言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十三)丸山健二
勤めていた会社が倒産の危機を迎えて転職を余儀なくされ、しかし、資本家に尻を蹴飛ばされつづける奴隷の立場はもうたくさんとばかりに、なんと、柄にもない、想像したことすらない、小説家の道を、興味も経験もなしに、とち狂ったとしか思えないほどの発作的なひらめきに沿って動いてしまったのです。二十二歳の夏のことでした。
あの時の選択と決断を振り返れば、大いなる謎としか言いようがありません。つまり、職種はほかにいくらでもあったはずなのです。にもかかわらず、社会の敵というレッテルを最初に貼られたジョン・デリンジャーに激しく魅せられ、強烈に憧れる余り、密かに悪に生きようとしていたサイコパスの典型が、恥知らずにも、軟弱極まりない文学なんぞをめざしたのです。今でも信じられません。
職場で隣の席で働いていた、ふたつ年下の同僚に言わせれば、自分の将来は犯罪者の妻に違いないとそう本気で思っていたようですが、残念ながらその後の展開としては小説家の女房に成り果てました。運命の皮肉とはまさにこれを指すのでしょう。
そして私は、好きでないどころか、半ば軽蔑していた文学の世界へ身を投じる経過をさほどの苦労もなしに辿りました。ぬめぬめした印象に塗りこめられた文学自体もさることながら、遠目にも胡散臭く見え、どうしても生理的に受け付けられない文壇なるものに拒否反応を示したものの、好き勝手にやれる自由さが捨てがたくて、ずるずると嵌まっていったのですが、どうしても嫌悪感は拭えず、思案の末にこうした山国へ逃げこみました。
半世紀に及ぶ執筆活動は、大手出版社の担当者をも含めた文学関係者たちとの付き合いが最低限度に留めたなかで細々とつづけられ、やがて、これまで文学と称されてきた代物や文学者のだらしなさに強い疑念を抱き始め、その反証を突き付けるための自作に没頭しました。それでも悶々たる気持ちはいかんともしがたく、ついには自身が版元となって新作出すという理想の枠組みを整えました。従って、今現在が最高の生活環境と言えます。
独創的な庭造りと、画期的な文学創り、この二本柱が私をしっかりと支え、八十歳を迎えてもなおその姿勢がぶれる気配がないどころか、進化と深化を求めて走りつづけます。
価値観の表象たる花々に囲まれて執筆の緊張感をほぐすひと時、ひょんなことから始まった、思いも寄らぬ人生を、ごく控えめに肯定できそうな空気が一面に漂います。今にして思うと、最適の道を歩んだのかもしれません。妻の眼差しに同感の色が浮かんでいるように思えてしまうのは、自惚れの為せる業なのでしょうか。
「そんなおまえだからこそ文学に向いていたのさ」と呟いたのは、詮索好きのタイハクオウムのバロン君でした。(個人の印象ですのであしからず)
「ほかにどうしようもねえだろうが」と悪態をついたのは、私が潜り抜けてきた、良い意味にも悪い意味にも取れる、遊びの気配が濃厚な長日月そのものでした。