自己紹介 真面目で頑張り屋さんの3人きょうだいの長女。ずっと誰かに認められたくて頑張ってきました。初めての出産、産後の体調不良が長く続き、病院通い、動けない、そんな7年近くの奮闘。子どもの幼児期の間はまともに子育てできたと思えませんでした。 自身の不調と、さらに子どもの食物アレルギーを経験する中、これまでの自分の知っていることだけではどうにもならないことを理解しました。真面目な私は、倒れながら、這いつくばって勉強しました。そして辿り着いたのは、こころの学び、キャラクトロジ
もしかしてのふとしたメモ お腹いっぱいになると動けないのに、 溢れるくらいお腹いっぱい食べたいの。 その時、 ああ目的を果たした〜って達成感。 (そして重い体を感じる) 人生の目的地や目指す星が あたかもそこであるような。 おっぱいをしこたま飲んで ああ満足〜、幸せ〜って 満たされた赤ちゃん、オーラルのような。 あら? これがずっと続くと思ってない? このニーズは子どものニーズじゃない? 誤解じゃないかな? 人生の目的、わたしの目指す星、 ベクトルを見失なって ズレる瞬
誰もが自分で自分を大切にできる世界。 母に褒められる 外側に認められる世界ではない。 ほおっておくと そっちに向かっちゃうから気をつけて! 私の目指す世界。 それはどんな感じ? それは スペースがあって、すごく安心。 攻撃も侵入もない。 尊重されている。 すごく居心地がいい^^ それを感じる世界。 この状態をつくるために どんなグループ、集団が必要?? 自分はどんなグループを作りたいの? 自分だけが学び 他の人が学んで無い世界は、、、 攻撃されまくり
今日も美穂子先生のお話しから。 すごく納得した。 相手を信頼するのは 相手の判断を信じることではない。 相手を信頼できるかどうかという 自分を信じることができるかどうか。 信じるかどうかは いつも 外側ではなくて内側 自分への信頼を育てること。 ✳︎ いつなんどきも 権威は明け渡してはいけないんだなー。 瞬間、瞬間の反応で いとも簡単に権威を明け渡して 子どもの意識になってしまうものなのね。 最近つくづくそこに行きあたる。 ✳︎おまけ うつにな
あらゆる感情は現実創造の種。 ああ美味しい!嬉しい! も ううっまずい、、怒り💢! も 感じると次に繋がるエネルギーになる。 どんな感情もエネルギー源。 どんな感情も感じることが必要。 感じていい。 感じてはいけないと誤解して 蓋をするから 感じるまで何度でも同じ現実創造を繰り返す。 そこからどんな選択をするか。 が自分のクリエイティビティ。 その感情は本当の感じたかった感情? こわ〜い!!は本当の恐怖ではない。 感情的反応。 本当の恐怖は 止まって、瞬時に凍り
いつもそうだけど、 他の方のお話やシェアからの学び 自分にも必ず響くところがあるから貴重。 ✳︎ 繋がりたい、は思考的反応。 真のニーズではないそうだ。 そうなんだー。 ニーズは、傷の側でエッセンスを手放した場所。 繋がるってどういう感じ? 浅いところのハートだけ? もっと深い繋がりがあるのだそう。 まだ知らない世界、 知らないけど方向性が見えているのは幸せ。 ハートはいつも繋がりあいたいわけではない。 拒否したい時もある。 NOと言われる時もある。 繋がらなくても
雲の切れ目から一筋の光を見つけたときのように、その人のエッセンスを見つけたときの嬉しさ。光を放つ本人からはその光を放つ姿は見えない。私を通して映し出されている。
あまり普段は本、特に小説を読まない私が この数年の間に出会って手にして 素敵だなと思った作家さんのひとり 小川糸さん この方のエッセイ【針と糸】で 慈悲の瞑想に出会いました。 その頃私は 心身共に抜け出し方さえ全くわからない 悩みの渦中、こじらせの渦中の渦中でした。 もう自分には何もできることがない。 白旗あげた状態、 自分で呆れるほどでした。 祈ろう。 とあるとき思いました。 思い出した、という感じでもありました。 (かつて毎日祈っていた時期がありました。)
生きること 自分を生きる 自分の中を生きる 自分を解きほぐして理解していく 今この瞬間にいつもヒントと答えがある。 外側に対しての反応は私の幻想の世界 あらまあと ひらすらひたすら気がついて。 私の光が本当に内側から放たれ どこまでも響き合うことを願っている。 曇りなき光を 放ちたい 響き合いたい 届かない光は幻想の世界に向かったもの。 途方もなく纏った鎧も 自らの愛だけど もういらなくなれば 教えてくれる 意識の機能からそっと抜け出し ひたすらひたすら気がつい
娘の七五三の着物のはなし。 七歳のとき。 三歳の時に新調してくれた着物を、 仕立て直すと聞いて義母に預けたら、 丈が足りないからと 古い義姉のお古の着物を仕立て直して送ってきた。 気持ちはありがたかったけど 古くてシミが所々あるのが気になってしまった。 綺麗な着物着せてあげたかったな。 この気持ちを そのときに感じずに蓋してしまった。 ありがとうございます、と使わせてもらった。 娘のためにと用意してもらい 汚い、って言うのはこころが痛い。 シミがあることを無いかのように
先日参加した松山プロセスグループでの 気付きのアウトプットです。 私はパワフルな母のもとで育っています。 幼少期から、たくさん暴言や暴力はありました。 (それをそのように認識してませんでした。 そしてどこかで、母もその時仕方なかったからと理解して許したつもりでいました。) ✳︎ 自分の感情的反応を認めるって痛いけど大切! 衝撃だけどね。 それを認められれば、 それは真実でないと認めれれば、 同じような親の感情的反応も 真実でないと 認めることができる。 小さな子ど
ヒーリングを定期的に受けるようになり、 まだ不思議だけど、体感がヒーラーさんに伝わる、そして言葉で伝えきれないものを汲み取ってもらい共にいてもらうという体験をしています。 どうしようもなさの中に入っているときのハートの痛みやとまどいがふわりと緩み、呼吸が入る。ヒーリングの後からもじわりじわりと世界が優しく感じられる。不思議!! ✳︎ さて、ある日のヒーリング中の記録。 ヒーラーさんから、 ヒーリングの主役はあなたですよ。 と伝えられました。 そして ヒーラーさんは私の
最近痛感するから。 自分のための、健忘録。 なんでこんな体験しなきゃなんないのよって。 残念だけどそれは自分に必要な体験だから。 足りないもの、いらないものの凸凹が フラットになるためのね。 なんか屈辱っ!て思ったとしても 例えばそれは 私には気がついてないものがあるからの体験。 つまりそれを取り戻すための体験。 あらま〜、はいはいそうなんですね。 まじか〜、まだこれ残ってたんかいと。 もう フンワリ受け入れてみちゃえば良いかもなあ。 愛を持ってそれを見てみたら、、
先日、キャラクトロジー心理学協会でのイベントがありました。新しいマスターさんが自分の入門講座をして参加できるものでした。 (こちらで案内できなかった、、amebloでご案内しておりました) 今年の春にマスターを取得していた私は参加資格があり、参加するか揺れていました。 新しいチャレンジは自分の成長に繋がるということはよくよく理解しているつもりです。 が、 今回はどうしても自分のタイミングだと思えない感覚。なかなか動けない自分がいました。 でも、ただ目の前をこのイベント
この3日で、 朝夕だけでなく一気に冷え込みました。 そう、3日前の夕方のわんこの散歩の時に あら?風が変わったな。 っと感じました。 冬の、びゅーびゅー、ずるずると、 悲しいくらい終わりなく吹きさらす 冷たい風の気配を感じて、 胸がざわざわとしました。 小学生の頃から 寒いだけでわたしはなぜか辛くなるんだよね。 って気付いていて、不思議でした。 そして、悲しくなりぼーっとして抜けます。 自分が冷えているということさえ、 当たり前すぎて 普通だと諦めていました。 私は
今日はつらつらと書きながら自分をみていく、 記録。 子どもの髪の毛が上手に洗えない。 なんかいらいらしてしまう。 泡が目に入っても気が付かないし、痛いと言われるくらいゴシゴシしてしまう。 いつもそう。 なんで、こうなっちゃうの?! はい、みていきます。スタート。 わたしも母に優しく洗ってもらった記憶はない。記憶の中でも 早く早く、早く終わりたいといった 母のイライラしたエネルギーしか感じない。 もっと優しくと訴えても却下。 私はどうしたらいいかわからない無力感や屈辱感