石鹸をみて思うこと

 お台所で手を洗う。石鹸泡だてごしごしごし。
 お台所で布巾用の石鹸泡立て、布巾を「たまに」洗う。臭いとか、見た目の汚れっぷりとかが気になるとたまに洗う。ごしごしごし。

 日本国内の石鹸は、おそらく100パー%、ヤシ油が原料となっている。アブラヤシの油。パームオイルとかパーム油とかとも言われる。それらは、日本国内でも冷凍商品などの「揚げ物」の、揚げ油にも用いられている。……ふるくはナタネ油が使われていただろうけど、今般は「コスト削減」大正義!ってことになってるらしい。
 つまり「ヤシ油」は、"食用油"であったりする。
 うーん。
 食用油、調理に使える品質の油を「石鹸」に加工してしまうってことの合理というか、感情の持って行きようが、なんだかよく分からなくなってくる。

 石鹸は、ご存知の通り(と一応書く、けど世間様みんながみんなそうだ、とも思えない、中途半端な気分で書いている)、"油"(なんでもいい)を「ケン化」することで作られたシロモノだ。石鹸として固まってるソレを解いて泡だてててあげることで、分子レベルで「油・脂とくっつく方」と「水分子とそれなりに親しむ方」の両局を持った分子構造を人為で拵えられる。"人為"だけれど、自然の法理に逆らっているわけではない。自然の法理に逆らいたくても、人間の存在もすること為すことも、自然の法理から外れては「あり得ない」。人の行いの全てもまた自然現象の一部でしかない。

 オリーブオイルで作った石鹸ってのをネットで見かけたことがある。"いちおう"のウリは「肌に、やさしい」らしい。……ンなわけあるか!(笑) 石鹸は石鹸。刺激もあれば "無害さ" も "石鹸" だろ、と心の中で毒づいた。そんな想い出がある。どーでもいいか。

 "食用"オリーブオイルも、ピンからキリで、化学工業的に「オリーブの搾りカス」からオイル分を取り出したって製品も実在したりする。めっちゃクサくて使い物にならない(私見)。"オリーブオイル"ってイメージに「騙されて買う」類の、軽い「詐欺商品」って感じです。買って一度懲りた購買者は、たぶんおそらく「2度と」買わないんじゃないかな。味オンチな人は知らんが。

 鉱物油、鉱物由来の油分・脂分から石鹸を製造した、という話は聞かない。
 原理からすれば、石油の原油(真っ黒)からでも「石鹸」は作れるだろうし、鶏の脂や豚の脂分からでも理屈からは作れそうだ。けど、そういうことにはならない。それらには「石鹸」にする以外の、有用な用途があるからだ、と考えるのが妥当と思う。

 食用油にもなるパームオイルを、「石鹸」とすることの是非は、はて、どこに気持ちを落ち着けさせればいいのだろうか。

 廉価に大量に生産されるパームオイルは、オランウータンの生息域を逼塞させた「犠牲」の上に成り立っている、らしい。

 この石鹸の、原材料提供のアブラヤシがどこにあったのかは包装紙には書いていない。原料、パーム油とあるばかりだ。

 石鹸を使うことでわたし自身もオランウータンの「殲滅」に加担しているのだろうか。
 原材料産地不詳につき、明確ではない。

 少なくとも、他地域の人間の「飢え」や「飢え死に」、あるいはオランウータンのような生き物の生存侵害の上に、日々の生活の「豊かさ」やら「豊かさ」の補助としての利便が成り立っているのだとしたら、それってたぶん「間違っている」と思う。

 ……ま、一番先にすべきは「事実確認」か。

 「事実」は隠蔽され、ロンダリングされ、「見えない」化されてきたようです。「豊かさ」の正体がヨソの誰かの「死」だとしたら、なんともやりきれない気分になる(でもすぐ忘れてそう。なんたる非人情っぷり)。

 この手の中の泡立つ石鹸よ、オマエはいったい何処からここに至ったか? 問えど答えぬ白い石鹸(当たり前だ。石鹸がクチを来たらそれはむしろ大問題だ。精神医療的に)。

 SF小説のように、あるいは小説『死靈』のように、世の一切が出自を語り出したなら……と想像してみると……まあ、笑っとくしかないか。とりあえず。とりいそぎは。

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