ピンチは最大のチャンス?
ピンチこそ最大のチャンスだと思うことはありませんか。
なぜって思う方もいるかと思います。
ただ私はこう考えています。
ピンチになった時に…
①自分の今までの経験を振り返る
②最善の方法なのか他に何か手段は無いか考える
③自分だけではどうにもならないと他者を頼りたくなる
そして自分の行動に自信がある人ほど他者の意見に耳を貸すことも少なく、自己流で自分の価値観を疑うこともなく推し進めてしまう傾向が強いと感じます。
自信があり自己流で物事を進めて失敗の経験をしなければ、さらに他者の意見を聞き入れるとこもなくってしまうのではないかと思います。
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訪問リハビリの仕事で各家庭を回っていると、自分の今までの生活で問題が無いが故に他の人から見たら、危険に感じることも多々あります。
またそれらの生活に対して、意見を言われる機会が減少していると関わっている専門職からの意見などの必要性も感じていない方も多く見られます。
例えば、今までは元気で転んだことがない方がいたとします。
元気なため杖や歩行補助道具なんてもちろん必要はないです。
ただ何かの切欠で転倒して入院したとしましょう。
入院すると医師やリハビリ専門職から安全のために、杖など歩行補助道具を勧められ使用することになるでしょう。
さて一通りのリハビリが終わり体力も回復しいよいよ退院です。
・元気で歩行補助具が必要なかった人
・転倒したのを切欠に入院し歩行補助具を使用開始
・いざ退院となりました
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さて退院したこの方は家で歩行補助具は使用するでしょうか…
なぜ上記のような質問を投げかけたかというと、訪問リハビリのケースではよくあることで、帰ったら歩行補助具を使用しなくなるのです。
病院では病院の先生方が言っているのでそれが正しいと思い使用する。
しかしいざ自宅に帰ると、歩行器などを置くスペースがない、また至る所に掴まれるなど、杖などを使わなくても移動ができてしまうのです。
しばらくの間はまた誰にも何も言われない生活を過ごしていきます。
時折、遠方に住む子供などからまた転ばないようにと言われることもあるかと思いますが、誰にもないも言われない生活が続くことで、そんな意見も聞き入れなくなります。
家族が見ていて危ないと思う場面があったり、そして介護支援のプランを立てる介護支援専門員(通称:ケアマネ)が訪問などした際にも、危ない様子が見られると、そこからまた病院で使用していた歩行補助具を使用の話が浮上してきます。
担当者会議なるものが開催され、より安全に安心して生活を送るように、介護を支援する関係者と家族や本人を交えて話し合いを行います。
この会議でやはり以前転倒したことがあるため、再度の入院を避けるように再度歩行補助具や福祉用具で手摺などを設置することもあります。
ただ実際、本人の意見を聞かずして家族や関係者の意見だけで福祉用部の貸与が決まることも少なくありません。
そうなると、本人は使用しなくても転んでいなかったという事実があるだけに、意固地になり歩行補助具や福祉用具を使わないなんてこともよくあります。
訪問リハビリを行っている中で、ケアマネの方や家族から歩行補助具を一切使用しないため、使い方の練習をしてほしいと依頼されることもあります。
ただ本人に道具の必要性を感じない以上いくら進めても使用はしないです。
そんな中、何気ない世間話を行っている中で、転んだ時の状況や自分が失敗してしまった時の話題となるように会話を進めて話しながらリハビリをしていきます。
そうすると、自分ではなぜ転んだか理解が出来ていないことが分かって来たりもします。
その中で、相手が再び転倒した時には不安になる気持ちも吐露してくるなど、自分がピンチに陥った時の状況が見えてきます。
今この時がチャンスです‼
①歩行補助具は使いたくない、いや使わなくても大丈夫と思っている
②転倒したらまた入院になるのは不安、嫌だ
③実は転倒した時の状況は自分でも分からない
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こんな時、別に歩行補助具の練習をする必要はない‼
本人が転倒時のことをよく覚えていなく、転倒して入院に至ってしまったのであるのならば、転倒時の場面を一緒に再現し、どうすればケガをすることなくやり過ごせたのかを考えるほうが本人のニーズに沿っているのでは?
と思いませんか。
別に本人の必要性が無いものを無理やり練習したところで、使わないのが目に見えているのであれば、練習する意味はどこにあるのでしょうか。
本人にとって本当に意味のある作業とは何なのか。
それを考えていくほうが大切ではないでしょうか。
ちょっと変わり者と言われている作業療法士の私がこんな時に考えることは
①どんな風に転んだらケガをしないのか
②受け身を取れたら入院はしなくて済む?
③転んでもすぐに起き上がれるようにしたら家族も心配しないのか
以上のことを考えてしまいます。
本人がピンチと思った事柄に対して、本人が何を望むのかは分かりませんが、色々話していると見えてくるものがあります。
ただその中には
── 歩行補助具が上手く使えるようになりたい ──
こんな言葉はあまり聞いたことも、感じられた経験も少ないです。
周囲の考えている安全安心と、本人が感じている安全安心に溝があることも経験してきました。
自分に自信がある方々にとっては、周囲の心配なんてなんともないこともあります。
しかし、本人がピンチに陥り不安に思っているときに必要としていることはなんでしょうか。
やはりピンチの際には、相手の本心や本当のニーズを把握するための大きなチャンスになると私は常々考えています。
上手く行っているときには、何をしようと上手くいきます。
そこには絶対的な自信がついているので失敗はありません(たぶんw)。
しかし一度でも不安が大きくなる現象に見舞われたら、それは不安でしかないと思います。
その不安にいかに寄り添って、共に払拭するための提案が出来るかで、信頼を得ることも、相手の変化を促進することも可能だと思います。
ピンチだからといって、臆するのではなくそこから、自分の経験などを基に相手の力を引き出していくためのチャンスに変えていくかは、気の持ちようだとは思いますが、出来るか出来ないかで大きな差が生じると思います。
ピンチこそ最大のチャンスとしていかなる時も対応できるよう、常に最悪を最善に考えられる思考をもって行動したいと思う今日この頃です。
長くなり申し訳ありません。
皆々様のヒントになれば幸いです。
いずれ私が精神科にいたときに心がけていた面談の方法や、会話の進め方を記事にまとめていけたらと思っています。
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