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この旅が私の納得解。
私は旅に出ることにした。
この旅にはいろんな背景がある。
まず、今年になって2回も海外旅行がキャンセルになったこと。
そのこと自体は納得してるからいいんだけど、2回目のキャンセルが起こった後、「代わりに何かできないかな〜」と考えてるうちに気が付いたらぽちぽちっと1ヶ月後の航空券の予約が完了していた。すぐ行きたかったから「1ヶ月先かあ長いなあ」なんて思ってたけど、30日なんてあっという間ね、ほんと。
もうひとつは、これは自己管理の問題なんだけど、「こうでもしないと休まらないじゃんか!」って思ったから。
とっても有り難いことに、今、私のパワーだけでは考えられないくらいのスピード感で周りの環境が変わるとともに大好きで光栄なお仕事の機会が舞い込んでくる。
ほんとに、半年前のこと考えるとこんなにどんどんお仕事やらせて頂けるのってめちゃくちゃ有り難くて幸せなのだけど(←それを忘れちゃいけない!)、
こだわり始めたらどこまでも時間をかけて丁寧に仕上げたくなるし、大切にしたい人・モノ・想いは増える一方だし、頑張ってたらできることが増えるし、見たい景色も増えるし、とは言っても人間だから身体が資本で健康第一だし、、
私はこの目まぐるしさについていけなくなってしまった。
私は高校生の頃にボランティアをやっていて、費やしたものの対価が目に見えないから随分悩んだ。その時の状況に少し似ている。
好きなことと、やりたいことと、欲しいものと、大切にしたいものと、
決まった型やバランスなんてものはもちろんなくて、ようは自分の納得解を自分で決めなきゃいけないんだよな。
(ちなみに"納得解"ってのは知人からの受け売りで、2年以上前に彼の話す"納得解に納得"してほくほくしながら阪急の終電で帰ったのをいまだに鮮明に覚えてるなあ。言葉ってすごい。)
自分で考えて自分で決めるのって相当な労力(とかいろいろ)が必要で、実際かなり難しいことでもあると思う。
だけど、だからこそこの"どうなるか分からない感"とか"どうにでもできる感"がたまらなく面白くもあるんだよな。
これまでは、いわば"自分にどれだけの耐性があって、いちばん私が活かせる方法は何か"の実験中みたいなものだった。(そしてその実験はきっとこれからも続くのである。)
ちょっと病んだりだいぶ病んだり急激に体調を崩したりしながら、自分自身に対して実験観察考察を繰り返した。めちゃくちゃしんどかった時がたくさんあったし、いっぱい泣いたし怒ったし悩んだし、何より大切な人にたくさん迷惑をかけたけど、すごく大切で意味のある時間を過ごせた、と心から思う。大切な人にダメな自分をさらけ出したり頼ることって時に体力が必要だけど素敵なことだね。それができてこそ大切な人。
それでとうとう、冒頭のほうにも書いた「この調子でいくといつまで経っても休めんわな!」の状態になった。ってわけ。
生きてるだけでお腹が空くし、寝ても寝ても眠たくなるし、お仕事はどんどん舞い込んでくるし、なければ作ってしまうし、やりたいことは無限に湧いてくるし、自分の能力は思ったように成長しないし、ある日起きたらできる女になってることも絶世の美女になってることもないわけで。
だったら自分のペースで進むしかないじゃないか。やりたいこと後悔ないようにやるしかないじゃないか。
こうやって国外逃亡する日があってもいい。
逃避するとか言いつつも気になって前日は打ち合わせと編集作業に朝までかかって、そのままフライト時間を迎えて乗り込んで爆睡したと思ったらやっぱり気になって編集の続きやって、着いた空港のマックでようやく今日の宿確保してからこのnote書いて、そんな日があってもいいじゃないか。
先のことは分からないけど、なんだかんだで何とかなるし何とかする。
こうやって私は私を安心させた甘やかして生きてるんやで。幸せそうでしょ?
さーて、調子乗って頼みすぎたポテトかき込んで出発します!
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