車社会に生きる我ら 明日は我が身か
昨日こんなニュースが目に飛び込んできた
事故前に飲酒か トラック突っ込み小学生2人死亡 小学校は休校
引用『千葉・八街市で、下校途中の小学生の列にトラックが突っ込み、5人が死傷した事故で、逮捕された運転手の男が、事故から数時間前に酒を飲んだ可能性があることがわかった。
逮捕されたトラック運転手の梅沢洋容疑者(60)は、28日午後3時半ごろ、八街市で、大型トラックで下校途中の小学生の列に突っ込み、児童5人がはねられ、男子児童2人が死亡したほか、1人が意識不明の重体、2人が重傷。
梅沢容疑者の呼気からは、基準値を超えるアルコールが検出されていたが、その後の調べで、事故から数時間前に酒を飲んだ可能性があることがわかった。』
突然、自分が死ぬと人は思わないし(死んでしまうのだが)、まさか我が子が朝、家を出て戻ってこなくなるとは思わないだろう そういうのが一番起きるのが交通事故だと思う。2年前、コロナのコの字もない頃に大阪にイベントで遊びに行くことがあった。その直前の4月に、池袋で交通事故があり、母子が死亡してしまうという事件が起きた。池袋という土地に馴染みが深いのと、被害者遺族の夫、松永拓也さんが交通事故をなるべく減らしていこうとする活動に身を砕いている姿に心を打たれて動きを追っている。(実は先日の公判でまた気になって東池袋駅付近の現場に見に行った)
そういうことがあり、自分自身も車について考えることがある。自分が交通事故というものに大きく関わったことはないのだが(多少ぶつかった程度のことはある)いざ自分、そして自分が関わっていて突然死んでしまったら悲しいと思うくらいの人たちが事故にあったら嫌だなと思った。とはいえ、この事件の運転手のように飲酒運転をする人はいるだろうし、高齢者で判断能力が低下し、ブレーキとアクセルを踏み間違えるようなこともある。不意に交通事故に遭うことは全然起こりうる。そうした認識を自分の中で持っておくのは大事なように思える。
たとえば、信号無視というのは周りに車がいなければ誰でもやるようなものである。ただ、それを続けていくと段々と自分の中での条件が緩くなってくる。「周りの見える範囲に全く車がいないから」信号無視をするのと、「車が遠くに見えるが恐らく自分が渡る時にはまだ到着しないと思うから」信号無視をするのでは全然リスクが違う。後者の場合、たとえばコケる、途中でスマホを地面に落として気を取られるということで一瞬注意を引かれただけで轢かれるかもしれないわけだ。そして自転車に乗っている時も、身近に高齢者や小学生くらいの子がいた場合、特に注意する。運転というのは慣れてくるにつれ、段々と自分の中での読みが生まれる。これくらいのスピードであれば気づくだろうとか、相手が曲がる前に曲がれるだろうという類のものなのだが、これは相手にとっては当然ではない。そして事故を起こし、死なせてしまったようなケースはそれこそ取返しがつかない。
まったく何も運転しない(それこそ自転車にすら乗らないという人は稀だと思うが)人でも紹介した事例のように車に轢かれる可能性はあり(被害に遭われた方々も当然、自分がこんなことになると予見できないでしょう)、それこそ明日は我が身かもしれない。歩行者にできることは限られるが、少しでも危険を感じたらリスクを回避することくらいか。スピードの速い車が近くにきそうだと思ったら避けておくなど。これだけ車が普及し、利便性が高まった社会において、車をなくそう!というのは非現実的だ。そういう中で自身の車に対する意識を高めておくことくらいで、、後はメーカー側、会社側による対策の充実を願うばかりだ。
関連する記事を探していて見つけたものについて引用しておく。
『番組では、ナンバープレートの色により、アルコール検査義務が違うと解説。緑色だと車が事業用扱いのためアルコール検査が義務に、白は自家用車扱いで検査は義務がないという。自社で製作した商品を輸送する際には白ナンバーが適用になり、今回のトラックはこれに該当し、事故の日は検査が無かったと説明。』