徒然なるままに#7
今日は仕事がおやすみなので、少しゆっくり書いてみようと思う。
今日のテーマは「コロナとこれから」
経済の専門家でもなく、哲学者でもないから大したことは書けないが、最近の思うことをまとめてみる。
一つは経済について。
今、コロナの感染拡大を受けて、緊急事態宣言の発令など日本全国が再度自粛の動きが強まっている。自粛を要請している段階ではあくまでも最終の意思決定は事業者側にあったが、強制力を伴う場合は決定は政府の意思となる。つまりは現在コロナ禍という異常事態ではあるが経済活動における政府の介入を認めているということと取ることも出来る。
そしてコロナウイルスの感染拡大が落ち着いたとしてもこの今までの期間において影響を受けた様々な業種の回復には時間が必要であるであろう。そして独力の回復が困難な事業者に対しての支援は今後も継続されるのではないかと考えられる。そうなると、国の財政基盤はどうなるのか。現行の税制で耐えうるのか。(※詳しい部分は不勉強な為、確かなことは言えないがこのままの日本の状況でうまくいくかどうか心配ではある。)
仮にうまくいかないとするならば、政府による統制、介入が強まるのか。または、不介入により保障水準が下がっていくのか。どうなっていくのだろうか。特に近年は個人事業の選択肢や、その参画の敷居が低くなっているように感じる。今回は飲食業へは様々な処置などが行われたが、今後はどうなっていくのだろうか。
曖昧な情報と推測になってしまっているが、もし有益な情報や抑えるべき資料、データなど知っている方がいたらぜひ教えてほしい。
もう一つは社会について
これはコロナ以前から感じていたことではあるが、社会というよりも個人が、より閉鎖的になっているように感じる。もちろん昔からよそ者を受け付けない。寛容的ではないということはあったと思う(協調性が高いということの裏返しであるともいえる)が、よそ者の基準がより狭くなったように感じる。これは人と人の直接的な関わりにおいてである。
Ex:マンションの隣の人を知らない。
一方でインフラの発達などから、SNS上などでの繋がりは広がっていった。その結果、主観的な見方ではあるが同調をする人間との繋がりはより強固になっているように感じる。SNS上などでは、繋がりを選ぶことができるようになった。
そういった状況において、自分と異なる価値観や行動に対しての寛容性が少なくなっているように感じる。そして匿名性なども相まって他者(自分と異なるコミュニティや価値観・行動の人)への攻撃性が高まっていると思う。※もちろんそれだけが理由になっているわけではないと思うが…
ただ、自己の経験でもあるが地域のコミュニティなどが機能している時は、少なくとも自分の価値観が異なる人(嫌いな人)などもいたし、その中で共存する術を学んでいった。そんな経験が少なくなってしまっているのではないかと思う。そして今のコロナ禍において、精神的な余裕も失われてしまっている人も多いのではないか。
そんな世の中(日本)になってしまうことは、とても寂しいことに思う。これは私の主観的な見方ではあるが、日本人の根底には様々なことを受容する価値観が根付いていると思っている。無宗教といわれるほど、様々な宗教が入り混じっている国であり、様々な自然災害を経験しながらも、強く生き続けて生きたこれまでの歴史など、日本の良さはいくつもある。
そんな日本人らしさ、良さがもう一度ひろがっていくためには、何が必要なのだろうかと考えたとき、一つの答えが「知識の幅を広げていく」ことなのではないかと思った。沢山のことを知る中で、様々な価値観や考えに触れること。その経験を今の生活に少しでも生かしていくこと。そんな小さな積み重ねが他者への寛容性、精神的な余裕を作ってくれるのではないかと信じたい。
正直なところ、この文章を書いたからといって何かが変わるわけではないし、そもそも自分の考えが正しいとも限らない。けれど、少しでも共感してもらえる人いたら嬉しいという想いと、自らの思いを書くことで少しでも自分の明日からの行動が変わっていけばと思う。
まだまだ内容自体稚拙ではあるがそんなことをこれからも続けていいきたい。