【12/2】Adobe その栄光の軌跡
序
年の瀬が近づいている実感すらなかった11月中旬。MarvelのSlackに広報の渡邊ちゃんが「アドベントカレンダーの記事を書きませんか?」と投稿した。
しかも今年はカテゴリをわけて記事を募集します!とのことだった。
そこで、私はカテゴリとしてあの一文を見てしまった。
……そして聡明なる私は悟ったのである。
これは渡邊ちゃんから私への挑戦状なのであると。[*1]
うむ。老人会を代表して丹精こめた記事を書かねばなるまい!!!
そんな経緯を経て本日のアドベントカレンダー担当は私、ナカジマでございます。
満を持してお送りします、テーマはこちら。
「Adobe その栄光と軌跡」
皆さん、一大ユニコーン企業Adobeについてどのようなイメージをお持ちでしょうか?
デザイン職ではないのであまり縁がないと感じる人は多いかもしれません。
ですがAdobeという企業、実はITの発展を語るのに必要不可欠な企業でもあるのです。
パソコン黎明期から続く熾烈な生存競争を勝ち抜いてくるまで、Adobeには遠大なるドラマがあったのです。
今回はAdobeとインターネットがどう関わったのか、その歴史の一端を伝えられればと思い、筆を取る次第であります。
印刷〜DTP界の覇者として君臨
このAdobeという会社の全容を語ることについて驚くべき長さになることが判明しているが、ここに記すには余白が狭すぎる。
ですので、ITに関する箇所までをコンパクトにまとめます。
1982年 Adobe Systems 設立、PostScriptを開発。1983年 AppleとPostScriptのライセンス契約締結
Adobeの前身、Adobe Systemsの歴史が始まりました。
「パソコンから送ったデータをプリンタで印刷する」「絵や文章が混ざった印刷をする」「カラー印刷をする」これらは今でこそ当たり前なのですが、このPostScript登場によって実現可能となりました。[*2]
そしてこのPostScriptに、かのApple CEO スティーブ・ジョブズが惚れ込みます。AppleはAdobeに投資し、AppleはAdobeの最初の大口顧客となります。
1987年 Illustrator発表。1989年 Photoshop発表
Adobeは印刷データ作成のソフトウェア開発に力を入れていきます。
どちらも今日に至るまでAdobeの屋台骨を支えているソフトウェアです。これらはかなり初期から存在していたのでした。
1999年 InDesignを発表
競合相手を出し抜くために別の競合相手を買収するというアメリカらしい成長戦略を経て、集まった開発者たちは新しく誌面レイアウトソフトウェアであるInDesignを送り出します。
この時すでにDTP業界でデファクトスタンダードと化していたIllustrator・Photoshopとの連携を強化し、Mac OS X(今のmac OS)への対応も進めることで競合からシェアを奪います。
ちなみにですが、当時Adobeの主たる収益源はソフトウェアの売上です。
箱を購入し、入っているCD-ROMを使ってインストールし、シリアルナンバーを入力して認証することでソフトウェアを使えるようになりました。ちなみにこんなパッケージです。
開発費を回収する機会は最初のソフトウェア購入の時点だけだったこともあり、必然的にユーザーは初期費用として非常に高額な出費を強いられていました。
この頃のソフトウェア対価への意識は、現在と全く違うものであったことを認識しておいてください。
Adobeはインターネットの夢を見るか
さて、創業者のガレージから始まった小さな企業は10数年の時を経て、DTP、引いてはデザインの世界では向かう所敵なしの大企業へ変貌を遂げました。
しかし企業の成長のためには一分野での成功に留まるわけにはいきません。
Adobeは新たなフィールドとしてWeb/IT業界に攻勢を仕掛けていくのです。
あー、やっと本題に入れた。前段から長くて申し訳ない。
Macromediaという脅威
21世紀に突入するまでに、Adobeは印刷業界に確固たる地位を築きました。
そしてAdobeのソフトウェアユーザーである印刷会社や広告代理店、デザイン会社は次々にインターネットの世界に活躍の場を広げて行きつつあった時代です。
すでに足掛かりはあることですし、AdobeにとってITというフィールドは十分に勝算のある分野だったのです。
しかし流れが早いコンピュータ業界。
TCP/IP がWindows95に搭載されたのを契機に一般人でもインターネットへのアクセスが容易になっていたことを考えると、2000年前後から本格参入したAdobeは完全に後発です。
先行する企業に追いつき追い越さなければなりません。
既にインターネット業界で、成長を続ける競合相手は多数存在していました。
中でもAdobeが敵と認識したであろう、とある競合会社がありました。
その会社の名はMacromedia。
マルチメディアコンテンツ制作に特化したソフトウェアを強みとしている企業です。
AdobeはこのMacromediaとバッチバチにシェア競争を繰り広げます。
GoLive (PageMill) V.S. Dreamweaver
今まで印刷に特化していたAdobe。新しい業界であるWebページの作成には強くありません。そこで、Webオーサリング(特定フォーマットに準拠したマルチメディアコンテンツを作成すること)で勝負に打って出ます。
Adobeは1994年にPageMillというWebオーサリングツールを発表します。
しかしこれはお世辞も言えないほどお粗末な出来だったようで、すぐに見向きもされなくなってしまいました。
PageMillとは逆に注目を集めたのが1997年にMacromediaが発表したDreamweaverです。
スペルチェッカーやテーブル生成はもちろん、CSSサポート機能も搭載。HTMLベースのWeb制作サポートツールとして十分な機能を備えていました。
1999年、AdobeはPageMillでの勝負を諦めて買収したGoLiveを投入します。
これはドラッグアンドドロップで直感的にHTMLページを作成できるツールでした。
しかしながらGoLiveの評判はそこそこでしかありませんでした。プロユースとなるとややDreamweaverに軍配があがっていたようです。[*3]
Photoshop (ImageReady) V.S. Fireworks
1990年代当時、デザイナーといえばPhotoshopやIllustratorで仕事してる人と言って差し支えありませんでした。そのデザイナーさんたちが2000年代に入り、サイトデザインやロゴ作成を仕事として請け負い始めます。
当然使用されているのはPhotoshopあるいはIllustratorでした。
1998年、AdobeはWeb用画像作成に特化したソフトウェア、ImageReadyを発表します。
翌年1999年には、ImageReadyはPhotoshopの同梱ソフトとなりました。PhotoshopからWeb画像を簡単に書き出せるように進化しています。
画像作成において、Adobeは圧倒的に優位、完全無欠の存在だったのです。
しかし、敢えて挙げるならば「値段」という弱点がありました。
Adobeのソフトウェアはとにかく高かったのです。Photoshopは新規ライセンスが7万円ほど、アップデート版でも5万は下らなかったです。
しかもPhotoshopは印刷用として開発されたこともあり、ブラウザ閲覧用に画像を書き出す用途からすると明らかにオーバースペックでした。
その隙を突いてきたのが、1998年にMacromediaが発表したFireworksです。
ビットマップとベクターグラフィックに絞って、Web画像作成に特化したソフトウェアとして誕生したFireworksは、新興Web製作会社のニーズを十分に満たしていました。
とはいえです。ここまでAdobeが築いた磐石の地位はそう簡単に揺るぎません。やはりPhotoshop一強の中、Fireworksがなんとか追従しようとしている状態でした。
DreamweaverとFireworksだけならば、Adobeの方が有利にことを運べていたでしょう。
それでもAdobeがMacromediaを無視することができなかったのは、間違いなくあいつのせい。インターネットに新風を巻き起こしていたあいつが目障りだったからでしょう……。
LiveMotion V.S. Flash
2000年代はインターネットが一部のマニアだけの趣味ではなくなり、ライトユーザーが増えつつある時代でした。増えていったユーザーにアプローチするためにも、HTMLで表現できる文章だけのページだけではなくマルチメディア再生が可能なリッチコンテンツの作成に興味関心が高まっているという背景がありました。
そこででてきたのがFlashです。
Macromediaは1995年に発表されたアニメーション制作ソフトを会社ごと買収し、Flashと名称を変えて自社プロダクトとして開発を進めます。
このFlash!アニメもゲームもお手軽に作れるわ、動きのあるサイトも作れて簡単に目立たせられるわ。インターネットのコンテンツ制作ツールとして爆発的人気となりました。[*4]
2000年代のインターネットはFlashの天下だったと言っても過言ではありません。
この展開、クリエイティブ界の雄を自負するAdobeとしては全く面白くありません。
1998年、AdobeはFlashの対抗馬としてLiveMotionを送り出しますが、風の前の塵に同じでした。[*5]
そもそもDreamweaverとFireworksの優位性は、圧倒的強者であったFlashとの連携しやすさというのも大きな大きなアドバンテージとしてあったのです。
よろしい、ならば戦争だ。
お互い、勝てるところと負けているところがあります。
AdobeもMacromediaももちろん勝つのは自分たちだと信じて疑いませんでした。
2000年8月、AdobeはMacromediaを訴えます。
しかしMacromediaは負けません。9月にはAdobe相手に訴訟を起こします。
もちろんAdobeが引くわけにはいきません。
こうして血を血で洗う抗争が始まってしまいました。
不毛な戦いは何年経っても終わらず、地獄の訴訟合戦が続きます。
まさしくお前も強敵(とも)だった
先の見えない泥沼の戦いにAdobeとMacromediaは疲弊していくばかりでした。
ある時、彼らはあることに気づきました。
「あれ、ひょっとして、我らが手を組めば無敵なのでは?」
Photoshopで画像編集の頂点を極めたAdobe、Webコンテンツ制作に強いMacromedia。
よくよくよーく考えると、彼らの関係は互いの足りないところ、違いの弱点をうまく補える関係だったのです。
なんで今まで気づかなかったんでしょう? 争う必要なかったわ。
2005年、終わりの気配さえなかったこの戦いはAdobeがMacromediaを買収することで幕を下ろします。
この時の世間へのインパクトはいかばかりか。想像してみてください。[*6]
しかしそんな世間の混乱を他所に、両社間の技術者たちは合併前からかなり密にMTGを重ねており、合併する頃には完全にただの同僚という感覚になっていたそうです。
さあ、これで目下のライバルはいなくなりました。
これからのAdobeには素晴らしい未来が待っているに違いない。
そう思っていたのも束の間、盤石と思われていた絆に綻びが生まれていたのです。
プロプライエタリの凋落
あなたは、もう、忘れたかしら。
FlashPlayerがブラウザプラグインだったのを。
2007年、AppleはiPhoneでFlashPlayerをサポートしないことを宣言しました。
これにより2010年以降発売されたAppleのモバイルデバイスで通常通りFlashコンテンツを再生することができず、非公式のプラグインを導入する他なくなりました。
AppleとAdobeはPostScript時代から良好な関係を続けていたはずだったのでは!?
まさに青天の霹靂。Macromediaとの合併劇に続き、このニュースもWeb/IT業界に激震をもたらしました。[*7]
2001年にAppleがiPodを発表して以来、モバイルデバイスとしての地位を受け継いできたiPhone。当時既に、iPhoneは世界中が注目する一大トレンドでした。
そのOSであるiOSからFlashが消えるインパクトは甚大で、あれだけの隆盛を誇っていたFlashプラグインの主要ブラウザのサポートはどんどん打ち切られていきます。
公式アナウンスとしては、Flashはセキュリティに問題を抱えている、メモリを多く消費する、タッチで操作するのに向かないなどの理由があり、サポートを継続できないと判断したとのことでした。[*8]
また、この時まことしやかに流れたのはApple CEOを務めていたジョブズとしては、AdobeがWindowsフレンドリーな開発方針に寄って行ったことが気に食わなかったと言う噂です。[*9]
集合知とともに台頭していくオープンな技術
もうひとつの大きな要因として、Webに限らずコンピュータに関わるすべてのスタンダードがオープンソースに傾倒していったことも無視できません。
この現象を象徴するお話をひとつ。
Microsoftが1993年から毎年発行していた電子百科事典があったことをご存知でしょうか。その名はEncarta。聞いたことがないなという人も、Encartaの競合相手のことは知っているはずです。
その競合相手とは、誰もがお世話になったことがあるだろうあのWikipediaです。
Encartaのプロジェクトが始まった頃、巨額を投じて数百人の専門家に執筆してもらった百科事典が、ボランティアが執筆するフリーの百科事典に打ちのめされるなんて誰もが努にも思わなかったのです。
結果としてEncartaは2009年、プロジェクトの打ち切りが発表されました。
そして誰もいなくなった
インターネットの発展によって集合知の価値が信じられないスピードで上がっていく中、オープンで誰もが参照できる技術は注目され、プロプライエタリ(開発者や企業が製品やシステムの仕様や技術を独占的に保持し、情報を公開していないこと)は倦厭されるようになりました。
このような逆風の中、Adobeという私企業が技術を(それと利益も)独占し続けることは公益に反するとし、Flashを維持することは難しかったと思われます。
これという一つの理由があったわけではなく、複雑な要因が絡み合った結果としてFlashは消えてゆく運命を辿ることになります。
2011年、AdobeはモバイルデバイスでのFlashPlayerの開発を打ち切ります。
2020年には完全にFlashPlayerの開発が打ち切られました。
Flash時代は終焉を迎えました。
これからの「Adobe」の話をしよう
何であれ、AdobeにとってFlashというプラットフォームの消失は大きな痛手でした。
同時にAdobeは、AppleやMicrosoftへの依存の上で成り立つビジネスモデルは破綻し、新たな方向性を模索するべき時が来ていることを痛感したことでしょう。
Adobeの逆襲 SaaS時代の夜明け
2012年、Adobeは一つの決断を下します。
これまでの買い切り型ライセンスを廃止し、同社全てのソフトウェアをクラウド型サブスクリプションサービスに移行すると発表しました。
当初この変更に対し、多くのユーザーが反発しました。
毎月使用料を払わなくてはならないこと、クリエイティブクラウドに対応するためのハードウェア要件が厳しいこと、そして常時インターネット接続が必要不可欠となることなどが理由として挙げられていました。
そんな批判をものともせず、Adobeは改革を断行します。
2013年、Photoshopなどの主要ソフトウェアをまとめてCreativeCloudへ移行、クラウドサービスの展開を開始しました。
既に完成の域にあったAdobeのソフトウェアはSaaSプロダクトとして生まれ変わったのです。
結果は知っての通り。
初期投資が抑えられるサブスクリプションモデルは好評を博し、Adobeは最高収益を叩き出します。
Adobeは大企業ながらSaaS + サブスクリプションというライセンスモデルを打ち出した先駆となり、今日の常識をつくったのでした。
やっぱりAdobeという会社はあっさりコケて終わるような軟弱な企業ではなかったのです。[*10]
Adobeの歴史はまだまだ続く
Adobeの歴史、かいつまんでご紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
今回書くために色々調べてみるにつれ、Adobeは非常に先見の明に優れた会社であり、今日のユニコーン企業と呼ばれるに相応しい会社なのだと見方を改めました。
インターネット老人会として、こんなに昔のことをたくさん書けたのは大変な僥倖です。
以上、ナカジマでした!
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