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お弁当から人生を考える<273/1000>

【ラジオ体操576日目】
『ニコチンレス生活297日目』

こんにちは。
いつも好きなおかずを最後まで残して楽しみにしているのに、そのおかずにたどり着く時には満腹になってしまうコマリストです。


今日は『総量は同じなんじゃないか』というテーマで書いていきたいと思います。


年に数回のお弁当の日が楽しみだったという人は少なくないと思います。


お弁当を開ける時のワクワク感がたまらなく好きだったという、コマリストのように純粋な人も多いのではないでしょうか。
#ココ重要
#テストに出るよ


お弁当を開封して、『好きなおかず』を探す。
そして、何から食べようかなと箸と思考を巡らせる♪


さて、ここで皆さんは『好きなもの』と『嫌いなもの』のどちらから食べますか?


今日は、”苦労”と”楽”の総量は大体決まっているから、どっちを先取りするかが人生の曲線を決めるというお話です。


今が楽しければそれでいいという考えも好きだけど、別の視点も加えることで、もっと自分で選択する人が増えたらいいなと思ってます。

苦労の貯蓄

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皆さんの会社に、こんな人はいないでしょうか。


・なんだかパッとしないけど、社内では割と上の地位にいる
・”昔はすごかった”と言う噂を耳にすることが多い


実は、私が会社員だった頃、こんな上司がたくさんいらっしゃいました。


昔も今も変わらずのひねくれ者だった私は、パッとしない『今』だけにフォーカスして、「頼りにならない人」というレッテルを貼っていました
#反省してます
#たぶん


ただね、この会社には”昔はすごかった”という人があまりにも多い。


評価基準が甘かったんじゃね?という意見もあると思いますが、どうやらそればっかりではない気がするんです。


若いうちの苦労は買ってでもしろ!


こんな考え方が当たり前の時代を、現役ど真ん中で生きた人たちは、大げさではなく、尻を蹴られ、頬を殴られ、竹刀で叩かれる強烈な現場を、全力で生き抜いた。
#今では考えられない
#これが常識だった


当然ですが、スマホも無ければ、インターネットすらない時代です。


何か分からないことがあれば、人に聞くか、本で調べるしかない。それでもわからなければ自分の足で調査に向かうしかない。


とまぁ、今では想像できないような苦労をたくさん経験してきているはずです。


そんな激しい時代において、『一目置かれていた人』というのが、今はパッとしないけど、武勇伝が多い人なんじゃないかと思います。
#私には無理


これって、すごいことですよね。


スパルタが当たり前で、普通に生きてるだけでも、現代と比較したら相当な苦労を強いられる環境において、抜きん出た成果を出していた人。


この時の貯蓄があるから、今の地位があって、わざわざ追加の苦労をしなくても一定の評価を維持することが出来る。
#お金ではない
#苦労の蓄え


こんな人が「頼りにならない人」のわけがないですよね。

総量は同じ!?

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早い段階で苦労を蓄えた人は、後々の苦労が少なくなる。


私自身がこの真偽について判断できるほど年齢を積み重ねていないので、もう少し生きてみたら分かることだと思います。


ただし、今の時点で人生の先輩方とたくさん話している中で思うのは、多くを求めなければ"最終的に「苦労」と「楽」の総量は、全ての人が同じになる"ということ。


分かりやすくするために、冒頭のお弁当の話に戻します。
#逆に
#分かりづらいかも


お弁当の中に入っている「おかずの総量」は同じです。


この中に入っている「好きなおかず」と「嫌いなおかず」と「どちらでもないおかず」をどの順番で食べるのか。


これと同じような選択が、人生というお弁当箱の中で繰り広げられているという感じ。


ただし、この理屈では得られる栄養もカロリーもみんな同じだから、経済格差は生まれないことになります。
#同じ弁当
#足りない人もいるけど


けれど、実際には経済の格差は生まれていて、いわゆる「成功者」みたいな人が生まれてくるのも事実。


同じ弁当箱を持っているはずなのに、どうして成長量が違うのか?

経済格差を生んでいるもの

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多くを望まなければ、人生に於ける「苦労」と「楽」の総量は全ての人が同じである。


これについては、今のところ私の中での真実です。


では、同じ量なのに、どうして差が生まれるのか。


この答えに繋がるヒントが、「多くを望まなければ」という言葉。


早い段階で、「嫌いなもの(苦労)」を食べてしまった全ての人が、「好きなもの(楽)」をゆっくり食べるのか?


そんなはずはありません。
もちろん、ゆっくり食べるという選択をする人もいて、それが冒頭に出てきた「武勇伝の多い上司」みたいな人。
#これも一つの選択


それ以外の、好きなものも早く食べてしまった上で、”より多くを望む人”というのが、「成功者」になる可能性を秘めていることになります。
#成功するとは限らない
#可能性


普通の人が一生かけて味わう「苦楽」を早い段階で全て平らげ、別の大きな弁当に手を伸ばす


そして、新たな「苦労」と「楽」を食べ始める。
それでも飽き足らず、さらに大きな弁当に・・。


これを繰り返していくことで、新たな弁当箱を手に入れて、より多くの栄養とカロリーを手に入れていく。
#お金や地位と読み替えて


もちろん、食べ過ぎて病気になったり、お腹を壊してしまう人もいるので、次々手を伸ばすことが正しいわけではない。
#太ることもある
#リスク


結局、いつまで追加の弁当箱を求めていくのか、どんな順番で食べるのかということは、自分自身が決めればいい。


1つの弁当を一生かけてのんびり味わうのも良い。
100個の弁当を平らげて、挑戦の人生を送るのも良い。
自分の大切な人の弁当から「苦労」だけ食べてあげるのも良い。


こんな風に考えると、お弁当を食べる時に自分が無意識にどんな選択をしているか、知りたくなってきますよね。

じゃ、またねー!

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