『言語コミュニケーション』と『非言語コミュニケーション』じゃないんかーい
今回は特になんの役にも立たない記事書いてみました。ただの日常です。
前提
ご存知の方も多いかもしれませんが、日本語は『空気を読む』という言葉が浸透するほど、文化的に「非言語的なコミュニケーション」が割と大きなウエイトを、もつ言語です。
そんなことが先日読んだ記事のおかげで、いつもより大きく頭の片隅にあった状態で松屋に行った時のお話です。
松屋でランチしたときの一コマ
この間松屋に行った時に、中国人の女性店員が割れた生卵を普通に出してきました。
【卵割れているんですが。。』と言ったところ、
『は???』という顔(声は出ていない)をされました。
一瞬『何?この反応は。自分の主張は間違っていないまず。もしや日本語がわからない?』と思いました。
『いや、そんなわけがない。他の理由はないか?非言語コミュニケーションが多い日本人なら当然”新しいのに変えてほしい”という意図が含蓄されているのが理解できる。しかし、きっと中国はより言語的なコミュニケーションに重きを置いているので『卵が割れているので新しいのに替えて下さい』まで言わなければならなかったんだ自分が間違っていたんだ。黙っているとお互い気まずくなる、よし言い直そう』
と瞬時に思い直しました。(この時の頭の回転速度はこの週1番の生産性を記録)
そして、外国人とコミュニケーション慣れしているはずなのに、日本語喋ってると完全に日本文化で押し付けてたなぁと思い、少し反省も込めてナイスな感じで『卵新しいのにしてもらえますか?』と頼みました。(クレーマーになりたいのではなく、普段はあまり気にしないのですが、卵は割れていると賞味期限が急激に短くなり、非加熱で割れている卵は著しく健康リスクがあがるため仕方なくの依頼)
そしたら、店員の中国人女性は、
あからさまに不機嫌、そう一般的に言う半ギレ状態で、卵が割れるか割れないかギリギリの衝撃で軽く投げるようにかつ、卵が回るよう若干の回転を加えて、無言で提供してきました。
『単に機嫌悪いだけかーい』
(無言で卵だけがクルクルクル、、、)
終
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