【日本の未来予想①】5G時代に変わるもの・失われるもの

5Gの時代だと言われてピンとこない人は多いと思う。実際にどういったことができる未来なのかと言われても、AR/VRや自動運転、自動同時翻訳(通訳)機能などと、新しい機能が誕生し便利な世の中になることはわかる。でも進化と後退はワンセットであり、時代とともに失われていく仕事もあるはずだが、廃れていくビジネス・職業とは何か?という考察は少なく、「そういう系の仕事(通訳とかVRが代用できるサービス)が失われるのかな?」程度にしかイメージしづらい。

子供の将来の職業だったり、その手前でどういう学問に進むかを考えた際に、見通しの明るい方向を見極めて勧めてあげたいと思うのが親心である。そこで、5G時代にどういったマイナス変化が日本に訪れるかの考察をしてみる。

日本人が日本のモノ・サービスを買わなくなる
日本の大学が廃れていく

わくわくする未来の一つとしては、言語の壁という問題を超えることにより、個人や小規模の店を持つ人が自分のモノやサービスを簡単に全世界に売ることができるようになることがあるだろう。これまで英語が話せなかった人でも全世界をターゲットに簡単に広告を出したりライブ配信でアピールができる。コロナ明けに海外旅行需要が仮に戻ってきたとしたら、日本の地方の旅館も外国人旅行者をターゲットにしたビジネスを再開しやすくなるかもしれない。また、会社でもこれまで英語が苦手で海外の仕事が取れなかった人は、翻訳機のある未来が明るいと思っているかもしれない。

しかし翻訳機能が向上することにより訪れる変化は日本にとって良いことばかりではない。別記事にも書きたいと思うが、今まで以上に日本製が売れなくなることも考えられる。市場が70億人になるということは、ライバル企業がそれ以上に多いということだ。そして、最低でも1億人担保できていた日本語圏が、ライバルに抜き取られ7000万、5000万とパイが減っていくリスクもある。

これまで日本は「言語」で守られてきたのだ。日本の1億2千万人という人口は意外と大きく、日本人にだけでも浸透すればある程度の売り上げが見込めた。バブル期に時価総額ランキングで世界のトップ10を日本企業が牛耳っていたのは、当時は2億人ちょっとの人口がいるアメリカに次ぎ、1億人という人口が単一経済圏の中で消費するというような国が他になかったからだと思う。しかし、30年経った今世界は様変わりしている。アメリカの人口は3億人を超え。GAFAMみたいなお化け企業ができた。ユーロは合併して同じく3億人市場となった。東南アジアもシンガポールの振興IT企業(Grabなど)を筆頭に6億5千万人市場を囲い込んでいる。日本の人口は微減しつつの1億2千万人だが、気づけば貿易赤字国家となり国民はネットで海外のモノを買っている。1億人なんて大変ちっぽけな市場であり、しかも周りの国は英語を使い国境を越えてあらゆるサービスを浸透させている。個人的には、SpotifyやH&M、IKEAなど今や世界中のだれもが知るグローバル企業を輩出したスウェーデンが、たった人口1000万人の公用語が英語ではない国(母語はスウェーデン語)であるということも驚きである。

英語を使っていない国であっても、外資の介入が少なく人口ボリュームが多ければ利益を獲得できる。つまり30年前の日本のように1億人でも市場を独占できれば万々歳なのだ。そこで避けて通れないのが中国。現在の中国は14億人市場という武器を振りかざしBATとともに世界のトップ経済圏へまっしぐらである。前の記事にも書いたが、中国はもともと地方による言語の差が大きかったが、30年前より北京語を標準語として義務教育に取り入れており、今の30代以下は中国全土で同じ言語を話しコミュニケーションを取ることができる。それによって田舎の優秀な学生も上海や深センの大企業で切磋琢磨できるので、BATが世界トップ企業に君臨できるのも当然だ。14億人の競争社会で勝ち進んだ有名大学や研究者は、上澄みの数%を数えても日本にいる研究者の人数を超えるほど存在する。

それに対して日本は、この30年間に現代版鎖国のように多くの日本人が日本語のモノを買い、日本語のサービスを受け続けていた…はずが、気づけばネットショッピングはAmazon、検索や地図はgoogleが欠かせなくなっている。日本のECサイトはAmazonより先に楽天市場があったはずなんだけど。検索サイトだって、私の大学生時代はYahoo JapanポータルやGooも使ってた気がするけど、今はGmailとGoogle検索一強じゃないだろうか。iPhoneだって日本人のシェア率は世界一である。大学生のパソコンはMac bookがデフォ、安いノートパソコンが欲しかったらACER。すでに日本人が日本のモノやITサービスを享受しなくなっているが、未来はもっとそれが進行し、自動車と言えばテスラとなり、冷蔵庫や洗濯機もサムスンを買っているかもしれない。ユニクロの代わりにSHEINを使い始めているかも。資生堂じゃなく韓国コスメを使う若い世代が中堅世代となり、海外コスメがマジョリティとなるなど。日本人が日本のモノ・サービスを買わなくなる未来を予想する理由はこれである。

次に大学。英語ができなくても海外大へ入学し勉強できるようになる時代が来るかもしれない。教授のスピーチに常に同時翻訳が入るのだ。オンラインはもちろん、オフラインであってもイヤホンマイクと翻訳機で複数人のディスカッションが容易になる。すでにコロナにより米国の有名大学が無料でオンライン授業を公開などしていたこともあり、大学生でなくとも気になる講義を聞くことができ、わざわざ高いお金を払って日本のビジネス講演を聞く必要はなくなるかもしれない。さすがに単位取得のためのエッセイやレポートはある程度の英語能力が必要とされるだろうが、そもそも読み書きの方が聞く話すより特異な日本人からしたら、海外大学に対するハードルが下がるのは間違いない。海外大は日本の大学制度に比べると入学しやすい(そして卒業しにくい)と言われているが、それでも最低限の英語力がないと入学できなかった。IELTSやTOEFLにはスピーキングテストもあるし、そもそも4時間くらい試験時間がかかるので受ける気力がなかった人もいただろう。でももし入学時の英語力が緩和され、母語でのディスカッションや思考力を試すことがその後の大学での評価項目になるとしたら、日本人の言語ディスアドバンテージの突破口になるかもしれない。英語力は専攻の勉強の中で手段として磨いていけばよいのだ。そもそも英語を目的とする勉強の仕方はつまらないものであるし。

そうなってくると、今の日本の大学受験システムにとらわれないで済み、都心部の中受戦争の在り方も変わる可能性がある。受験を目的とした勉強でなく、本人の興味のままに勉強すればよいし、ホームスクーリングだってたくさんの教材がある。不登校になったって、4月以外の月でも入学を受け付けてくれる海外の色んな中学・高校・大学をオンライン対応含めて選ぶことができる。未来の日本企業が新卒一括採用を続けているかはわからないが(続けていると思うけど)、日本企業がよければ海外大採用枠として入ればいいし、海外企業に入ることだって日本の大学卒に比べたら現実的である。

私が個人的に危機感を持っているのは、日本人同士の競争であれば同級生でもせいぜい100万人以下のライバルしか存在しないが、言語の壁がなくなることによって中韓や東南アジアの学生もライバルとなり、勉強競争の激しい国で育った中韓の優秀な学生に負けてしまうことである。欧米でアジア人として見られる際にも、日中韓の区別がつかない人は多い。そして中韓で日本語を話せる人は多い。アジア人の採用ポジションを1名に与えるとなれば純粋に能力差になるだろう。そう考えたとき、日本の大学に進学するメリットはいわゆる有名大学を除けばかなり少なくなるだろうし、質の高い授業を供給できない大学はつぶれていく可能性が高い。日本に住みたいが故にビザ目的で留学する外国人も、現在の日本の給料と求められる仕事の質を考えると減っていくだろう。現に、2019年に介護などの特定業種に外国人労働者4万人受け入れますと総理が表明したものの、ふたをあけたら1000人しか応募者が居なかったのは有名な話。仕事でもそんな感じなので学業なんてもってのほか、日本人の志願者も減り留学生も来ない大学の先行きは暗い。日本の大学の力は弱くなっていくだろう。

よく思うのだが、マンションの資産価値に敏感な不動産投資好きは多いのに、自分の出身大学の世界ランキング知らないとか将来価値を考えないのって、その人って本当に投資センスあるの?と思ってしまう。
日本の大学が、白馬のリゾートコンドミニアム(バブル時はこぞって買いあさってたのに現在は空虚)のような変遷を遂げてしまうとしたら…。
逆に、東京に長く住んでいた人は「豊洲なんてただの埋め立て地」と固く信じ見下していたであろうが、湾岸エリアのマンション価値がうなぎのぼりになっている事実に目を背けていられなくなっているはずだ。かつて発展途上国と思っていた隣国たちは快進撃を遂げているし、それらの国の大学ランクが上がるのも時間の問題である。すると相対的にまた日本の大学は下がる。不動産投資と教育投資は似ている。あなたの子供にかける教育資金は、本当にその価値があるのか、ぜひ考えてみてほしい。とくに中学受験。ゴールは日本の大学ではもはやないかもしれないというのに。

10年後、20年後は、30代の私にとっては小さな変化かもしれないが、子供にとっては成長過程まっさかりであり、大きな変換の時期でもある。子供たちの将来も見据えどういった方向で生きていくか。SDGsの考えをビジネスだけでなく人生観にも取り入れ、考えていくべきだと思う。