我慢の使い所<184/1000>
【ラジオ体操487日目】
『ニコチンレス生活208日目』
こんばんは。
我慢することが美徳だという考え方も知っているけれど、やりたいことをやりたいと言える人を素敵だと思うコマリストです。
今日は『その我慢は誰も幸せにしない』というテーマで書いていきたいと思います。
臥薪嘗胆
堅忍不抜
我慢することを美徳とし、奨励するような言葉は沢山あります。
皆さんは我慢が好きですか?
私は、大嫌いです。
しなくてもいい我慢は、積極的に避けて通るような人生を送ってきました。
その結果
”アイツは我慢が足りない”なんてことを言われるようになったわけですが、私は一向に構いません。
今日は、我慢の先に待っているものが自分の幸せでないのなら、そんな我慢は捨てちまえ!というお話です。
我慢することこそ人生だと思っているような人には受け入れにくい話かもしれません。
我慢の先には
さて、皆さんは我慢という言葉の意味を知っているでしょうか。
そりゃ、知ってるよ!
耐え忍ぶって意味でしょ!
はい。
もちろん正解なわけですが、この言葉の本来の意味は違うんです。
もともとの意味としては、
『自分自身に固執して他人をあなどること』
一言で言えば『うぬぼれ』。
これ、気分が悪くなるかもしれませんが、我慢することを美徳だと思っている人ほど注意が必要です。
こんな風に考えてしまうことがあるので、まさしく”うぬぼれ”になりがちだと思うんです。
ここで1つ質問です。
皆さんの周りにいる「成功者」や「上手くいっている人」で、我慢が好きな人っていますか?
少なくとも私はそんな人を知りません。
というのも、成功者と呼ばれるような人の多くは『自分のやりたいこと』に一生懸命で、無理はするけど我慢はしない。
もちろんやりたいことを追求するから、たくさん壁にぶつかるし、失敗も沢山する。
時には、我慢をしているように見えることもあるかもしれません。
けれど、彼らにはそんな自覚は無い。
だって、その我慢の先に「自分の求めるもの」があるから。
きっと、必要な試練や壁のひとつくらいにしか思っていないと思います。
かつて、お前は我慢が足りないと私に言った人達に聞いてみたい。
その我慢をした結果、
あなたの目標は実現しましたか?
なりたい姿に到達できましたか?
幸せを感じることが出来ていますか?
まぁ、今となっては確認も出来ないんですけどね。
誰のための我慢なのか
noteにも何度か書いたことがある「昔から大切にしている考え方」について。
会社員時代、何人かの先輩方から言われたことがあります。
これに対して、私の答えはいつも決まっていました。
『私は、子供が出来た時にこそ、”やりたいこと”を追求します。』
この答えに、イタイ人を見るような目を向けられましたが、この考えは今も変わっていません。
過去のnoteを読んでくれている方だったら、なぜこんな風に考えているかを知ってくれているかもしれません。
その心は、
子供が大きくなった時に、どんな言葉をかけたいかを意識しているから。
私は子供が大きくなった時に「自分のやりたいことを、とことんやってほしい」と伝えたいんです。
そして、そこに添える言葉としては、『俺はお前がいたから諦めた』では無く、『俺がそうしてきたように』が良い。
言葉にしなくとも、子供というのは親の背中を見て勝手に成長していると思っています。
だったら、自分が出来なかったことを子供に押し付けるのでは無く、自分がしてきた事を嘘偽りなく伝えたい。
むしろ、お前がいたから頑張れたんだと言いたいんです。
もしも今、『誰かのために自分が我慢すれば良い』なんて考えを持っている人がいたら、少し考えてみてほしい。
その”誰か”は本当にあなたが我慢することを望んでいますか?
逆に、自分のために、大切な誰かが自分を犠牲にしているということを知ったとして、あなたは嬉しいですか?
きっと、そんなことないはずなんです。
少しキツイ言い方かもしれませんが、我慢の使い所を間違えないでほしい。
我慢とは誰かのためにするものではなく、自分のためにするものです。
誰かのためだと思っているその誰かは、あなたの我慢ではなく、あなたの幸せを願っています。
その願いを無視して、あなたが自分を犠牲にしている姿を見ている”誰か”は何を感じているでしょう?
相手のことを本気で大切に思っているのなら、相手の願いをちゃんと受け止めて、それに応えてあげてほしい。
自分のやりたいこと
自分の叶えたいこと
自分の実現したいこと
我慢の力は、これらのために”だけ”使って欲しい。
これだけで、自分のストレスが減るだけでなく、大切な人達の顔が笑顔に変わると思います。
じゃ、またね!
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