コミュニケーションをおもしろくするには

人を育てることにおいて
マニュアルは存在しないよね

朝からそんな話をしていたんだけど、人によって得意なことが違えば、同じ言葉を使ったとしても伝わり方もまったく違うんだ。

例えば、『できるだけ早めにスケジュールを教えてね』と言った場合、5分後に連絡をくれる人もいれば、数時間後の人もいるし、数日後の人もいる。でもこの3人はそれぞれ"できるだけ早く"連絡しているのだ。人によってできるだけ早くの時間感覚が違うって話。

他にも『この打ち合わせは簡単でいいよ』とか、『ここは相手に失礼のないようにしっかりよろしくね』とか、人によって基準値の違うことを自分以外の誰かに共有することはとにかく難しい。

だから、人対人のコミュニケーションにおいてマニュアルを作成することは不可能なのだ。

マニュアルをつくることは相手の思考や気持ち、行動を決めつけること。そして、相手の可能性を限定することにもなるんだよね。

だから私も今サービスを展開している育成プログラムではあえてガチガチに内容を決めずに、6割ぐらいは決まった基礎のこと、残り4割はその時その人に必要なことができるように余白を持たせているんだよね。

人とのコミュニケーションに正解はなく、初回から砕けた話し方を好む人もいれば、初回は礼儀に重きを置く人もいる。どちらが正解ということはなく、人によるし、状況による。

初対面の人にどれだけ砕けた話し方をしてもなぜか愛嬌で許されている人を見たことがないだろうか⁇

それは間違いなくその人の才能だ。

逆に気を使われすぎて居心地が悪いというパターンだってある。これも結局のところ、人と状況によるのだ。

つまり、友達の多いAさんのように振る舞っても、Aさんと自分は違う人間なので、Aさんのマネをして同じように振る舞ったからといって相手にハマるわけではない。

コミュニケーションに正解はない。

正解がないものの正解を探すことほど困難なことはない。だって探しものは絶対に見つからないのだから。

ラスボスがいないゲームで永遠にラスボスを倒そうとしているようなものだ。

『え、ラスボスなんて最初からいないよ?』

だとしたら、
何のために戦っていたんだっけ?となる。

正解なんてこのゲームのラスボスのようにただの幻なんだ。

正解があると自分が勝手に信じただけで、そこに正解なんて最初からなかった。

さて、正解がないと知ってしまった自分にできることはなんだろうか⁇

ラスボスを倒す以外の目的を持つことだ。モンスターの図鑑をコンプリートすることかもしれないし、誰よりもそのRPGの地形に詳しくなることかもしれないし、隠れアイテムについて調査することかもしれない。

コミュニケーションでいうなら、正解探し以外に目的を自分で設定してみるといい。

相手のいいところを何個見つけられるかのゲームだったり、相手の連絡先を聞くだったり、次回の予定を立てるだったり、自分のハマっていることについて話すだったり。

ぶっちゃけこの設定はなんでもいい。今日は最低限これをやるぞ!やってみるぞ!そしてその設定したゴールをクリアしていくことに自分で面白みを見出していくのだ。

人生をつまらなくしているのは自分だ。人間関係を難しくしているのも自分だし、逆にそれらを面白いものにできるのも自分しかいないのだ。

人生の悩みの大半は人間関係なので、人とのコミュニケーションに面白さを生み出すことができれば悩みの9割は消える。

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