思い出すだけで吐き気がする
【ラジオ体操65日目】
こんにちは。
都合のいいことばかり記憶にしっかり残っていて、都合の悪いことは一瞬で忘れてしまうので、色んな人からいつも怒られてしまうコマリストです。
今日は『思い出の良し悪し』というテーマで書いていきたいと思います。
できることなら忘れてしまいたい思い出(黒歴史)って、誰にでもいくつかあると思います。
私は、何度も書いてきているように、社会人になるまでは本当に不真面目な人間だったので、21歳より前のことを思い出すと、ほとんどが黒歴史という笑えない状態です。
といいつつ、やっぱり良い思い出というものもいくつかはあるので、あらためて『良い思い出』と『悪い思い出』をどんな基準で決めているのか?ということについて、考えてみました。
思い出の良し悪しなんて、法則性は無いんじゃない?良いものはいいし、悪いものは悪いじゃん!
と思われてしまいそうですが、実際には同じような出来事でも、良い思い出としてネタ的に振り返ることができるものと、忘れたいレベルのものに分かれているような気がします。
コマリスト的、判断基準について一つの考えとして読んでいただけると、何かの気づきがあるかもしれません。
良い思い出と悪い思い出
思い出の良し悪しについて考える上では、”良い””悪い”の定義を明確にしておく必要があると思います。
ということで、めちゃめちゃ個人的ではありますが、こんな風に分けて考えてみました。
良い思い出とは、
思い出すと、気分が良くなるような思い出に加え、しんどかったことであっても、今は笑いながら話せるようなもの。
悪い思い出とは、
思い出すと、テンションが下がってしまうような思い出であり、出来れば人に話したくないし、忘れてしまいたいようなもの。
こんな感じですかね。つまり、『今の自分にとって』どうなのか?ということを基準として考えてみるということです。
そう考えてみると、いろんな出来事が2つに分けることができます。重要なのは、全く同じことを経験している2人以上の人がいた場合でも、人によって『良い思い出』or『悪い思い出』は異なるということ。
で、この”本人にとって”という部分について、良し悪しを判断する際の基準になるものがありそうだなと思うわけです。
良し悪しを決めるもの
何が思い出の良し悪しを決めているのか?
これについても完全に個人的な意見ですが、私は『物事の結果』が思い出の良し悪しを決めているんじゃないかなと考えています。
例えば、仕事において考えてみましょう。
納期も非常に厳しくて、相手先も重要な顧客なのに、どうしてもうまくいかない状況に追い込まれているとします。
こんな状況では、寝る間も惜しんで必死に間に合わせようと努力して、2日3日の徹夜をしながらでも立ち向かわない状態になることもあると思います。
#昭和だけなのか
#今でもたまにある
この仕事、何とか納期までに間に合ったという"結果"を得られた場合、関わったメンバーの多くにとって、”しんどかった時期”は笑いながら語ることができるような思い出になる気がします。
けれど、もし間に合わなかった場合にどうなるのか?当然ですがお客さんに謝り倒して、何とか納期を伸ばしてもらえればいいですが、それも無理で会社に損失を与える結果となった場合。
少なくともその瞬間は多くのメンバーにとって、”しんどかった時期”を振り返りたくないですし、こんな仕事を受注するから悪いとか、無理な要求をしてくる顧客が悪いとか、第三者を責めるような考えも出てくることがある気がします。
もちろん、この先に別の仕事で”良い結果”を得ることができた時には、『あの時はしんどかったよね』と笑いながら話せる日が来る可能性があるので、絶対に悪い思い出であり続けるというわけではないです。
仕事だけではなく、家庭も恋愛も、趣味も友人関係も”結果”の良し悪しが、思い出の良し悪しを決めていることが多いような気がしませんか?
良し悪しを分ける理由
では、なぜ思い出の良し悪しを分けて覚えている必要があるのか?
それは、結果が伴わなかった時に、それを悪い思い出として記憶しておくことで『自分自身の心を守っている』ということだと思います。
一生懸命頑張ったのに、良い結果が得られなかったということは、何かしらの理由があるということです。
当事者である本人は、少なからず責任みたいのものを感じているわけで、”悪い思い出”として記憶しておかないと自分を否定し続けることになるので、心が持たない。
ということで、人間の防衛本能みたいなものが働いた結果、思い出は単なる事実として記憶されるのではなく、『良い』『悪い』というラベルを付けて記憶されることになる。
過去にひどいことをされた彼氏でも、結婚という良い結果を迎えていれば、”あれは無いよね~”とネタとして話せますが、破局していたとしたらどうでしょう?
#つまり良い思い出
あんなことをする奴とは別れてよかったと、”ひどいこと”は完全に悪い思い出として記憶される。そうしないと、別れたことを後悔し続けて、耐えられなかった自分を責め続けることになるので、心が壊れますよね。
ということで、思い出の良し悪しは、自分の心を守るためにラベルを付けて記憶している本能的な働きの結果だということです。
まとめ
今日は『思い出の良し悪し』というテーマで、記憶に残っている思い出がどんな基準でいい思い出と悪い思い出に分けられているのかということについて書いてきました。
実際、良い思い出と悪い思い出というものは、それぞれたくさん存在しているものですが、これを全て良い思い出に変える方法は無いものでしょうか。
私の考えている通り、結果がその良し悪しを決めているとした場合、悪い結果の先に、別の良い結果を得ることができれば、塗り替えが可能なんじゃないかなと思います。
さらに言えば、悪い思い出の中から、何か一つでも学び取ることができるようなものを見つけられれば、今の自分を成長させた養分としてとらえることができる。
悪い思い出も良い思い出も全て含めて、今の自分が在るんだから、今の自分が理想の自分に少しでも近づいているのであれば、悪い思い出の出来事も必要なものだったと言えると思います。
といっても、無理やり良い思い出に変える必要もないのですが。。
思い出したくもない思い出の中に、今の自分を創っている”良い要素”を見つけることができたら、少しだけ気持ちが軽くなって、さらに前進することができるんじゃないかなと思うわけです。
時間と心に余裕があったら、悪い思い出の中にある良い要素を探してみて下さいね。
じゃ、またね!