(自分的に)怒涛のような1年を終えて。
こんにちは、まるちゃんです。
タイトルの通り、この1年間は私にとっては本当に怒涛のような期間でした。
なぜ怒涛だったかというと、仕事の変化とメンタルの不調のためでした。最近はやっと人にも経験を話すことができるようになって、だいぶ回復してきたように思います。
これから自分の人生の中では辛かった1年として思い出されるでしょうが、自分と向き合う機会にもなり、改めて気づいたことを備忘録として記録しておきたいと思います。
仕事に対する価値観
この1年間の私の動きを整理するとこんな感じです。
2021年3月 地域おこし協力隊の任期終了
2021年6月 とある企業に正社員で入社
2021年10月 メンタル不調を理由に退社
2021年11月〜 フリーランスとして活動、別会社での業務委託開始
実は別会社の仕事を11月から始めてはいたものの、2022年1月まで前職の仕事を請けてはいたのですが、自分でも分からないくらい仕事のアウトプットが出せなくなってしまい、勇気を振り絞ってお話をしてお仕事をストップさせていただきました。前職の方に迷惑をおかけしてしまったことは本当に申し訳なく思っています。
メンタル不調に陥ってしまった原因は仕事に対するモチベーションの低下、人間関係などいくつかあるのですが、ここで書くようなことでもないので、詳しくは割愛します。ただ、この経験からわかったことが3つあります。
①自分がやりたいと思ったこと/本質的に意味があると思えるじゃないと結果を出せない
②ある程度自分の裁量を持って仕事ができないとストレスを感じてしまう
③私は仕事が好きで、自己実現において仕事が占める部分が大きい
なんとなくフリーランスになるのが不安だったこともあって、正社員として働くことを決めましたが、働いてみたことで自分の仕事に対する価値観や譲れない部分に改めて気づくことができました。
この2点を踏まえて、現在はフリーランスとして仕事をしています。と言っても今のポジションは次に行く前のステップだと考えていて、ガッツリ仕事をして稼ぐというよりは、自分の興味ややりたいことに改めて向き合いながら、無理せずほどほどに稼ぐ生活をしています。
やりたいことを見つけるのは簡単なようで難しいです。特に私のように好奇心が強く、目の前に課題があると感じたら取り組んでしまうようなタイプだと、次から次へと取り組まねばならない課題が周りに見えてきてしまい、気を取られてしまいます。
それも1つのスタイルなのかもしれないと思いつつ、何か1つのことに生涯かけて打ち込むのも素敵だなと思って、探求を続けています。どういう結論に至るかはお楽しみです。
自分にとって自己実現における仕事の割合が大きかったことも、今回のメンタル不調にかなり影響したと思うので、これからはもう少し気楽に仕事のことも考えてみたいと思います。
将来的にも仕事は失敗するかもしれないですからね。人生のウェイトをそればかりに置いていたらまたメンタルやられかねません。教訓です。
福島での仕事(復興)に対する考え方
以前に別記事でも書きましたが、私が会社員をやめてからも福島で働こうと決めた裏側にはやはり「復興」に対する思いがありました。岳温泉での地域おこしの仕事、浪江町でのお仕事などを通じて、復興の色々な側面を自分の目で見ることができたと感じています。
その中にはもちろん希望もあれば、一方で違和感や疑問を感じることも少なくありませんでした。
福島(特に浜通り)の復興は本当に複雑で一筋縄ではいかないプロセスなのだと感じています。
一歩ずつ未来に向けて歩みを進める地元の方、ヨソモノを呼び込んで地域を新しい形で盛り上げている方、遠くからそれを見守る方… 色々な立場の方がいらっしゃいます。行政主導の復興関連事業に私も少し携わりましたが、何をすることがベストなのか、色々な立場の方のお話を伺うなかで自問自答してしまうことがありました。
(自分のための)備忘録として1つだけ具体的な例を挙げておきます。仕事で風評払拭のためのPR事業に携わりましたが、どういうエビデンスがあって安全なの?と人に聞かれても恐らく私はまだきちんと答えられません。もちろん福島県産の野菜や海産物を日々いただいています。食べれば分かるさ、美味しさはそうかもしれません。ただ、何を持って安全だと言えるんだ?と聞かれた時に説明しろと言われても恐らくできないのです。
もちろん私の勉強不足と言われればそれまでですが、事業に携わる人の中できちんと説明できる人がどのくらいいるのでしょうか。検査して基準をクリアしているから大丈夫というのは理解していますが、震災から10年以上が経過した今、これまでと同じようにPR事業に大金をばらまき続けても先が見えないような気が<個人的には>してしまったのも事実です(そのばらまかれた大金に頼って利益を出している会社もたくさんあるのもまた事実です)
行政主導で行うのであれば、分かりやすく科学的な根拠を示しながら、福島県内外の人に向けて理解を促すような取り組みも同時に必要なのではないか?など、複雑な問題に対して取り組みがシンプルすぎるように感じてしまいました。
これは全て<私個人の>考えです。賛成も反対もあると思います。私自身も自分の考えが絶対に正しいとか、他の考えが間違っているなどとは全く思っていませんし、福島の複雑な問題に対してはさまざまな立場や意見があって当たり前なのだと思います。誰もこれまで経験したことのない課題ですし、復興に正解/不正解はありません。
ただ、このような複雑な問題を解決していく(スムーズに前に進めていく)には対話が必要不可欠です。これは最近始めたとある国際NGOの活動の中でも学んでいることですが、福島でももっとオープンに、行政・民間・市民の垣根を越えて「話しができる機会」が必要なのかもしれません。
話し合うなんて綺麗ごとだと言う人もいるかもしれません。でももっと福島で暮らす中で感じる違和感や不安、未来に向けてのアイデアを、立場や世代を超えてフランクにお話しできる雰囲気とメンタリティが醸成されれば、もう少し市民の声を政策などに反映することができるのではないかと感じます。(一方でこれができない理由というのも行政側のファシリテーション能力の問題だったり、政治的なパワーバランスだったり、色々あるんだろうと思いますが、ここでの深掘りは避けます…)
まとめ
後半が長くなってしまいましたが、この1年間はいずれは自分のやりたいことに向き合わなければならないという「内的な必然」と、仕事がうまくいかなくなったこと、そして人間関係の悩みという「外的な偶然」の要素が重なって、精神的には本当に辛かったですが、苦しみながらも自分ともう一度向き合う期間になりました。
今は仕事の関係でまだ二本松に住んではいますが、フレキシブルな会社でもあるので、二拠点居住やリモートで福島と関わることも選択肢に入れながら、私は私の人生をまた一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
ただ、福島は本当に私を育ててくれた場所なので、どんな形になるかはわかりませんが、ずっと関わりは持ち続けていきたいなと考えています。
今日はここまで、お読みいただきありがとうございました。