プロとアマチュアの話
一生懸命に書いた記事がそのまま埋もれてしまうこともあれば、
さらっと書き流したものが意外と相手の心に届くこともある。
その辺の見極めが難しい。
おもねる気は更々無くて、
かといって、閉ざしきれない想いもあって、
右往左往している。
私は学生の頃から俳句を学んだり作ったりしている。
句会や結社誌や同人誌で人に読んでいただいているけれど、
何でずっと続けているのか、正確なところよくわからない。
そのうちのいくつかは財政難や印刷所の問題で、
あるいは人事のことや方向性の違いによる発展的解消(←あまりに常套句?)で
終刊を迎え、行き場の一部を失ったけれど、
幸運なことに「帰る場所」を持っている。
それが、続けていける要因のひとつだと思う。
長く続けていると、時々、思わぬことを訊ねられる。
「プロにはならないの?」「大きな賞に挑戦しないの?」
そのまま、放っておけばいいのかもしれないけれど、
改めて考えてみれば、私って何をやって来て、何をしようとしているんだろうと不安になる。
ものを書くということ、俳句を作るということは、
私のなかで大きなウエイトを占めている。
いるのだが。
身をたてる、という緊迫感も足りないし
楽しければいいんじゃない?と割りきることも出来ない。
言葉にするのが辛いけれど昇華(消化?)したいこともあるし、
単純に、締切が近いのに規定数がまとまらなくて困ることも、ままある。
だからといって、もう辞めよう、とは思えない。
何をもってプロというのかは多面的な要素があるだろうが、
例えば生計をたてていることが条件なら、
ものを書くプロ(と思われる人)の数は、かなり少ないはずだ。
もちろん、生きていくというのは経済力だけではないわけで、
言い換えれば「パンのみにあらず」ということで。
身の回りには、プロもセミプロもおられるが、
なぜあなたはプロなのですか?とは、やっぱりちょっと訊けない感じがする。
逆に、「今日から私はプロです。」と宣言したらプロなのかも。
その場に居合わせたことがないから、そういうことがあるのかどうかもわからないけれど。
私はもう少し後ろめたい感じを持っているので
そうは言えないかな。