天才不要論<318/1000>
【ラジオ体操620日目】
『ニコチンレス生活341日目』
こんばんは。
いつも1番になりたくて、優秀であることを目指してきたけれど、それが組織に馴染めない原因だと気づいたコマリストです。
今日は『組織に天才は要らない』というテーマで書いていきたいと思います。
時代を牽引する起業家
カリスマ経営者
ネットニュースなどのメディアで取り上げられるのは”天才”と呼ばれるような人が多い。
こういった人達は、創業者として世間を驚かせるような製品やサービスを創り出します。
けれど、それはあくまで創業期の話であって、社員がジョインし、組織として成長していく段階では天才の存在が成長を阻害したりすることもあります。
今日は、人に依存するような状態は組織の成長において邪魔でしかないというお話です。
優秀であることが組織をダメにすることがあるって悲しいですよね。。
天才は要らない!?
周りの人よりも仕事ができる人や、理解力が高い人、アイデアに富んだ人。
個人で高い評価を得られるような人は、何かしら「天才性」を持っています。
確かに美容師やホスト、キャバクラ嬢のように個人の評価が重要になる仕事であれば、こういった天才性は半永久的に重宝されます。
けれど、組織的な仕事をする上では、天才と呼ばれるような人はめちゃめちゃ浮いてしまいます。
もちろん、優秀な人は周りの社員から1目置かれる状態になります。
ただし、優秀な人は他の社員の見本になり得ない。
なぜなら、他の社員には真似出来ないスキルや発想力、能力がベースになっているから。
〇〇さんだからできる
〇〇さんがいないと仕事が回らない
こんな状態になってしまっては、誰も真似することができません。
組織で仕事をして、最大の成果をあげるには「誰でも出来る」状態であることが重要です。
つまり、組織において、1人の天才は複数の凡人に勝てないのです。
天才は創業者として、組織をゼロから立ち上げて、その天才性をもって、社員を導き、商品・サービスを広げていく時には必要です。
組織が一定レベルの規模に成長し、仕組みで回るようになると、その天才性は邪魔でしかない。
社長がいない方が会社がうまく回るというやつですね。
そうです。
経営者でない限り、天才は組織において不要なのです。
ボトルネックを基準に
皆さんはボトルネックという言葉をご存知でしょうか。
直訳すると、「瓶の首」。
つまり瓶の1番細くなっている部分。
瓶の中に水を入れて、逆さ向けた状態を想像してもらうと分かりやすいかもしれません。
外に出てくる水はボトルの太い部分ではなく、最も細い部分を通る速度に制約を受けます。
太い部分を流れる速度が10で、細い部分を流れる速度が3なら、ボトルの先から出てくる水の速度は「3」になるということ。
これは製造業のライン設計にも導入されている考え方です。
最も時間のかかる工程を基準として生産に必要となる時間を決める。
何となく効率が悪いように感じるかもしれませんが、実は最も効率が良い状態になるんです。
細かい説明は長くなるのでしませんが、興味がある人は『ザ・ゴール』という本を読んでみて下さい。
エリヤフ・ゴールドラットというイスラエルの物理学者が書いた本で、ボトルネックの考え方を物語でわかりやすく説明してくれています。
でね、このボトルネックの考え方は生産設備だけでなく、『人』にも適用されるんです。
つまり、組織の中で、最も仕事が出来る社員を基準にするのではなく、出来ない社員を基準にする。
ここを最低基準としておくことで、それ以上に遅れたり、品質が落ちたりすることは無いんです。
そして、その基準を徐々に上げていく。
組織として成長していくためには、コレが最も効率が良い。
はい。
つまり、優秀な社員、出来る社員、天才的な社員は『異常値』です。
結局、組織で馴染めず離れていくことになる可能性が高い。
いわゆる社会不適合者ですね。
優秀であることを追い求めることよりも、組織の成果を最大化するためにどう振る舞うかを考えられる人は最高の社員になれる。
私に出来なかったことですが、支援する側としてはこの意識を常に持っておきたい。
コマリストがいるから成果が上がるという状態を作るのではなく、コマリストなど居なくても最高の成果を更新し続けられる状態を作る支援をする。
コレが会社員としては出来なかったり私の贖罪であり、今の私が目指すべき姿です。
足りないことばかりですが、足りないことを自覚して、努力してみようと思っています。
何かの参考になれば!
じゃ、またね〜!