【提出エッセイ】父の昇進
2020/06
父の日といえば、昔は絵を描いてプレゼントしていた。幼稚園で白い画用紙が配られ、黒い髪の毛と肌色で顔を描いて黒の点々で髭を足す。長細いジュースの空き缶を用意して、紙粘土で装飾し色を付け、ペン立てをプレゼントしたこともある。父は覚えているか知らないが、父と娘の可愛らしい思い出の一つだ。
お小遣いをもらうようになってからは灰皿を買ってみたこともあるし、アルバイトを始めた高校生辺りには、タバコを買ってプレゼントした。まだあの頃は、高校生でも自販機でタバコが買えたのだ。そのうち父親の禁煙が成功すると、父の日のプレゼントはTシャツや靴下といった、世話女房系アイテムにシフトしていった。
結婚し、当然ながら父親が増えた。婚家の父は実父よりも23も歳を取っており、死んだバアサンとの方が年齢が近かった。そのうえわたしの両親はお互い結婚前に父親を亡くしており、わたしは生まれたころから祖父を知らなかった。祖父がいたら敬老の日には何を贈っていただろうか?という想像力も、残念ながら働かない。婚家の父に、何を贈ったらいいか全くわからない。父の日にもカーネーションのような定番が欲しい。最初の年だしパスするわけにも、コレかよと思われるわけにもいかず、夫に選んでもらうよう頼んだ。夫はなんの迷いもなく、ネーム入りの、ちょっと高めのボールペンを買って贈った。その手があったか…。80歳の「おじいちゃん」にあげる何かという視点しか持ち合わせていなかった自分を恥じた。その頃義父はまだ、ぜんぜん元気に働いていたのだ。
結婚から数年、ようやく「食べ物」に落ち着いた。両父共、肉が大好物だという共通点を持ち合わせていたのが幸いだった。これなら間違いがないし、タイミングよく帰省すればその肉に有り付ける。こんなにいい贈り物はないと心が躍る。自分が食べるものと考えると、多少値が張っても構わない。
三十云年前から続けている父の日の贈り物。小遣いを貰うようになってから絵を描くだけでは済まされなくなった感のある贈り物だが、父も母も、育てた子どもの成長とともに昇進しているのだと感じる。今後、肉以上の昇進を検討するとなると些か迷うが、実感として、また昇進したなと思っていただけたら幸いだ。
肉肉書きながら、今年はウナギ。どうせ帰省をしないから肉じゃなくていいという、なんとも我々夫婦の自己都合による贈り物だが許してほしい。今年から更に「敬老の日」の行事も増やすので、それによる昇進は大いに期待と実感をしていただきたい。そして言うまでもなく、昇進の絶対条件は「生きていること」だということも最後に書き加えておく。
息子が保育園で描いた風に渡される敬老の日の絵、いつも敬老の日をすっかり忘れて自宅に置いたままになって早3年。でも毎日敬ってます。