「雨よ、ああ、慈雨よ」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(四十)丸山健二
我が庭にとって、梅雨明けを間近に控えた頃の大雨はまさしく慈雨となります。
それというのも、地面の下が粘土層ではないために根腐れの心配をしなくて済むからです。むしろ「もっと降れ」と雨雲を煽りたくなるほどなのです。
この辺り一帯は元河原でした。それが田畑になったのは、開墾した者は農地の所有者になれると、戦前、戦後のお上が奨励したからです。
その時代には開拓者が簡単に扱える重機などなく、馬や牛を手に入れる資金もありませんでしたから、ひたすら人力に頼っての重労働を余儀なくされたのでしょう。農作業自体が、今では想像もつかないほど過酷なもので、子どもの手を借りても間に合わないほどでした。当時の農民の皮下脂肪のない体が思い起こされるたびに、土に生きるということの凄まじさが蘇ってきます。
やがて経済的繁栄が訪れ、農機具の普及によって重労働がかなり軽減されました。ところが、人間というのは横着なもので、ひとたび楽な方向へ突き進むと際限なくそっちへ転がってゆき、しまいには農業自体を忌み嫌う若者が増え、都会へ出て行けば土にまみれずに済むという、ただそれだけの理由で離郷者が続出しました。その結果と、悪政としての農政の欠陥が相まって現在の農業不振を招いたのです。
周りは年寄りばかりです。それも後期高齢者が目立ちます。休耕田も増える一方です。少なくともこうした土地に未来の輝きは見あたりません。
そういった深刻な状況のなかで私は、腹の足しにもならない園芸なんぞを楽しんでいます。死ぬのを待つような人生の後半生を忌み嫌って、執筆と作庭にひたすら打ちこんでいるのですが、しかし、これが人間本来の生き方であるとは言い切れない自分をも併せて感じています。
もちろん、時代を比較したところで何も始まらないことは承知しています。
要するに、今の自分が今の時代を精いっぱい生きるほかないのです。
歳月は確実に流れています。時代もまた然りです。
それが証拠に、私も妻もそれなりに老いました。でも、タイハクオウムのバロン君は命の絶頂期へと向かって突き進んでいます。そんな私たちを取り囲む好みの草や木も、生き死にの摂理に忠実に従っています。
ともあれ、この世に存する限りは逃げ場を完全に失うことなど絶対にあり得ません。
月の色に染まった夜が、官能的な痛みを伴う闇が、またしてもひたひたと押し寄せてきて、すべての生き物に寄り添う固有の意味を優しく覆い隠してくれるのです。
「それでいいのでしょう」と蓮華岳が慰めてくれます。
「それがこの世における命の在り方というものでしょう」と蟻が断言しています。