あの日、決意したこと
【ラジオ体操122日目】
こんにちは。
成功よりも失敗の多い人生を歩んできたという自覚があるので、ターニングポイントとなる失敗はどれなのか本気で悩んでしまうコマリストです。
今日は『ターニングポイント』というテーマで書いていきたいと思います。
今回も、note×Panasonicで募集している『あの日の失敗があったから』という投稿コンテストに挑戦してみたいなと思います。
皆さんは、その後の人生を左右するほどの失敗経験をしたことがあるでしょうか?
私は、たぶん人よりも無茶な挑戦が多い人生を送っているので、圧倒的に失敗の数が多いんです。
その中でも、(今思えば)人生を左右するほどの失敗だったのかもしれないと思っていることについてまとめたいと思います。
あの日の決断
これは、noteに書くのが少し恥ずかしいことではありますが、私は小学生時代から抱いていた「将来の夢」を諦めています。
その夢とは、『医者になること』
高校受験までは、医者になる道しか自分は興味が無いと本気で思っていたので、バカみたいに勉強して地元でも有名な進学校に進みました。
しかし、高校生になった私は『医学部専門の塾』に通うか『アルバイト』をするかという選択肢で迷い、アルバイトを選択したのです。
#一つ目の過ち
高校生活のほとんどをアルバイトに費やした私は、当然ながら勉強する時間などほとんどなく、大学受験のために勉強した時間はわずか10日。
当然、医学部に合格するような学力はなく、かといって、浪人するつもりなど全くなかった私は、同級生の誘いで、何となく入れそうな地元の国立大学を受験して、入学を果たします。
#今考えると奇跡なのかも
もちろん、学部は”医学部”ではありません。
私が進学したのはたいして興味がなかった”教育学部”。
周りには教員になりたい学生しかいない環境だったので、大学に通う意義を見出せず、2年生から始まる教育実習を前に退学を選択しました。
#実際には1年休学してます
この時、両親(特に母親)から猛反対され、泣かせてしまったことは忘れられません。
この日の『退学』という決断。これが私にとっての失敗だったと気づくのは少し経ってからの話ですが、この決断がしばらくの間、私の人生を左右することになるのです。
決断から10年間
さて、大学を中退するという決断をした私は、次なる夢を見つけ、思いつく限りの必要な経験を積むために大量の仕事をしはじめます。
詳しくはコチラ↓
いわゆる”社会人”となった私ですが、仕事をする上で常に抱いていた思いがあります。
その思いとは、
「大卒には絶対に負けたくない」というもの。
自ら、大学を中退するという選択を下した私にとって、大卒者に仕事面で負けることは、自分自身の決断を否定するのと同義だというプライドがずっと、私を縛っていました。
そんな変なプライドに縛られている私は、誰よりも仕事をして、認められたいという欲求の塊になります。
この時期の私は、傍から見ると”頭のおかしい人”だったと思います。
今の自分からしても、毎日朝から深夜まで休みなく働き続けて、”大卒には負けない”と言っている若者は、やばいやつですねw
今思えば、新たに見つけた夢を実現するための一番の近道は、「大学を卒業すること」だったんです。
大学を辞めた私は、新たな夢である業界に就職することができず、難関資格を何とか取得して、無理やり夢をかなえることになるのですが、わざわざ茨の道を選ばなくてもいいのに・・・という感じ。
結局、その道の途中で大学院を卒業したので、”変なプライド”は現時点ではなくなったんですけどね。
本当にたくさんの遠回りをしてしまったなというのが本音です。
結果的に大きく遠回りをして、叶えることができた二つ目の夢ではありますが、遠回りしたことで得られたものもいくつかあります。
大学院で出会った尊敬できる同志。
28もの仕事を通して培った現場感覚。
やれば大体何とかなるという気づき。
このどれもが、『大学中退』の決断という失敗が無ければ得ることができなかったものです。
成功から得られるものがあることも知っていますが、人生を作るのは振り返ってみた時に失敗だったなと言える出来事なのかもしれません。
じゃ、またね!