褒めるって悪いことなの?〈82/1000〉
【ラジオ体操387日目】
『ニコチンレス生活108日目』
こんばんは。
文章力を褒められる機会が明らかに増えてきていることに味をしめて、プロから文章術を学ぼうと企んでいるコマリストです。
今日は『大人こそ褒めて伸ばせ』というテーマで書いていきたいと思います。
教育の現場には、褒めて伸ばすことを重視する考え方と厳しく叱って矯正することを重視する考え方があります。
私は教育の専門家では無いので、どちらが正しいのかということについては、よく分かりません。
ただ、最近はどちらかというと”褒めて伸ばす”ことの方が良いことだと考える人が増えているように感じます。
私はどちらかというと厳しく叱ってもらわないと怠けてしまう性格だったので、厳しい教師に対する感謝の気持ちの方が強く残っていたりするんですが・・。
褒めて育てることが教育の現場でも重視されるようになったのは、まだ最近のこと。
はたして褒めて育てられた子供達はどんな大人に成長していくんでしょう。
今日は、褒めて育てられるべきはむしろ大人の方なんじゃないかというお話です。
どうしてもモチベーションがあがらなくて、挑戦が続かない人に読んで貰えたらと思います。
”褒め”から得られるもの
さて、最近誰かから褒められたり、叱られたりした記憶はあるでしょうか?
社会人でこの質問に「YES」と答えられる人は、すごく幸せな環境にいると思います。
ほとんどの人が、社会人になると誰かから叱られたり、褒められたりすることがなくなっていきます。
もちろん、そんなものなくとも自分自身で心を強く持ち、挑戦と成長を続けられる人もいると思います。
けれど、これが出来る人はそんなに多くないはずです。
少なくとも私は無理です。
それなりの成果が出れば、満足して手を緩めたくなるし、長期間成果が出なければ諦めたい気持ちにもなる。
こういった気持ちになった時、気持ちを奮い立たせ、再び前を向く力になってくれるのが、第三者からの承認や叱咤激励です。
しかし、”育てる”という愛情を持った『叱る』という行為は、ブラック企業という言葉が広がった頃から無くなっていきました。
同じく、過度な干渉を良しとしない風潮が、褒めるという行為も減らしていきました。
”褒める”という行為は、上下関係の象徴だから良くない。
こんな考え方もあるとは思います。
#アドラー心理学
#縦の関係
けれど、褒められることで、前を向いて挑戦と成長を継続できるのであれば、褒めるという行為も悪くないと思うのは私だけでしょうか。
大人こそ褒められるべき?
褒めるという行為は、挑戦者の気持ちを奮い立たせ、成長を促すものである。
こう考えている私は、大人にこそ必要なものだと思っています。
というのも、9割以上の人が子供の頃に褒められて嬉しくなって頑張った経験があるから。
褒められるために頑張るという状態は健全では無い!
そんな意見もあるかもしれませんが、そんなことはどうだっていいんです。
重要なのは、褒められるために頑張った原体験をほとんどの人が持っているということ。
つまり、褒められるということに喜びを感じ、その喜びを得るために必死になるという経験を持った人が大人になっている。
けれど、先程書いた通り、この喜びは社会人になると得られる場所がほとんど無くなってしまうんです。
私は、このことと、新たな挑戦をする社会人が減少していることに相関関係があるような気がしているんです。
褒めてもらえなくても頑張るのが大人だ!
こんな厳しい考えの人もいるかもしれません。
そんな人は、ただひたすら挑戦と成長を継続してもらえたら良いんです。
でもね、私は褒められることが大好きだし、褒められると頑張れるんです。
もっともっと上を目指したいと思えるんです。
皆さん同じ原体験を持っているんだから、私と同じような人も少なくないはず。
ということで、意思が弱くて、頑張る理由が欲しいコマリストのお仲間さんにオススメします!
意図的に承認される環境を探し、そこに身を置くようにしてみて下さい。
もしも見つからなければ、あなたの味方であり続けてくれる友人や大切な人に、挑戦を話してみて下さい。
きっと、これまで以上に挑戦へのハードルが下がり、成長速度があがると思いますよ。
じゃ、またね!
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