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月刊駄文置き場 令和5年4月号 2

117. 作画とは何か、作画崩壊とは何か

 ってネタを書こうと思いたったけど、語れるけど、語るのもどうか、という気がしてしまった。初っ端から。
 10年くらい前とか、20年くらい前とか、30年くらい前の作画崩壊騒動を歴史記述してもあんまり得るものは(わたしが作文する限りにおいては)なさそうだ。作画崩壊よりも作画って何だろうかってところを突き詰めてみようかな。

 だいたい、静物画や風景画、宗教画って、何だと思います? 彫刻や立体の塑像でもいいよ。大仏でも仏像でも目玉でっかいシュメルの像でも、赤塚不二夫先生漫画みたいに目ん玉が飛び出してる風のチャイナ・三星堆でもいい。古代の文化(カルチャー)は今に残り伝わるしか出来ないけれど、当時のそれは「それなりに」現実味を備えたものであったに違いない。宗教画の「お約束」は聖人の後ろに「丸いお盆」みたいなのがついてる、そのことが現実味だった。だいたい絵画って「嘘」じゃん。全部。「らしく」見せるための詐術こそが美術の本質である。写真技術は光の加減を固定して見せただけにすぎない。「らしく」は何より大事。大事だから絵画の「枠」はその嘘を見る側に「しっくりさせる」上で大事。額縁は大事、なのです(額縁そのものの彫りとか、わたし結構好きよ。嘘の片棒担いでるけど、嘘そのものと無縁だし。割と「どーでもいい」って添え物の感じとか、単なる意匠、単なる絵図が多いところも好感してるのさ)。

 日本の近年、つまりは「敗戦後からコッチ」は戦前から存在した「漫画」表現の深化、展開、多様の工夫、発展が今も続いている。経済学とかなんだとかではあまり「漫画」の高度描写技法には深入りせず、カネ勘定、損得ばかりに注視していてなんだかわびしい。文学とかそういう人文系も(ヨーロッパのお「フランス」と違って)日本のそれは江戸時代・徳川治世から続く「下賤娯楽」に置かれたまま、という気がします。だからって強権を発動して「オレをもてはやせ〜」とは言わんし、言いたくもない。ただ、いつも「日本」は、当たり前のように目の前にあるものの価値に気付かないで捨てちゃう態度に終始してるよなーって気はします。よその土地では「極めて貴重」な清廉な水資源をムダに捨ててるしさ。満たされ、豊かな「愚か者」の異名が日本人かよ!って気がします。……失ってはじめて痛感するのかもね。髪はながーいともだち(ネタが古すぎ)。

 作画表現、漫画・マンガにしてもアニメーションやライトノベル挿絵のイラストにしても、「らしさ」は大事です。大事なはずです。
 「作画崩壊」でもめるのは、「らしさ」を踏み外してしまったって、ただそれだけのことなんだと思います。どこまでを見て受け取る側が許容とするのか、その見定めが作り手、送り手、発信する側において上手く行かなかった、ということになるのでしょう。教科書の角で作ったパラパラ漫画の棒人間くらい敷居が低ければそんな騒動は「おきようもなかった」んでしょうね。

 江戸時代以降の伝統を継ぐ錦絵とか役者の大首絵とか風景をえがく室内装飾っぽい使われ方だったらしい浮世絵とか、今の視点からは構図の斬新さは目新しいとしても、細部の描述には「えー、それ、ないわー」ってのが率直ではないでしょうか。釘鼻、線目とか、「おたふく」なふっくらしたのが美人・美女とか、イマドキの多数決では少数派の性癖でしょう、たぶん。統計をとってないので「決めつけ」です(苦笑)。
 「っぽさ」は、だから社会の習慣めいたものと密に絡んでるのです。そもそも「大衆娯楽」表現の一部だったりするからね。ヨーロッパ宗教画も書き文字読解に不便な大衆に向けて宗教勧誘というのか「教え」を伝えることが使命だったらしいですし。「っぽさ」は、そんな「妥協っぽい産物」って言ってしまってよいのだろうなって思います。

 つまるところは「了解」。発信する側と受け取る側との了解。ゆるい意味での同意。共通認識。
 それが綻べば騒動が生ずる。ま、そんなところ、なんでしょう。

 しっくりこないっていえば『オカルティックナイン』のキャラクターデザインは最後の最後まで、わたしとしてはしっくりこなかったっけなー。出演声優人に無理強いしてやらせた色んな演技が、つまるところあのキャラデザでむしろマイナスだったよなー、とか、今も思ってます。
 最初から期待されない作品では「騒動」そのものが発生しない、観てないから、と思うと、いろいろと考えさせらるところがありますよねー。っててきとーにまとめておしまいにします。ちゃんちゃん。

(12023.04.30.日 追加)


116. 人間は、常に型から踏み出ていく

 美術作家(芸術家とも言う)、文筆家の岡本太郎先生ならチャットGPTを何と言っただろうか。「なんだこれは」とは言わないんだろうな。競い合って己を鍛えるための「健康グッズ」扱いであっただろうか、などと妄想してしまう。……この妄想自体が「くだらない」お話と言えるが(苦笑)。

 人間って、モノマネ芸人さんが模倣して特徴の一部を極端に誇張して笑いを誘うように「一定の型」「一定の枠」つまりは本人の外からの理解に基づく「予想」の雛形というものは自ずから形成されるに違いない。日常の雑談で「言うと、思った〜」である。予見可能なので、ダジャレ嫌いはダジャレ封じを発動してみせたりする。ダジャレ好きからしたらそれはそれで面白おかしい経験だ。だから「それもまた よし!」である。ダジャレ嫌いな人からしたらメンツの多数がこぞって競ってダジャレを言いたがる人間だときっと辟易するのだろう。知らんがな。自分でなんとかせいや、とダジャレを畳み掛ける。もうそうなると「正義」は虐げられてる感のあるダジャレ嫌いの方にあるような気がしてくる。うーん。……諦めてダジャレの言い合いに参戦したりして(おいおい)。

 人間は、というより生物は、「成長」する。成長と見做すのは観察する人間の側の価値判断が入っている。フラットに中立に言うなら「変化」する。変化し続ける。(川の水は)「とどまりたるためしなし」である。生命現象は川面の微かな渦、凹み、あるいはあぶくにさも似たり。詩も書いた宮澤賢治さんの作品の一節に「わたしは交流電流の刹那の光」みたいな感じの言い回しがある。つまるところの大意は、常に「わたし」とやらは過渡期の只中にある、ということなのでしょう。

 変わり続ける、変節する、あるいは基準からわずかに外れる(ゆらぐ)、そんな一瞬一瞬を過ごしながら、全体がゆっくりと変わっていく。
 「実存」とやらにはそういう意味合い、要素がある。わたしやあなたのげん存在は、何者(物)によっても担保されない「変化」そのものだ、と言える。言い切れる。いやまあ、言い切って差し支えない、と断言出来る。ま、留保は大事(苦笑)。

 「型」を学び「模倣」するAIは、果たして人間の在り方の「変化する」という本質性を「真似っこ」出来るのか。いまのところは「出来ない」らしい。それでも「作文」の真似事くらいは出来るらしい。行政文書や会計処理くらいになら用いることが見込めるようだ。そこから先は、「余計」じゃん?って思う。

 チャットGPTとかに委ね「られない」領域がある。
 創作という「スキ」にまつわる領域はどう考えても「お任せ」出来ないだろう。「萌え」や「攻め、受け」をモノマネ、猿真似出来るとしてもそこに「面白み」が生ずるかどうかはわからない。イマドキの劣化著しい娯楽となら互角に渡り合えるのかもしれない。ま、そうなったら「同人活動」に今より多くの人々が流れ込む、ただそれだけなのだと思う。あなたは、どこに、いますか?

(12023.04.30.日 追加)


115. 孫の手

 昭和のご家庭には(戦前、戦中は知らん。敗戦後の経済復興がそれなりに起こったくらいの昭和)「孫の手」という竹か樹を材料とする(中には金属製で伸び縮みするのもあったっぽい。アイデア・グッズの類でしか知らないが)、背中を掻くアイテムがあった。

 「背中が痒い」って点ですでにヤバい気はする。皮膚がどうかしてるか、痒みを伝達する神経系がどうかしてるか。
 家族の誰かがいれば掻いて掻いてって頼めるけど居ないとなると柱の角とかに背中を擦り付けたり……という需要を満たすため、生まれた「孫の手」である、らしい。

 令和の現代、なお売られているのかは知らない。
 プラッチック(大阪人風)に肩たたきの何かがついてて、そのオマケ機能で背中も掻ける、みたいなものはあるのかもしれない。
 じーちゃん、ばーちゃん御用達だったのは高齢からくる乾燥肌が背中に痒みを生じさせていたのだろう、たぶん。

 なので、独居するわたしは、「ボディブラシ」で背中を掻く。ブラシの方がましなのかなんなのか。お風呂場兼用ではなく乾燥状態のボディブラシで背中をブラッシングしている。……老廃物?垢の除去は入浴やシャワーで泡を付けてこそぎ落とすのでも、乾いた状態で(乾布摩擦なんてのもそういえばあったなあ、久しくやってない)ブラシを掛けて落とすのでもそう違いはなかろう。……お湯で垢を流すというふうにいかず、室内をお掃除しなきゃいけないって点だけ不便であるのかもしれない。

 孫の手も、「手」の部分の角の尖り加減が経年劣化で丸く鈍麻していたことを思うと、ボディブラシで代用することには合理がある、と自負して、自己満足のうちにてきとーにこの作文を終える。……手で掻くくらいなら乾いた束子タワシで軽く擦る、というのもヨイのかもしれない。二の腕とか。

(12023.04.30.日 追加)


114. 『蒼穹のファフナー』

 アナタはCoCO壱に居ますか? ……いいえ、水道橋・後楽園のSB直営『カレーの王様』に……ってボケてもいまや通じない、か。

 綺麗な駄作。個人の見解。仲間はたぶん『結城友奈は勇者である』シリーズか。
 『進撃の巨人』といい(あんまり見てないので評価をくだせない)最近の『チェンソーマン』(まったく見てない)とか『鬼滅の刃』(同じく見てない)、『呪術廻戦』(同じく見てない)って、イマドキの若い子たちの感性はわたしのようなレートルな昭和生まれにはちーともわかんねーでござんす(スネっ!)。
 『(略)ファフナー』の駄作性は、ひとえに視聴する側ってのは登場キャラクターに「思い入れ」して作品鑑賞するという、作る側、観る側の暗黙の「お約束」が無惨に破壊されているってことです。エクソダスで誰がどんだけの数、死のうと、どんだけ悲惨に凄惨に死のうと、思い入れることができない。むしろラストは「お笑いコント」としかみえなくなっている。なんでオマエら生きてんだよ、とすら思ってします。
 CoCo壱にもカレーの王様にもいない、自宅で自分で炊いたご飯に数パックまとめて売ってるレトルトカレー掛けて、食うわーって気分だよね。なんならむしろ納豆ご飯だよ。卵かけご飯だよ。ほんと、腹立つよね。作画とか音楽が良い分、怒りが増すわ。ましましだわー。

 って難癖付けて文句を垂れたいのが本筋ではないのさ。
 娯楽として駄作の極北だ。だけれど、作中の「痛み」をあえて受け入れる、という姿勢の中にこそ、人が生きる本質があるよな、とも思ってる。「痛み」から逃げて逃げて逃げおおせて生きる人生もあるのだろう。でも「痛み」や苦しみ、困難に直面して困難を「どうにかしよう」とすることの中にだけ、人が生きているという実感はあるのだと、わたしは『ファフナー』に賛意を寄せる。
 『エクソダス』は、簡単に言えば「お節介を焼く」話だ。端折りすぎ(苦笑)。自分達を顧みず(だから「悪意のあるフェストム」の罠に嵌るんだが)手助けをしに出かける。出かけて、「ヒーロー」は死ぬのである、とほほ。彼については遺体の描写もない。幻影出演もない。なんだかなーって思いしか残らないんだよね。でも「死の本質」はそんなものだ。あとから生き返ったり、幻影(島の岩がみんなの命を吸い取ってるんで形は生前のものでも個性は喪失してる、という設定らしい)で出てきたり、「台本の都合」よね。馬鹿らしい。作品として「いい線」行ってる、けど所詮、ガキンチョの遊戯、これでカネとるって詐欺じゃん、って個人的には思うよ。それでも幾許かは「真実」は見えるのかもしれません。昭和のテレビアニメーション作品『太陽の牙ダグラム』かよ。

 痛くても、筋力衰えた身体からだのリハビリテーションはしないという訳にはいかない。動かさない身体しんたいは衰え行くのみだ。そうして衰え死滅して、後進に場所を明け渡す、というのも群体としての生物(ヒトもその一種と言える)の本性だ。痛みに抗うのも、痛みに打ちまかされて衰え朽ちるのを待つのも、個人の「ご勝手」であろう。どっちがいい? どっちが嫌? つまるところは趣味の問題に帰結するのでしょう。なんだかね。
 個人としては、闘って闘って、闘い抜いて〜な『機動武闘伝ジーガンダム』のナレーションみたいな行為のがスキかなーって思う。動けなくならない程度の痛みなどものの数ではない。……とか書くと少佐に「マッチョよねー」とか言われちゃいそう(笑)。少佐が言うなよと即座に呟き返そう(笑)。

(12023.04.30.日 追加)


113. 「生物」という現象

 火星の核(惑星のコア、中心部分)は、地球の固い(らしい)固形物っぽい核と違って全部流動性の高い素材だけから出来てる、かもね、という記事。
https://karapaia.com/archives/52322164.html

 地球は上部マントルとか下部マントルとか「高温で溶けた岩石の流動体(相で言えば「液体」。随分と日常生活で目にする「水」なんかと印象が違う訳だけど)」の奥底には、人間の観察や理解では「固形物」っぽいとされている。実際はどうなんだろうね。なにぶん、「割って中身を観察する」ってことは出来ない(アラレちゃんじゃあるまいし)。岩石の歪みが戻る響き(地震)の伝わり具合なんかで推測するよりない。

 火星の事情(まだ研究段階でどこまで確定したことが述べられるのかはわからないから、「保留」の面が強かろう)と地球の事情(どこまで人類が「ほんとう」を理解しているのか、こちらも「ほぼ確か」だろうけど「保留」の面もあるとわたし個人は考える)との違いは、一足飛びの推測として「生命発生の条件」として、こう言う記事の目玉として、ことさら述べたがるのは「耳目を集める」という言語仕様の、つまりは「野次馬第一主義」なバイアスっぷりからはいさ仕方ない。……本末転倒で生命の発生と維持なんてのは「結果」だ。ってそう思う。惑星存在の余録、惑星のプロパティ(性質、属性)に過ぎないんだろうなーってわたしは思った次第です。

 地球の大気は「1気圧」。これは人類が人類の生息環境を基準とした計量単位を「1気圧」と定めたってお話ですね。似た単位に天文学の「1光年」だの「1AU(天文単位)」だのってのがある。気温の単位は「Kケルビン」、「ど シー」と均等割。対数や指数目盛ではないってのは人間の観察と理解と定義付けがそうなっているから、ですね。そうしているから、です。

 つまるところ、人間が観察、観測出来る一切の事象は、現象は、人間の「理解」を基礎において理屈を構築して(人間に対して)説明したり(人間の都合を未来に延ばして)予測の利便に用いたりしている。……そういうところを批判すると科学や理性、知性を否定した、感覚、直感、ひらめきに偏る「神秘主義」のラベル・レッテルを貼られかねない。まあそう言うふうに「看做す」のも一定の整理の付け方なので、他人の都合に指図も命じて従わせることも出来ない。人はそれぞれ、自分の生をまっとうする、その一部ですからね、何をどうとらえどうかんがえどう判断し、どう振る舞うのか、ってのは。

 吹く風は自分を不思議だとは思わない。なんて書くとだいぶ「詩っぽい」文字列になる。現象を擬人してこちらの思いを投影している書きっぷりになる。人類・ヒトという存在の不思議さは、つまるところ落語の「はてなの茶碗」、不思議やなー……ってぼーっと考えては損得で振る舞いを発揮する。落語においては興味関心が人間の滑稽みを表現する道具立てになっている。興味や関心の自発的発生(とか書くと量子物理学界隈の「自発的破れ」っぽさが出る、かな?)そのものは、解明する兆しはない。社会学は既存の科学アプローチを拒む。経済学も科学アプローチが通用しない。心理学も。それらの方面の方々からは苦情や申し開きがあるだろうか。「科学的」アプローチというか科学アプローチを応用して流用してはみせていることは認める。けど、小手先で整理する「便利な三段カラーケース」や「押し入れ収納ケース」にしか用いていない、そんなふうに「外から」は見える。家を建てたり都市計画をしたりはしない。たとえ話だよ、あくまで。こんなことを書くと「またかー」って思われそうだけど、経済学のいちジャンルがことさら「マクロ経済学」なんて自称する滑稽を味わい尽くすには、その「くだらなさ」にお付き合いするよりない。ちょーめんどー(笑)。

 生物は、生命は、純然たる「現象」だ。
 なぜそうなったかを問うとあらゆる「現象」にもその問いをぶつけざるを得ないはずだ。それが一貫性でありそれが公平さ、差別のない知性のあり方だ(とわたしは思うよ)。逆に、生命や生物以外の現象は、その出自をことさら問わないまま、「当座の便利」のために科学アプローチを繰り広げていることを思えば、なぜ「生命発生」だけ特別視「してしまう」のか、今一度、自分自身に問いかけてみてもよい、問いかけることで「得ること」があるんじゃない?と申し上げたい。 なんでわたしは(わたしたちは、学者・研究者は)「そのこと」に関心を寄せて「しまう」のか、寄せずにはいられないのか。……忙しいとなかなかアレなのかもしれないけど、時にはそういう機会を持ってみてもヨイんじゃない?

(12023.04.30.日 追加)


 人間の「心理(心の動き。語呂は似てるけど真理と別。個別で具体な自覚や他者観察の現象)」の不思議は、SNS粘着だとか学校のクラスなどにおける常態としての暴行犯罪・いじめだとか、支配や追従だとか、反骨や反発心、反抗といったさまざまな善悪ないまぜの「人間のふるまい」という厄介ごとの全部、だね。「愛憎」なんて対概念っぽい単語もある。一方でSM趣味?みたいなものもある。シュチュエーションコント、みたいなもんだとしかわたしには理解が追いついていかないが(苦笑)。SM趣味って心理学界隈でいえば「ロール(役割、役目)をプレイング(演じる)」ってことに近いんだろうな。内面の方が大事っぽい。が、内心なんてものは個人だけにしか持ち合わせがない。個別で一回こっきり、複製もバックアップを取っておくことも出来ない。常に変化している、と考えられる。一貫性があると思うのは本人ばかりであろう。たぶん、一貫性を保つためには文章化されはしない「記憶」を元に履修、再履修で学習を繰り返している、ただそれだけなんじゃなかろうか。川の流れは絶えずして〜しかも元の水にあらず〜みたいなもんでしょ。どーせ(急に雑 笑)。
(12023.04.30.日 追加)


112. 尖閣沖合@29日15時 by 30日付け 八重山日報

https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/20788
> 29日午後3時現在
> 艦船4隻が航行
> 「海警2301」
> 「海警2502」
> 「海警2102」
> 機関砲らしきものを搭載した「海警2204」
> 巡視船が領海に侵入しないよう警告

・AISによる船舶位置と航行方向の表示
https://www.marinetraffic.com/en/ais/home/centerx:123.6/centery:25.7/zoom:11

(12023.04.30.日 追加)


111. 熱に関すること

 子供の頃、火事をみた。
 廃屋の工場の煙突が焼け落ちるのを見たような気がする。実際は煙突は火事の初期に崩れ落ちていたんだろう、記憶の捏造。でも、数十メートル離れて感じた「熱」の記憶は実際であり確かなものだと、自分の記憶、自分の体験を「評価」している。……感覚記憶(記録)を「確かなもの」と評価してしまう、なんらかのバイアスがそこにある可能性は捨てきれないのだが。記憶、記録の捏造可能性を極力低く抑え込めたとしても、指向が出鱈目な「質の変化」は必ず起こるに違いない。

 ともあれ。

 火事は、とにかく、熱い。
 常軌を逸している。
 キャンプファイヤー経験者なら燃え盛る炎の「熱」が如何程のものか、体験、体感しているかと思う。
 小さな炎、ガス台の五徳の下の火とか、ローソクの火とかでもいい、その「熱」の意外な強さは人間にとって耐え難いかどうか、ひとつの評価基準を形成するだろう、とわたしは思う。

 ……ここまでフって言いたいことは少ない。
 ひとつは京都アニメーション制作(だった、よね?)のテレビアニメーション『Another』のラストを彩る茶番劇批難(批判どころではない!)。
 もうひとつは最近試聴した『文豪ストレイドッグス』の劇場版批判。こっちは大目に見て批難じゃなく批判。
 製作者サイドの、「熱」に対する不感症、いや、感受性の鈍麻っぷりに、わたし個人は「怒り」すら覚えるよねーってお話でございます。なんなの。作り手は魚をガスレンジをで焼いた経験すらないの? とか、皮肉を捻じ込みたい気分ですよ、まったく。 目玉焼きぐらい、作ってみせてよ(おいおい)。わたしは小学校6年生の家庭科で(すでに家庭科の資料集と婆ちゃんの手ほどきで学校の実習以前に調理経験をしていたにしても)目玉焼きを作る、くらいのことは「体験」している。この「熱」体験の欠損からくるらしい、作劇の「アホらしさ」は、はて、「いまさら」なお話、「笑えばいい」ってこと、なんでしょうか。わたし個人は「絶許(絶対に、許さない)」って思ってんスけどね。まあ、ギャグ認定の元で「わらとけ、わらとけ」って矛を収めてますが。
 『Another』のテレビアニメーション版は、頑張ってたらぽいけど「がっかり」作品ってレッテルをわたしは貼ってます。楽曲面では「それなりに」、娯楽として「消費」可能です。つまり「ギャグ」作品ってことです。アクロバティックにビニール傘で喉を突いた時点で、「ギャグだから死んでた」です。なんか……、まあいいか。
 ストレイドッグスのほうは、ある種の異能バトルなんで「なんでもあり」な免罪符が作品の世界観として内在してるんで、「放置」です。イデが発動(おいまてこら)。

 娯楽作品は、視聴者、観客の「娯楽」をこそ最大に追求する営み(そして営利)なのですから、観た人間が「腑に落ちる」かどうかだけが問題、なのでしょう(なのです!)。「マジレス」は「痛い」のです。たぶん。

 それでも、炎の作画にリアリティを覚えて試聴する「わたし」において(だけ)は、「ふざけんな!ごらぁ!!!!!」って気持ちは抑えきれぬのよ。「たのしむ」よりも「怒り(の炎)」が先に立つ。そんな個別の事情は大勢の営利が凌駕するとしても、個別が個別で済むのかどうか、もちっと考えていただきたいものだなあと思いますよ。
 どーでもいいか。
 滅びさるものたちに何を説教し言い含めても「ムダ」でもありましょうから。
 愛するものは必ず滅び消え去る。わたしの経験からくる「ワン・パターン」な景色。

(12023.04.29.土 追加)


110. 話し言葉の動機

 「動機」を「源泉」って書いたら、自分で自分の迷宮に踏み入ってしまった。あぶないあぶない(笑)。

 会話とは「ウケ狙い」である。おいおい。

 でも、高尚な言語学にせよ、言語の文法や文字記録にせよ、その根幹には無関心にみえる。
 理由は自明。「証拠」がないと論ずることが出来ない、という信念があるのだと思われる。……っていっても「証拠」、物証、物的な証拠ったってさ、それが「証拠足り得る」のか「偽造」や「贋作」、「捏造」ではないことを誰が何をもって示し得るのかってことを考えると、なるほど証拠に基づく議論は大事かもしれないが、その証拠とやらの真実性はどうやって担保するのか、という問題が一方で転がっている。
 わたしが思うのはもう一方のこと、生まれる最初の場所、すなわち「人は人と何故に交流しようとするのか」という人間のあり方、性質につらなる、端的に言い切れば「実存」と「言語」との関連だ。うーん、飛躍があるから読んでいただいてもうまく伝わっているという自信がないなあ、とほほ。

 なんのことはない、職場の同僚とのなんのことはない無駄話、専業主婦や主婦OBのばーちゃんたちが顔見知りを頼りに現を抜かす井戸端会議の現代版とか、雑談、語り、あるいは騙りかもしれないけど、そういう一切の会話、あるいは古い時代に宮廷の女房たちが紫式部殿や清少納言殿の「書き物」を読んでは写し書いた(仏典なんかも写し書いていたらしいのだから、ある意味では「伝統にのっとっている」行為だっただろう)事実、その一切合切の根底にあるインセンティブ・動機、行動させた「思い」とやらがなかりせば、言語は、会話の「言葉」は生じようもなかったであろう。

 ……なんだか、当たり前のことをことさら書いているような気はするし、読まれた方もそう思っておられるかと思う。けど、この部分を無視したり、脇に置いて無かったことのように取り扱うことが、道具としての「言語」に対する理解を大きく歪めている、とわたしは考えるのだよ。

 つまるところ「啓蒙主義」だろうと、神(ローマ・カソリックにおける「主」)の御ワザを証明するための理屈や科学(当時)の構築だの、当面する現実を完全に無視して理論だけを実施・実行する、歴史の上で繰り返される人類の愚挙だのは、道具としての「言語」が兼ね備えてしまった面を隠蔽してしまうことこそが、「言語使用の、そもそもの動機」だ。
 昨今、「フェイク」「フェイク」と糾弾される情景をみかける。「言語」って、そもそもがニセモノ、フェイクじゃん。そんなことは「フェイク」と文句をつける方々だってご存知のハズ、なんだけどなぜか「見えていない」らしい。
 朝日新聞の虚構なコリア半島出身女性による奴隷売春婦強制の話がしょうじて広まるのも「言語」の特性を抜きにしてはあり得ない。
 タナハ、バイブルを持ち出すのは「異教徒」(なにかの教徒という自覚はないが)のわたしとしては気が引けるが、冒頭は「最初に『虚構』があった」とされている。虚構じゃなくて「ことば」だったか。「創世記」ではアダムとイヴは「知恵の実」喰って失楽園、園(その)を追い出されたってことになっている。ヨーロッパ中世のローマ・カソリックは「エノク語」っていう御遣い(天使)の言語を仮想した。時代をはるかにくだって「エスペラント」なんてのも造られた……話者・利用者が居るのか知らんが。

 同じ意味内容を持つ話題であっても、おもしろおかしく語れる、文章表現できる者はもてはやされる。おもしろおかしく語れない、文章としてえがき出せない者は「そっとしておこう」ということになる。愛想笑いでその場を皆がやり過ごす(おいおい)。
 古代ローマを描き出す歴史記述家は、「パン(食事)とサーカス(娯楽、遊興)」なんて端的な表現を生み出したらしい。この言葉が生まれた時代はパンとサーカスは対比していたいのだろう。対立軸っぽさを持っていたのだろう。のちに「人はパンのみにくるにあらず」、精神性も大事、みたいな言説も生じる。二項対立から言えば精神性、合理とか理性とやらは「サーカス」という「暇つぶし」の延長線上にしかありはしない。偉そうな一切合切は、なんのことはない、「ウケ狙い」な他人迎合姿勢の成れの果てだ、ということだ。

 で、まあ、「正体見たり」であったとしても、偉そうな批判などなどがどれもこれも「無意味なり」と言いたい訳じゃない。
 むしろ盤石そうで、永久不変そうなものってのは「バカっぱなし」の延長だよねって深い理解をすべきだ、ただ、それだけだってことを強く主張したいのです。
 ……凝り固まった「ひとつの見方」に固執すれば、すなわち「あやうい」ってことです。別の視点、別の角度からのライティング、見地の出来る限りの多様が大事よね、しかも「ユーモアを忘れずに」眺めることそのものが「道具としての言語」の取説(取扱説明書)には常に書かれているって知っておくべきだと思います。……内藤陽介先生を批難する気はないけれど、「有能の無駄遣い」で闇雲に「矢を放つ」かのような姿勢には、いやいや、ほかにすべき大事なことが山とあるじゃん!って内藤陽介先生ファンとしては思ってしまいます。……どうか「器用貧乏」で終わらないでいただきたい、って願ってます。

 余計を書いてしまった。「しまり」の悪い文章になってしまった。いや、いつものことだ(おいおい)。

 言いたいことは、なんのことはない、柔軟性、柔軟な「思考」を自分自身の中に保つために、「思考」のための道具である「言語」もまた凝り固まった状況、状態にすることのないように、日々の「手入れ」が大事だよってことです。井上陽水さんの「語る言葉が決まれば、つまんない」は忘れてはいけないフレーズなのです(とわたしは思います)。「解釈」も「理解」も、経験を積んだ後には刷新される。そうでないなら、人は「成長」を裏切っているのだとわたしは思います。やどかりは成長すれば殻を換えるものだ、そんな「たとえ」で通じるかしらん。

 ダラダラ書いた。これにてとりあえずおしまい。

(12023.04.29.土 追加)


109. 『YAIBA』

 青山剛昌先生といえばいまや『名探偵コナン』の長期連載の漫画家、という印象なんだろうなあ。
 わたしとしてはいまも印象は更新されぬまま、また『YAIBA』みたいなわくわくする作品をえがいていただきたい……と到底叶いそうもない願いを未だにいだいている。……どう考えても「ムリ」、よね。

 ヒット作があって、安定した漫画家稼業を過ごせることはきっと、不安定な商売としては「好ましい」ことであるに違いない。
 不安定なまま消え去る漫画家は多い、というかわたしが好きになる漫画家で残っている人は多くない(いないわけじゃないよ。大看板の永井豪先生とかむしろ多いと思うけどさ)。『マカロニほうれん荘』の鴨川つばめ先生とか? 今もコミック本は都会の大きい本屋さんにいけば棚に刺さっているっぽい(出版弱者な秋田書店にしては頑張ってるって思う。がち、まじで。『弱虫ペダル』効果だろうか)。
 漫画事業の安定と裏腹に、読みたい作品というものはヒットや長期連載と一致するとは限らない。……わたしがひとり「ひねくれもの」なだけだろうか。そうかもしれない。

 わたしひとり、『YAIBA』みたいな漫画が読みたい!と思ったところで、大勢の読者が求めないなら実現しない、とただそれだけの、世間の隅っこでぼやき節をがなっているだけ、なんだろうなあ。
 どのみち、「あるもの」(存在する作品)しか読むことは出来ないのだから、不満があるなら「自分でこさえる」より他の道はないのだろう。うーん、なんてたかいハードルなんだー、ってもはや棒高跳びよりも高く位置するバーだぜ(笑)。ネタっぽくなっちまったぜ。『化物語』シリーズ『猫物語』のオーディオコメンタリーにおける「つきひちゃん」みたいになってきたぜ。西尾維新先生の罠にどっぷり浸かっちまったぜ。「見惚れる(みとれる)」の「れ」とか流行らないんだぜ。

(12023.04.29.土 追加)


108. 民事訴訟の結審

 津田大介氏があっちゃこっちゃ手当たり次第名誉毀損とやらで訴訟を起こした中の、対上念司氏裁判(地方裁判所)が結審したらしい。
 判決文とかみつからないので(もっとちゃんと探せば出てくる、かも)、ブログ『事実を整える』の当該記事をリンクします。
https://www.jijitsu.net/entry/Jounen-Tsuda-sosyou
(ブログ記事が依拠しているのは上念司氏の動画配信のようです)

 「10万円、支払え」命令をみれば上念司氏の負けにみえる。けど実質は訴訟費用の負担割合は津田大介氏側が "29" に対して訴えられた上念司氏側が "1"。快勝でも完敗でもないのは利害調整という目的のためにある民事裁判ならではかもしれませんね。

 野次馬に興味本位な「物語」を求める第三者からしたら「すっきりしない」オチって感じ、でしょうか。週刊誌ネタとしたら見出しで煽らないと売れそうもない、のかな。
 勝った、負けたはわかりやす表現だけれど、「利害の調整」が一番の目的なんだから、裁判所命令の詳細の方が大事なんだろうな、って方向に関心が向かうことをねがってやまない、とかなんとか上から目線でマウント取る書き終わりにしてみたりして。……そうは言っても日々の暮らしの中で「端折りたい」気持ちは誰にもあるからなあ。むしろ「暇つぶし、娯楽」として情報消費の欲求の方が強いんだろう、けど。だからこそ週刊誌や暴露系のブログや動画に人気が出るんだろうし。

 江戸時代の木版画な新聞、瓦版ってのはご近所の雑談、井戸端会議ではもはや不足な、娯楽・暇つぶし情報授受の需要(デマンド)を遠方からの物珍しい話で埋め合わせる意味合いもあっただろうから、「情報」そのものが「語り」な面があるんだろうしなあ。
 ま、なにが正解ってこともない。

(12023.04.29.土 追加)

 民事の場合、「結審」とか言わないものかもしれないが、まあご勘弁のほどを。法律用語もイマイチ、日常生活から乖離といか遊離というか、分裂っぽい特殊用語や特殊用法があるっぽいんで、と言い訳を添えておきます。

(12023.04.29.土 追加)


107. 尖閣沖合@28日15時 by 29日付け 八重山日報

https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/20784
> 接続水域
> 28日午後3時現在
> 「海警2301」
> 「海警2502」
> 「海警2102」
> 機関砲らしきものを搭載した「海警2204」
> 巡視船が領海に侵入しないよう警告

・AISによる船舶位置と航行方向の表示
https://www.marinetraffic.com/en/ais/home/centerx:123.6/centery:25.7/zoom:11

(12023.04.29.土 追加)


106. 弓道

 アーチェリーに対して和弓とも。

 イリヤアニメの劇場版『雪下の誓い』を観始める。長い(おいおい)。長いって感じるのは漫画の方をちまちまウェブで追いかけ続けていたせいだな。原作漫画の1期2期(無印とツバイ)はアマゾン・キンドル電子版を読んだ。正直、おまけ漫画の方が好き(笑)。ドライでは手抜きで(手抜き、ちゃうわ!)おまけ漫画がないのが嘆かわしい限りだ! まあ、長期連載かつアニメ化でがっぽがっぽな感じっぽい(はたが見るほど内実は豊かでもないかもしらんが)。

 シローが弓道場で間桐桜嬢と二人きりの部活動。「しゃけい」(射形と当て字して聞いた)に見惚れたってところが良いわよねー。あれはいいものだ……とマ・クベさんが神降しで憑依する勢いだよ(憑依、いうなや!神懸りだろ常考)。

 弓道といえば『アイコ16歳』。古っ!我ながら古っ!
 映画にもなった小説ですなあ。
 一つ当たると「いっちゅう 一中」、二つ的を射ると「にちゅう 二中」、全部当たると「回虫」じゃなくて「かいちゅう 皆中」って台詞が確かあったっけ。
 弓道においては的を当てることよりも、射の所作すべてが大切、と耳学問。いいよねーそういうの。剣道や柔道みたいに対人であれこれするんじゃない、ってところが良い。華道とか茶道とかに近い感じが良い。なんというのな中島敦先生の『名人伝』みたいなもんで、究極はやっぱり「不射の射」。所作全て、生きるすべてが「射」なのだわー、とか、てきとーなことを言いたい!(おいおい)
 形(かた)もさることながら挙動のタイミングなんかに弓を射つ人間の全てが出る、表現される、体現されるんだろうね、って点に憧れる。残念ながらいろいろとわたしの人生と弓道は交錯しなかったんだよねー。ざあんねん。好き好んで弓道部のある学校に通おうという努力も特にしなかったし、地元の弓道愛好クラブを探すこともしなかったんだから怠惰、ここに尽きるって感じです。
 ま、「まねごと」くらいは出来る、かな。弓を構え、弦(つる)を引く挙動くらいは、ラジオ体操の「胸をひろげる」みたいな感じで。

 弓っていえば『勇者ライディーン』の武器は(マジンガーとかゲッターロボとの差別化もあるんだろうけど)弓矢だったね。矢はエネルギーみたいな光るやつだったが。

(12023.04.28.金 追加)


105. 柏餅シーズン

 鯉のぼりが風になびく。
 昼間見る分にはよいが 夜、街角からでっかいのがぬーっと尻尾を振ってたりするとぎょっとする。最近ではそこまででかい鯉のぼりを飾るオタクは稀有。屋根から庭に斜めに渡したロープに5尾プラス吹き流しって構成の、ミニミニなのを見かけた。

 大衆向けに安価な和菓子を提供してくれていた伊勢屋さんはあっちでもこっちでも店を畳んでしまった様子だ。
 和菓子屋さんはいちおうまだある。が、若干高級志向。
 スーパーとかヤマザキパンの和菓子が並ぶんだろうけどそこまでして柏餅が食いたいとも思わない。桜餅だと(道明寺じゃない方)食べたくなるんだけどなあ。この春には高級そうな和菓子屋さんでひとつ買って食ったっけか。この店でわたしが一押しなのは若鮎とかいう和菓子。お魚風。中身は求肥っぽかった記憶がある。久しく食ってないな。

 歌に「ちまき、食べたべ兄さんが」とある。ちまきってのも縁遠い。縦長三角の葉っぱに包まれた「おこわ」らしい。コンビニの赤飯おにぎりで十分って気になってしまう。

 5月5日を過ぎれば柏餅は消滅するんだろうなあ。季節もんだから。そういえば冷やし中華はコンビニに早くも大量発生中らしい。

(12023.04.28.金 追加)


104. 『アクビガール』

 とりあえず、1話はタダで観れるっぽい。
https://www.youtube.com/watch?v=ym7qJ4pszhQ

https://ja.wikipedia.org/wiki/アクビガール

 金朋に小桜様にかかず様である。ナレは『装甲騎兵ボトムズ』のキリコさんこと郷田ほづみ先生です。『ドルアーガの塔』でゴルフクラブを振る魔法使いの没落貴族 兼 元メルトランドオーナーな……ま、そんなこたぁどうでもいいか。
26話あるらしいがひとつがめっちゃ短い。一気視聴しても痛痒は少なそう。どっかで有償視聴出来るんかなー。

 dアニメストアで『マッハガール』(2008年 平成20年)を何の気なく観たら、オープニングのサウンドに痺れちゃって。音響監督 兼 ナレーションがメルト……もとい郷田ほづみ先生(元・怪物ランド)で、音楽は稲葉光秀しゅうこうさん。その繋がりでググったら『アクビガール』もメンツ一緒だから音楽、いいかなーって思ったんだが……1話だけではまだわからん(笑)。まあ、音楽方面の期待は薄そうね、とほほ。
 『マッハガール』といえば機関車のUSA大陸横断鉄道運転士が飯塚昭三さんで、いまどーしてるんだっけかーって調べたら今年2月にお亡くなりになっていた(たぶん、前にも調べた気がする。『はじめの一歩』関連で)。あらためてご冥福をお祈りいたします。惜しい「渋い声」をなくしました……鴨川ジム会長役は今後どうするんだろう。渋声声優さんはそれなりにいらっしゃるので杞憂だろうけど……。

(12023.04.28.金 追加)


 『マッハガール』、無償で全話視聴出来るっぽい。
https://www.youtube.com/watch?v=lj-9fI9BGfA
 リストもある。
https://www.youtube.com/@televiva_a/playlists

 オープニングサウンドが削られてる。残念。
 正式じゃないっぽいけどとりあえずオープイングサウンドの付いてる第1話。本編よりこの冒頭のが見る価値が高いって個人的には思うよ。
https://www.youtube.com/watch?v=AXcOrdfDtbo

(12023.04.28.金 追加)


103. 戦争経済・戦争産業、貧困経済・貧困産業

https://www.youtube.com/watch?v=FUtzvDq_koM
 「一時休戦」は双方の武器の補充、という指摘が出てくる。「死の商人」こと武器商人の話題も出てくる。なんだか『ヨルムンガンド』みたいだが『ヨルムンガンド』の方が実際を娯楽作品に反映させて現実味を付与してるってことなのだろう。

 状況というか現状が「そういうかたち」で維持されるのは、さまざまな都合の重ね合わせという偶然はもちろん、あるとしても、「そういうかたち」が好都合なさまざまな立場の人間があればこそ成立するものなのだろう。『サイボーグ009ゼロゼロナイン』のブラックゴーストみたいな存在は、『ドラゴンクエスト』などの和製ロールプレイングゲームの最後に立ち向かう「魔王」と同様にストーリーを盛り上げるためだけにある、具体を備えた悪だ。でも実際の悪は割と不定形で、むしろ「人間同士の関係」の中に生じることが多いのではなかろうか。

 反政府に武器を「無償で」提供する。政府側がそれに対抗して「かねを払って」武装を強化する。武器を売る側といしてはこの構図をほどほどに重ねれば需要はいくらも膨らますことができる。人間が死んじゃったら「警備会社」という名の戦争プロフェッショナル軍団の雇われ兵士を「補充」する道もある。……かね次第。
 青山繁晴氏の短い話の中には出てこないが、政府関係や武器売買人、それらを仲介する人々が正当な手数料を取ることもあれば、身の丈を超えた不正なかねを横から取る(腐敗っていう)こともあるだろう。まわる、まわるよー戦争経済ーってか。

 国家が自立せず国際機関からの援助やUSAなどの有力な国家や元宗主国からの助成で暮らす状態にある、貧困経済、貧困産業もまたそれに近い構図があるのだろうなーと想像する。ガチにマジに調べる気はない。ちょー面倒臭そうだし。

 どちらも、アンダーグラウンド経済に分類されて、従来のマクロ経済学体系からは「外部性」ってことで脇に、隅に置かれてる、って気がします。結局、金額換算で主成分以外は誤差とかなんとか統計学の「科学的」(?)な方法に基づいて省かれてしまえるのはアンダーグラウンド経済とは別の主成分たり得る経済要素が顕在している地域経済だけを相手してれば済む、という特殊な状況において許される「手抜き」なのだろう。宇宙のほとんどが濃密なガス1気圧の下にある訳ではないが、大気の底に生息する人類の様子を論じ先を見通す上では大宇宙に対して極めて特異なこの状況に特化すべしって、いちおう筋は通っていないこともないけれども……。一方で「見えないものは見ない」って態度でいいのか。「見えるものを見ない」ようにしてこの先も済ませられるのか(たぶん、無理と思うんだが)。見えないから「ない」って思っていた「空気」(窒素ガスや二酸化炭素ガス、酸素ガスなどなどの混合気体)は発見された。その発見から気圧とかボイルシャルルの法則とかも出てきた歴史を思えば、経済学という学問体系において「人類の進歩」が起きない道理はないでしょう。……わたしはめんどーだからやんない。誰かやっちくり(おいおい)。

(12023.04.28.金 追加)


102. おばK

 特撮テレビドラマ、子供向け作品に『ロボット刑事Kケー』というのがあった。
 刑事ものというテレビドラマのジャンルが先にあって、有名どころだと『太陽にほえろ』だろうか。『特捜最前線』とか刑事物じゃないけど『ザ・ボディーガード』とか『非常のライセンス』とか先行する大人向けドラマがあった。なので『ロボット刑事K』も割とドラマ性重視の「刑事・捜査もの」……だった、はず、なんだけど。
 人気が出たからなのか、刑事もののロボが2期目には男の子人気をあてこんだのか、武装して肩からミサイル!とかってなってしまっていた。おいおい。
 なんというか、「昭和のノリ、恐ろしい子」って感じである。敗戦後昭和後期、末期の「あるある」だ。敗戦後日本でテレビジョンという娯楽媒体は映画産業を衰滅(滅ぼしてはいないが)させる、大きな力になった。映画づくりのノウとハウ(わけんなや。ノウ・ハウじゃい)は新興のテレビ番組作りにおいて導入された。大画面に対抗するため役者の「顔のどアップ」多様は小画面なテレビジョンとしては致し方ない。

 わたし大好き!テレビアニメーション、テレビマンガとしてはモノクロ・テレビジョン時代からあった『おばけのQきゅー太郎』(藤子不二雄先生の漫画が原作。なんといってもラーメンの小池さんは外せないキャラ。ただし「小池さん家の居候」であって氏名はいまもって不詳であるらしいが。インスタントラーメンっぽい髪型が印象深い)も、映画としてのアニメーションとテレビジョン用のアニメーションとが(制作予算規模と、何年もかけて準備する映画と、毎週放映が期待されるテレビとで制作現場の事情が大きく異なるにせよ)あい争い、あい競い合う時代を映していたんじゃなかろうか。

 まあ、掲題は「駄洒落」だ。駄洒落でひとつ創作でも、と思った。思ったけど、「おばけ」なのか「叔母・伯母」のKさんなのか、おばさんなのか、と攻めあぐねている。
 シンプルな題名だから割と使い勝手はよさそうなんだけど……検索エンジンに上手にひっかかれないうらみもあるか……。

 オチなし。すまぬ。

(12023.04.28.金 追加)


101. 今月のつぶやき(2)

(下から上に書き足します)
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決まったジングルのない動画って、
冒頭で「小芝居を打つ」縛りでもあるんかい?
ってくらい、小芝居が鼻につく。
鼻につくけど、好きだから見るわけだが(苦笑)。
そこで嫌気したら、まあ2度と見ないわなあそのチャンネルは。
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腹筋に負荷をかけた。
……つ、つりそう。
どうやって伸ばしたらいいんだろうか。
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クライン孝子さん、お亡くなりになったのかー。
https://www.youtube.com/watch?v=ZJwNgcOEUII
お歳がお歳なので仕方ないことだ、けれどなんとも惜しまれる。ご冥福をお祈り致します。
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いかん!
もう来月の準備をしないと!……って写真どれにしよーってくらいだった。あーあと文章……は、どうとでもなるかー。
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夏めく。「春めいてきた」って用法はあるが「夏めいてきたなー」は類例がなかろう。ふふふ。
……と悦に入ってる場合じゃない。
夏めいた途端に蚊に食われる。ふともも痒い。
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WWFって、プロレス団体っぽい略称よね。……って日本のダブルなんとかってのが思い浮かぶが、実際にUSAに実在したWWFは環境「破壊」団体WWFにオラつかれてWWEに変えた(変えさせられた)んだよねーそういえば。環境保護じゃなくて、環境関連「ご商売」の互助会って感じ。むしろ環境ギルドか。環境ギルティ?環境クライム?
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ヤクザじゃナイ!
マフィアじゃなナイ!
ギャングな大使さ〜
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『イギリス肉食革命--胃袋から生まれた近代--』
越智敏之著 平凡社 平凡社新書 2018年(平成30) 254p

最寄り図書館の新書の棚に見掛けないなーって思っていたら、キサマは閉架送りだ! ってなっていた。おいおい。

『魚で始まる世界史--ニシンとタラとヨーロッパ』
越智敏之著 平凡社 平凡社新書 2014年(平成26) 237p

こっちは図書館にない。ないので買ったさ。買って手元にあるさ。

『イギリス肉食革命』を閉架所蔵を維持させるために、除籍されないようにするために、とりあえず出してきてもらって借りた。
ま、除籍されてもゲット出来ればいいんだけどさ。新書だから薄いし小さいし。買って手元に置いてもいいんだけどさ。

アダム・スミスさんの、本人のエピソードの薄い(遺言で書類はほとんど処分されてしまったんだってさ。死後出版された書籍は大学の講義を学生がメモってたノートを編纂したものなんだそうですよ)伝記を『イギリス肉食革命』と重ね読んで産業革命前後の社会変化への理解を深めたいものだなあ、と画策している。
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チャットGPTって、捏造作文機械じゃん。
すっとこどっこいゴミ屑じゃん。
あんなの広まったらばんばん「捏造記事」がweb界隈を汚染して、めっちゃ「邪魔臭っ!」ってなる将来しか想像できんな。腹立つ。
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駐日 "反社会" 米大使の、次元の異なる利権産業……
https://www.youtube.com/watch?v=D_cBMBtS4M4
https://www.youtube.com/watch?v=hx0bQkwvYm0
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怖い話かどうか知らんが。
中学校の図書館から放課後にピアノの音が響いていたって記憶がある。
図書館にピアノが置かれていたのかどうか知らない。確かめていない。
ピアノの演奏を誰がしてたかまったく知らない。
ただそういう経験をしたって記憶が(記憶変造された後のことかも知れんけどさ)ある。

そういやぁあの中学校舎って正門入り口の正面玄関(ナゼか鬼門の方角だった気がするが)柱に鏡が貼られていた。アレって軽く鬼門封じだったんだろうか。

いまは建て替えられた母校。
珍妙なことが起きてないことを願うさ。
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『がんばれドカベン』(TVサイズ)の替え歌

抜けないムダ毛があるものか
爪先 使って 引っこ抜く
産毛も多い この身体
すぱん!とイカした アイツだぜ
がんばれ がんばれ ピンセット
先の細いやつ

……ネタかぶりしてそう……まあいいか。
https://www.youtube.com/watch?v=xCTos21Zovk
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オクラの入ってるネットとか、いちおうは「食器洗い」に使える。網目状だから汚れを「こそぎおとす」のには向いている。
……大蒜一個の入ったネットを手に入れる。これも使えるかしらん。
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『雪下の誓い』をみる。
つくづくシロー(士郎)はどの世界でもお料理っ子だなあと。
劇場版は長いなー、とか思った途端にケリー・切嗣さんが「長くない」とか言い出すし……ドウイウシンクロニシティ?苦笑
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アブラムシ(はねつき)シーズンである。

飛んで目に入る春の虫……入んなや!
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『喰霊--ゼロ--』は退魔師の物語。作中で「お役目やくめ」といえば魔を退治することだけれど、「お役目」のある人は簡単に死んではいけない、問い言葉は万事に通じることだと思う。
政治家の故・安倍晋三氏にしても、現在の日本国総理大臣岸田文雄氏にしても、そのほかの国会議員も行政官も。
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『陸上防衛隊まおちゃん』の印象が薄いのは、結局フったネタの「謎の力」とか、宇宙人とのハーフの存在とかを作中で語らぬまま終わったからっぽい。
何度見ても、なんも残らない。
パロ作品として嗜むにはパロディ性が希薄だし。
戦車、航空機、謎の潜水艦と平仄が揃ってないってところも、観ていて腑に落ちない。腑に落ちなさ加減が印象を薄くさせている、そんな気がします。

まあ、どうでもいいんですが。
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「おばけ」って言えば、けっこうヘンな経験をけっこうしてる。「おばけ」かどうかは不明。
団地住まいだった幼少期、夜中に目が覚めて「ぶーーーーーん」という音がする。どこから?
玄関の外、団地の敷地内に立つ街灯? 敷地を照らす照明が立てる音だった。
夜中、静かだから際立った。それにしては寝室にまで音が届くの、おかしくない?
そっと外に出て、その街灯の下までいって音源を確かめた。その後に特に展開はない。しばし見上げてどうもできんので家に戻って玄関戸締りしっかりしてお布団に戻って寝た……オチも何もない。
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思い、思われ、振り、振られ。
背中にニキビができちゃった……吹き出物だろ どーせ。
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(下から上に書き足します)


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117. 作画とは何か、作画崩壊とは何か
116. 人間は、常に型から踏み出ていく
115. 孫の手
114. 『蒼穹のファフナー』
113. 「生物」という現象
112. 尖閣沖合@29日15時 by 30日付け 八重山日報
111. 熱に関すること
110. 話し言葉の動機
109. 『YAIBA』
108. 民事訴訟の結審
107. 尖閣沖合@28日15時 by 29日付け 八重山日報
106. 弓道
105. 柏餅シーズン
104. 『アクビガール』
103. 戦争経済・戦争産業、貧困経済・貧困産業
102. おばK
101. 今月のつぶやき(2)
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