自分を大切にすることとトイレ掃除
こんにちは。
とてもお久しぶりです。
今朝ゆめうつつで急に腑に落ちた、タイトルのことを書こうと思います。
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自分を大切にすることが大事、と聞くことがよくあります。
一方で、他人を優先することが美談になることもよくあります。
でも自分より他人を大切にしすぎていると、いろいろなことがうまくいかなくなってくる気がします。
つまり、自分を大切にすることが、回りまわって他人を大切にすることになると思っているのですが、それはトイレ掃除と同じだ、と考えると腑に落ちたのです。
自分をトイレに例えてちょっと変かもしれませんが、
ひとりに一つ、担当のトイレがあると考えてみます。
そして大前提として、トイレはきれいにされているほうがそこを使うみんなのためだということです。
お隣の人がすごく忙しいから「じゃあ、私掃除しとくよ」と言う。そのお隣の人はすごく疲れているから「じゃあ、私やっとくよ」と言う。
自分のところが終わって、そのあとできる範囲で引き受けるのは優しさになるのでしょう。
でも、たくさん引き受け過ぎて、「引き受けたんだからちゃんとやらなきゃ」と思って自分の持ち場を後回しにし続けたら、自分の担当トイレが汚れてくる。
優しさで引き受けたはずなのに、”担当”の汚れや匂いが全体の快適さを損ねることになるかもしれない。
まったく知らない他人から見ると、「いや、そこはもうそこそこきれいだからちゃんと自分の持ち場をやりなよ」と苛立たれるかもしれない。
人はきれいなところにはゴミを捨てたり汚したりしにくい性質があるから、きれいなところはきれいなまま、汚いところはより汚くなっていきがちです。
だんだんいつも汚い”担当”を見ないようにし、引き受けたところをピカピカにして「ありがとう」と言われるほうを優先するようになっていくかもしれません。
でもそれは、みんなのためにはなっていない。
さらに、代わりに掃除してあげた人だって、気まずい気分になったり、この人はいやなことを押し付けていい人だと思ってしまったりするかもしれない。
そして、見かねた誰かが自分の担当トイレの掃除に乗り込んで来たときには、きっととても傷つくと思う。あんなにみんなの分をきれいにしてきたのに、と。
自分で書いていて、思い当たるなーってことがあります。
自分の担当トイレをきれいに保つことからしか、まわりのためになることは始まらないのだと思うのです。
ほんと、トイレに例えて変なんですがこう考えると、自分の心と体を清潔に、快適に、楽しいように整えようとすること、自分を大切にしようとすることが、みんなのためなんだと分かりやすかったので書いてみました。
自分の”担当”を放置してきたところから変わるには、やっぱり結構な大掃除が必要で、大変かもしれないけど、一度きれいにしてしまえばきれいは保ちやすいものだということは励みです。
もしも思い当たる人が読んでくれたなら、自分を大切にしてくださいね。
変な例え話を最後までありがとうございました。
それでは、また。