✨撰時抄✨
『衆流(シュウル)あつまりて大海(タイカイ)となる微塵(ミジン)つもりて須弥山(シュミセン)となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧(イッタイ)・一微塵(イチミジン)のごとし、法華経を二人(ニニン)・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚(ミョウカク)の須弥山ともなり大涅槃(ダイネハン)の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』
🦄通解🦄
多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、
一粒の塵のようなものである。
やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくようになると、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるに違いない。仏になる道は、これよりほかに求めてはならない。
🌻解説🌻
日蓮大聖人は、民衆を苦悩から救い、悪世を変革するために立ち上がられ、末法において「南無妙法蓮華経」を唱え弘められました。
はじめは一滴の水や一粒の塵のようにわずかな存在でも、川の流れが集まって大きな海となり、たくさんの塵が積もって大きな須弥山となるように、真実に目覚めた一人の「法華経の行者」の偉大な闘争は、二人、三人、十人、さらに百千万億人へと大きく広がり、世界の変革へとつながっていく--
大聖人は“広宣流布は必ず成し遂げられる”との大確信を示され、弟子に共戦を呼びかけられています。
師に連なる“本物の一人”が続くことによって、平和と幸福に満ちた社会は創出されていくのです。大聖人はさらに、万人の幸福・世界平和という仏の大願を実現する戦い以外に、「仏になる道」を求めてはならないと断言されています。
“今いる場所で、広布の使命を果たそう”との誇りも高く、師と共に朗らかに前進しましょう。
🌞池田先生🌞
あらゆることは、一滴、一微塵から始まるのです。しかし、その一滴、一微塵が確かな存在であれば、同じ志で次の「一人」が立ち上がり、着実に積み
重なっていきます。
法華経は万人を目覚めさせる教えです。一人一人の無明を力強く打ち破って、法性(ホッショウ)の生命を呼び覚ます力がある。一人の「法華経の行者」が行動を起こせば、太陽の如く周囲の闇を照らし、晴らしていくことができます。