自分と向き合うチャンス
【ラジオ体操289日目】
『ニコチンレス生活10日目』
こんにちは。
人の好き嫌いが割と多いだけでなく、ものすごくハッキリしているので嫌いな人を邪険に扱ってきた過去を持っているけれど、大人になってから嫌われていたのは自分だということにようやく気付いたコマリストです。
今日は『自分の嫌いな人は、自分の嫌いな部分を持ってるよね』というテーマで書いていきたいと思います。
皆さんには、”この人何となく嫌いだな”と思う人はいるでしょうか?
明確に何かしらの損害をもたらしてきたことがきっかけで嫌いになったというのであればしょうがないですが、特に何の被害も受けてないのに、嫌いになる相手っていますよね。
#私だけなのかな
『他人は自分を映す鏡』なんて言葉もありますが、明確な理由もなく誰かを嫌いだと感じる時は、その”嫌い”に自分自身が持っている特性が含まれていることが本当に多いと思うんです。
自分を映す鏡という言葉は、遥か昔からあるので、昔の人って、本当にすごいですよね。
今日は誰かのことを嫌いだと思った瞬間は、自分の中にいる”嫌いな自分”と向き合うチャンスなので、これを生かさない手はないよね!というお話です。
耳が痛いという方もいるかもしれませんが、私自身の反省すべき部分なので、他人事だと思って読んでみて下さい。
私が嫌いな有名人
さて、今日この話を書こうと思ったのには理由があります。
それは、私のメンターで、いつも私のことを気遣ってくれるコマさんとの会話の中で、最低な自分に気づくことができたから。
会話の内容は、私が嫌いな有名人についてというしょうもない世間話でした。
私が嫌いな有名人は2016年に解散したS〇〇Pのリーダーです。
もともとこの人を嫌いだったというわけではなく、いつか見た生放送の番組内での発言に嫌悪感を抱いて、それ以降、その人が出演している番組は一切観ないようにしたという感じです。
#子供なんです
発言の内容は、
『自分は選ばれた人間なんだから、君たち(観客)とは違う』
『(放送事故で映り込んでしまったADさんに対して)何してくれてんだ!俺たちが映らないじゃないか。』
この2つの発言を、1つの生放送番組の中でしたことをきっかけに、めちゃめちゃ嫌いになった。
これは、今でも持っている考え方ですが、私は「選ばれた人間」なんて存在しないと思っています。
芸能の世界でファンが多い人は、芸能人という1つの職業におけるプロではあるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
仮に選ばれた人間なんてものが存在するのであれば、
プロの料理人と料理対決をして勝ってみろと言いたい。
難しい手術をしてみろと言いたい。
トップセールスと競って高額な車を売ってみろと言いたい。
全て、それぞれの世界において、職業人としてプロなのであって、人としての優劣など存在しない。
本気でそう思っています。
だからこそ、「こんなことを成し遂げた俺ってすごいだろ?お前らとは違うんだよ。」というタイプの人間がいると、虫唾が走る。
とまぁ、こんな感じの話をしたわけです。
これに対して、コマさんの一言は、
「出会った頃のコマリストって、他人を見下していて、まさしく今コマリストが嫌いだと言ったタイプの人間だったよね」
まさしくその通り過ぎて、何も言い返す言葉はありませんでした。
背中から日本刀で真っ二つに切り捨てられた気分です。
はい。今現在は多少改善されていると思いますが、私自身が自分が嫌う最低なタイプの人間だったんです。
こんなにもハッキリ言ってくれる人はなかなかいないので、やはりコマさんの存在はありがたいです。
#本当に大好きです
チャンスを見極める
さて、コマリストの性格の悪さを露呈するだけの世間話になってしまいましたが、今回の話からもちゃんと学べる部分はあると思うんです。
今回、私がコマさんから指摘されてグゥの音も出なくなったように、自分自身を顧みる機会ってあまりないんです。
もちろん、自分にコーチを付けて、客観的に自分を見てもらっているという人は別ですが、そんな方はそんなに多くないはず。
ということは、何かのきっかけがなければ自分を客観的に見るタイミングは無いということ。
私の場合、かなり時間が経過してから当時を振り返って話した結果、切り捨てられて気づくという”遅すぎる気づき”になってしまったわけです。
もしも”この人嫌いだな”と思った瞬間に、『自分にもこんな部分があるんじゃないか?』という問いかけをできていたら、もっともっと早く気付くことができて、何かしらの改善ができていたかもしれない。
その結果、私のことを好きだと言ってくれた人がもう少し多かったかもしれない。
つまり、誰かのことを”嫌だな”とか”嫌いだな”と思った瞬間が、自分の課題と向き合うチャンスだということ。
だって、他人は自分の鏡なんだから。
自分にはなくて、他人が持っているものに対しては”嫌悪感”よりも”羨望”の感情が生まれます。
自分にもあって、変えたいと思っている部分に対しては”羨望”ではなく”嫌悪感”を抱く。
人の振り見て、我が振り直せ。
当たり前のことを書いていますが、これは真実だと思います。自分にはあんな部分はない!と思いたい気持ちはよく分かります。
だって、私自身がそうだったから。
これは、私自身の反省文であり、noteの力を借りて私自身の行動を促すためのものです。
ということで、”変わりたくない!”という方は、嫌いな人を見つけたら嫌いなままでいいと思います。
私は”変わり続けたい”ので、嫌いな人との出会いを自分を変えるチャンスに変えていきます。
じゃ、またね!