応援を科学する<335/1000>
【ラジオ体操637日目】
『ニコチンレス生活358日目』
こんにちは。
開業すると時間が自由になって羨ましいと言われることもあるけれど、定時という概念も給料日という概念も無いので、不安が消えることは無くて、会社員が羨ましいと感じることもある社会不適合者コマリストです。
今日は『応援される人と組織』というテーマで書いていきたいと思います。
誰かに応援される生き方と、一人きりでやりきる生き方
どちらが良いということは無いですが、あなただったらどちらの生き方をしたいと思いますか?
何となくですが、応援される生き方の方が良いと考えている人の方が多いんじゃないかと思います。
では、応援されるために自分の考え方や行動を変えなければいけないとしたら、そこにストレスは無いでしょうか?
今日は、応援される生き方を求めるのではなく、応援することが当たり前のコミュニティに参加する方が生きやすいというお話です。
自分を曲げてでも応援されにいく”忖度”みたいな行為は、あまり好きくないんですよね。。
ワガママすぎる組織
昨日、とある会社で働く社員の方から面白い話を聞きました。
その方が働いているのは、従業員数が1,500名を超える中堅企業で、私の住んでいる地域ではトップ10に入るような会社です。
先日、惜しくも亡くなられた京セラの名誉会長である故・稲森和夫氏の考え方を踏襲した経営を行っており、従業員の育成にも力を入れている非常に素晴らしい会社。
#優良企業
#保護者が入れたい会社
とはいえ、どんな会社にも大小さまざまな問題があるのが当たり前です。
聞かせてもらった話も、多くの会社でよくある話なのかもしれません。
その方が勤務しているのは、この会社で製造されている製品の原料を、製品の含有量に合わせて計量するという部署。
この部署で計量され、製品ごとに分けられた原料は、次の工程で混合されて、さらに1製品単位に分けられ、錠剤タイプのものは打錠して専用ケースに入れられるし、粉末タイプのものは粉末のまま専用袋に個装されます。
と、複数に分離する工程の中でも最上流の部署で働いています。
ちなみに組織としては、『計量』『混合』『打錠』『充填』・・など、工程ごとに最小単位のグループが組まれ、その上には製品単位でのグループが組まれているという感じ。
当然ながら、計量工程が忙しい日もあれば、混合工程が忙しい日もあるという状態です。
#どこの会社でも
#あるある
あ、面白い話はここからです。
社員K
『最近、私がいる部署が少し暇になっているから、休暇を使う社員が増えてるんだよね』
コマ
「良いことなんじゃない?繁閑がある仕事なら休める時に休めばいいから」
社員K
『それがね、あまり社員が休むと、別の工程から”そんなに暇ならこっちを手伝ってよ”って言われちゃうから、上長が困ってるみたい』
コマ
「え?手伝えばいいじゃん。同じ会社の仲間でしょ?」
社員K
『そうなんだけど、今は暇なだけだから、こっちの人員を減らされたら困るってことみたい。』
コマ
「ん~けど、こっちが忙しい時って、その工程からヘルプ着てもらってなかったっけ?」
社員K
『来てもらってたよ。』
と、ここからまだまだ話は続くわけですが、なんてワガママなことを言ってるんだと思いませんか?
自分が忙しい時は手伝ってほしいけど、こっちが暇なときはヘルプには行きたくない。
#なんだそれ
#やばくないですか
よくある話なのかもしませんが、本当に良い会社だと思っているからこそ、なんだか残念だなと思ったのが正直なところです。
応援が当たり前になるまで
さて、冒頭の話に戻りますが、この組織の人たちの働き方は応援される仕事の仕方だと言えるでしょうか?
もちろん私の答えは”NO”です。
といっても、ワガママすぎるから応援されないというわけではありません。
私が話を聞いている限り、Kさんが所属している工程は、次の工程と同じグループに所属しています。
となると、同じ会社である以上に、会社内の同じグループに所属しているわけです。
そのグループに対して自分たちのわがままを優先するということは、同じグループに所属していても、次の工程を【仲間だと思っていない】状態だということです。
では、応援はどういった条件において発生するのか。
私は、応援というのは、考え方や生き方、在り方などなど共感する”何か”があってはじめて生まれてくるものだと思っています。
そして、同じ会社というコミュニティに参加していれば、当然ですが同じ経営理念・ビジョン・ミッションの元で働いているし、同じグループであれば、同じ目標に向かっているはず。
#共感が生まれやすい
ということは、互いが”仲間である”という意識をもって仕事をすることが出来ているだけで、応援は自然と発生すると思います。
つまり、ワガママな考え方に基づいた行動をとっているというのは結果論であって、そもそも仲間意識が希薄だからこそ相互に応援するのが当たり前という組織になっていない。
この組織に限らず、応援が当たり前になるためには、敵対関係を作らず、心から仲間だと思えている状態が重要で、その先に応援が当たり前のコミュニティというのが出来上がるんだと思います。
Kさんのおかげで、これから先重要になると言われている”応援”について、深く考える機会をもらうことが出来ました。
話題提供者であるKさんに感謝しつつ、私の気づきと学びを共有しておきます。
じゃ、またね~!