験」は一期一会。
 どういう出題があるかは事前には知ることができない。
 でも、何を出されても「なんとかする」力を養っておけば、正解……か正解に近いところに肉薄する……そんな「力、能力」を養っておくことは、出来た(2種も1種も一発合格した。特種は受験してる暇が取れなかった、そもそも"受験資格"が……で、受験せぬまま今に至っている)。

 ノウハウ・ハウツーとしては。先人・先達の言う通り「過去の出題、過去問題集」が一番効果的だし、”何かの習熟"の効率が高い(と思う。体験を踏まえて)。それは、つまるところ、その時、その場で「なんとかする」力を養うことだ!って言い切ってしまって構わない気がする。

 人生の中で(大きく出たな 笑)、その時、その場で、「なんとかする」って、たぶん、大事なんじゃないかな。

 古い昭和の歌唱曲に、「人生は二度ない、ドン!とやれ」って歌詞があったように記憶する。

 人生に限らず、一切合切が "二度ない" 。ドン!とやらないとね。
 場当たり対処の、やっつけ仕事であろうとも、「なんとかする」力を養っておくことは、なんも準備なく直面してあたふたするより、"まし" な帰結を得られるんじゃないでしょうか。

 わたしは「マウントをとる」とかくっだらねえって思ってる。でも人によっては、マウントを取る、取られるがなんだか最重要項目な"バカ"(田中秀臣先生?)もいるらしい。ちょっと愛おしく微笑ましくも思える。まあ「たんにんごと・ひとごと・他人事」です。したり顔で、自慢げに、持論や個人見解を「是」と、滔々と語る人のことをわたしは特段、憎らしくは思わない。ヨソはヨソ、ウチはウチ。と親にことあるごとに言われ続けた、ひとつの"成果" なのかもしれない。マウントとやらを取りたい奴には好きなだけマウント取らせとけ、みたいな感じでいる。だって、それって「意味ない」じゃん。わたしは「同意しない」し、折伏もされない、納得も出来ない、なのに「増長」の人物はこちらを認知認識理解することなく自己満足で好き勝手に満たされているご様子なのだから。……キミがしあわせなら、まあ、それはそれで、いいんじゃね?ってだけです。

 端的に言えば、自慢「ポーズ」がウケ狙いの芝居か、ソイツの自己実現の達成(本人の「自己満足」充足)なのか、見定められないんだったら、付き合いは「ほどほどに」なさった方が双方の「ため」かもしれませんよ、と助言申し上げます。

 ……つまるとろこ「わたし・主観」から眺めた一切は、どこまでいっても「参考文献」でしかない。理論から素直に語れば、「マウントは、取りたくても永遠に取れませんよ」ってことです。だって、「俺はお前じゃないからな」なんですから。ひっくり返すと「お前は俺じゃないからな」です。「負けた」って思っちゃう人は、はて、何に、誰に「負けた」って、勘違いしちゃうでしょうね。絶対尺度や絶対価値観に惑わされて、本当の「絶対」がどこにどういうふうにあるのか、理解出来てないってこと、「告白」したい人なんでしょうかね? 謎すぎ。

 こうして、わたし個人の自慢話は閉じる。

 だれかの「参考に」なることを望み願っています。

 おしまい。

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