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怒りがあったんだ

娘の七五三の着物のはなし。
七歳のとき。
三歳の時に新調してくれた着物を、
仕立て直すと聞いて義母に預けたら、
丈が足りないからと
古い義姉のお古の着物を仕立て直して送ってきた。
気持ちはありがたかったけど
古くてシミが所々あるのが気になってしまった。

綺麗な着物着せてあげたかったな。
この気持ちを
そのときに感じずに蓋してしまった。

ありがとうございます、と使わせてもらった。

娘のためにと用意してもらい
汚い、って言うのはこころが痛い。
シミがあることを無いかのように、
触れないように、
事が過ぎていった。

これは
義母のマゾキストのよかれと思ってからの
贈り物だったな、と思う。
うん、と受け取るしか無いような感覚。

預けた綺麗な着物は返って来なかった。
アレっ?どうなるの?て思ったけど。
もともと義母が新調してくれた着物。
こちらのものだと思わなければいいや。
なんだかモヤッとしながら
蓋をしていた。

本当は、

うちの子の綺麗な着物をほっておいて
勝手に汚い着物押し付けてくんじゃねえよ。

という怒りがあった。
けど、蓋していた。

それから3年経った、最近のこと。
弟夫婦から、
娘の着物を貸してもらえないかと連絡があり、
あの時に預けたままだったと義母に聞くと

そんなのうちには無い
という。


怒りが吹き出した。

忘れてたつもりだったのに!

怒りがあったんだ、、、。
自分でもびっくりした。
いい子マスクで大丈夫って隠してたんだ。


やっぱり蓋をしていても
潜在意識には入っているんだな。
とよくわかった出来事でした。


さて。


私の自己責任の場所は、
相手に期待をしすぎていたところ。
結果の責任、権威を明け渡しすぎているところ。

そして所有の執着もあったような。
所有していたら安心?
着物、、、ね。

わたしはこれまでの人生
着物なんて作ってもらったこともないし、
持ってもいない。
娘の着物を新調してもらって
すごく嬉しかったんだ。
私にはそんなこと縁のない事と思っていたから。
娘には与えてあげられて嬉しかった。

ではなぜ3年前のその時、アレっ?と思ったときに言わなかったのか。
うちにあっても義母の家にあってもまあ同じか。って、思考や、空間的なバウンダリーの境界線が滲んでるな、、、。
私もなかなかのマゾキストさんでした。

さあさあ、
過去には戻れない!
今、自分の中の何に力を持たせる??

着物を作ってもらった喜び
感謝していることを自分に残しておこう。
そして、また機会があれば感謝を伝えよう。


怒りもあった。
そして、喜びもあったんだ。
自分の凸凹がみえました。
やっぱりみせてくれるものなんですね。

✳︎

子供のころ、
自分で好きに服を選ばせてせもらえなかった。
そして
汚くするな、みすぼらしくするな、笑われる。と、たたずまいを正されて。

汚い着物が、おしつけられたと感じて
子どもの私は怒りと混乱に入ったんだな。


いやいや、待て待て。
私は今大人です。

そして
自分には選ぶ自由、喜びがいつもあります。
そのために工夫したり、
助けを求めることもできます。

汚いから誰かに笑われるから、ではなくて、
それは快適か、愛を感じるのか、
自分がどう感じるかの場所から選びます。

今、何が起こっているか。
何を感じているか。
今この瞬間の連続が
自分の現実創造になるんだってことです。

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