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さて 《ロマンスは別冊付録》

これもアプリからのおすすめ。

で「イ・ジョンソク、ぎょえーーー!」と叫ぶことしかできない私。

小顔だし首長いし肩広いし脚長いしアヒル口だし目尻にホクロだし。非の打ち所がない。またモデル出身とあって一般人なら呑まれてしまうような【モード】感あふれる衣装でも違和感なし。
私のどストライク!「こんな息子に育つなんて」とイ・ジョンソクのお母さんを羨む。

でも「ツボ」はそこではない 

韓国ドラマを観ていて、よくセリフに「こんな言葉がある...」と詩や格言を引用して励ましたり勇気づけたり慰めたりするシーンを見かける。

日頃から「ああいい言葉だなぁ」「こういう言葉は胸に留めておこう」と蓄積しているからこそポイっとこぼれ出るわけで。
作中ではあるが。ということは脚本家さんが常にいろいろな美しい詩句を蓄積しまくってはるということか。

特にこの作品は舞台が出版社ということもあり、セリフも文学的な言い回しが多い。
まさかの「月が綺麗ですね」も登場。
私には分からないだけで、おそらく漢詩や韓国文学の名文が引用されていると勝手に推測。

【教養としての文学】が当たり前に息づいてることへの敬意を覚える。

またこの作品に限らず、韓国ドラマには読書シーンが多いし、一人暮らしでも部屋には本棚。
本屋さんや図書館も「ロケーション場所としてアリ」という共通認識があるようだ。

日本のドラマでは主役が読書してるだけのシーンってあまり見かけない。
放送時間の縛りもあるだろうが、私は【心地よい音楽が流れる中で美しい人が美しく本を読む】シーンに惹かれる。

そういうドラマをあたりまえに観ていたら、『本を読むことはステキなことね』と言う、有川ひろ著《明日の子どもたち》の園長先生のようになれる気がする。

ウノ(イ・ジョンソク)とダニ(イ・ナヨン)が、休日にそれぞれ違う本をソファで寛いで読み耽る姿は本当に一幅の絵だ。

女性目線から発せられるセリフ 

舞台の出版社の設立メンバーにひと組の夫婦がいたのだが、作中で離婚する。その妻(キム・ソニョン)に、もう一人の設立メンバーの女性(キム・ユミ)が理由を尋ねる。

そこで「あの人は私の味方になってくれなかったのよ。」と答える。尋ねたメンバーもその場にいたダニも「あ〜(それはアカンわ〜)」と離婚に納得する。

また、あるイベント当日にその離婚した夫婦の子どもが塾で体調を崩して搬送されたと妻(母)側に連絡が入る。イベント責任者としてずっと準備を進めてきたのに。いよいよ開幕直前なのに。

泣きながら「いつも私に連絡が来るのよ。」

夫(父)側にこういう緊急連絡は来ない。
日本でも「お子さんが熱を出したので迎えに来てください」連絡は、両親がいるなら先ず母親に。

幸い、同じように子どもを持つ身のダニがサブで準備をしてきたので、彼女を送り出しイベントも子どもも事なきを得るのだが。

分かる!分かるでしょう?

また、独身を貫いてきた女性設立メンバーのシャツのボタンが落ちてしまった。それを代表(キム・テウ)(男性)が指摘して、「私、お裁縫はできないの」と肩を窄めて自虐。出版社の設立メンバーで博士号持ちの美女、だけどボタンを自分で縫いつけられないことを引け目に思ってしまう。

ここで代表が彼女にかける言葉がいい。
「僕は妻を早く亡くして娘を育ててきたから、こういう事に気がつくだけだ。いやじゃなければ僕がつけてあげようか?(的なセリフ、ね)」

こういうセリフが作品に出てくる→女性スタッフが重要ポジションについてる』と勝手に思う。

一概に男性が女性がと言いたくはないけど、こういう目線で語られてるかそうでないかは、観る側からすれば『リアリティがあるかないか』になる。

他がウソ臭くても、このセリフで作品の中の人が一気に『自分たちと同じ感覚の人』になるのだ。

俳優さんたちを識別できるようになった 

《よく奢ってくれる綺麗なお姉さん》でソン・イェジンの優しくない弟だったウィ・ハジュンと要領のいい同僚だったチョン・ユジンがそれぞれ『いい人』で、その二人を識別できるようになった自分の成長を感じる。(うんうん)

そしてこの作品でチョ・ハンチョルとカン・ギドゥンにはじめまして。
この二人は、この後観る作品に多出。
そしてどの作品でも鮮明に印象に残ると知るようになる。

さあ、フルスロットル!

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