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落語が教えてくれること<452/1000>

【ラジオ体操754日目】
【ニコチンレス生活475日目】

こんにちは。
AIの進化スピードが早くなり、2045年になると言われていたシンギュラリティが2025年に短縮されたけれど、人間の脳を超えるものが存在すると信じられない時代遅れおじさんコマリストです。


今日は『4度目の落語会から学んだこと』というテーマで書いていきたいと思います。


あなたは落語を聴いたことがありますか?


噺を聴くだけというシンプルな伝統芸能でありながら、熱狂的なファンが多い落語ですが、自ら望んで聴きに行くという人はあまり多くない印象があります。
#機会が少ない
#分からないことが多い


噺家さんが着物を着て芸を披露するからなのか、敷居が高いと勘違いしている人が多いですが、もともとは町行く人たちを楽しませるために大道芸として披露されていたものなので、大衆に親しまれる娯楽の一つだったわけです。
#歴史があると
#敷居が高く感じるよね


かくいう私も、4年前までは触れたこともなく、全く興味が無かった人間の一人です。


一度でいいから生で落語を聴いてみてほしい
あの感覚は一度味わったら癖になること間違いなしです。
#絶対に
#損はしません


今日は、自分磨き活動である月イチ芸術を始めるきっかけとなった落語会を4年連続で聴きに行った結果、また一つ新しい気づきを得ることが出来たというお話です。


騙されたと思って落語を聴きに行く人が1人でも増えたら本当に嬉しい限りです!

落語ってすごい

寄席

昨日の記事で予告編を書いているので、読んでくれている人はご存じのとおりですが、昨夜私の人生史上4回目となる『春待ち二人会』に行ってきました。

4回目ともなると、文枝師匠や志の輔師匠が舞台袖から出てきただけで、感情が動いてしまう状態になっていた私。
#噺すら不要


今年はどんな噺を聴かせてくれるんだろう。


毎年のように私の期待値を軽く超えてくれる2人の師匠の落語には、噺を始める前から期待感と高揚感でソワソワしてしまいます
#想像の斜め上
#本当にすごい


冒頭、落語というものがどれだけ異質であるかという話がありました。


世の中に存在する”芸事”の多くは非常に華やかで、色んな仕掛けがあって、観ている人を飽きさせない工夫がたくさんされている。


だけど、落語だけは全く違っていて、噺家は高座に座って口から発する言葉と身振り手振りでお客さんに”伝える”だけ


これを観て、聴いているお客さんが自分たちの頭を使って勝手に映像をイメージして、それを楽しんでいるというのが落語という芸能。


つまり、全く同じ空間にいて、全く同じ噺を聴いていても、観ているイメージは100人いれば100通りになる。


志の輔師匠は、『お客さんが自分の頭で想像してるということは、噺を聴きながら仕事をしてくれているってことなんです。しかも、お金まで払って!』と面白おかしく話されていましたが、これって本当にすごいことだと思います。
#BBQと同じ
#いちご狩りとか


ほぼ全てのエンタメにおいて、お金を払ったお客さんというのは”働く”ことをしません。


あくまでお客さんとして観る・聴くに専念して、それを楽しむというのが一般的です。


視聴者参加型のエンタメは、満足度が高くなるというのは、シルクドソレイユやブルーマンから学んでいましたが、落語以上に視聴者が参加するエンタメは存在しないと新ためて気づかされました。
#多くの人がハマる理由


そして、今日本において落語を研究し、落語家を志す若者が増えているという事実があるそうです。


文枝師匠が落語界に触れた当時は、東西合わせて400名程度の志願者がいたそうですが、2023年の現代は何と東西合わせて1000名を超えているらしい。


『少子高齢化だ!と言われている中で落語界だけはどんどん入門希望者が増えているというのは、何が起きてんでしょう?このままだと国民全員が落語家になって、お客さんがいなくなっちゃう』


文枝師匠もこんな言葉で会場を沸かせていましたが、夢を持たない若者が増えている現代において、伝統芸能である落語に若者たちが魅了され、夢を与えているというのは本当にすごいことだと思います。
#素敵すぎる世界


落語ってなんかすごそうだなと思ってもらえたでしょうか?

4年目の二人会

一流とは

さて、ここからは私自身が、昨日の落語会で感じることが出来た感覚と学びのお話について書いていきます。


昨日、どんな演目があったのかという話はしないので、興味がある人は来年の2月に会場でお会いしましょう!


ということで、過去4年間を簡単に振り返りながら、昨夜私が何を感じ、学び取ったのかということに触れていきます。


1年目。
初めて落語に触れた私は、数10メートル離れたところで噺をしているのに、1メートルくらいの距離で話しているような錯覚を覚え、噺を聴いているというよりも映画を観ているような感覚になった。
#初体験
#すべての始まり


2年目。
奥様とお母様が立て続けに逝去され、2日連続で死亡届を提出するという悲劇が文枝師匠を襲い、そこから1か月もしない日に開催されたこの年。


悲しみを乗り越えられていない状態でも芸を披露し続ける文枝師匠の姿にプロとしての在り方を学び、それを支えるようにいつもの倍近いエネルギーで演じる志の輔師匠の姿に人としての在り方を学びました。
#二人のあんな姿は
#二度とみられないかも


3年目。
話す技術や伝えるノウハウをたくさん学び、実践してきていたので、少しは師匠たちに近づけたような感覚が得られるんじゃないかと期待(勘違い)して聴きに行ったこの年。


師匠たちの方がさらに進化していて、むしろ距離は遠く離れたと痛感させられ、師匠たちの噺にのめり込んで、会場の中で誰よりも大爆笑してしまいました。
#コロナ禍なのに
#お腹痛すぎた


4年目。
師匠たちに近づくなんてことは完全に諦めて、やり方ではなく人としての在り方を磨いてきた私が、どんなことを感じられるんだろうかと期待しながら聴きに行った昨夜。


今年は笑えるだけの演目ではなかったということもあり、2人の師匠が魅せる世界に大いに魅了され、心が温かくなる感覚がありました。
#感動した
#単純に


何より学びが大きかったのは、全ての演目が終了した後に、2人が膝を突き合わせて話している”雑談”でした。


2人とも業界のトップといえるような大御所なのに、2人が話す姿からはどこか無邪気さのようなものが感じられると同時に、互いへの敬意を常に意識した言葉遣いや身のこなしから、一流としてのあり方の片鱗を感じることが出来ました。


そして、昨夜の二人会を通じて最も驚きが大きかったのは、おこがましいかもしれませんが、ほんのちょびっとだけお2人に近づくことが出来ているという感覚を得られたこと。
#本当にちょびっとだけ
#これが大きい


10,000歩の距離があったとして、その距離を1歩だけ近づけたという程度ですが、4年目にして初めて”離される”ではなく”近づく”という感覚を得られたことが、『今やっていることは間違っていないかもしれない』という自信をくれました。


来年も参加すると決めている春待ち2人会。


次はどんな学びと気づきを得ることが出来るんだろうかと、ワクワクしながら、しっかりと成長した状態で1年後を迎えると決めました。


来年は、会場で一緒に楽しみましょう♪

じゃ、またね~!

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