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演じる子ども
前回からのつづきです。
「不機嫌の空気」に振り回される
「機能不全家族」で育った私は
その中で母を守れるのは
自分だけだと思っていました。
▼前回のお話はこちら
”子どもらしく”できない子ども
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機嫌が良い時はいいんです。
でも機嫌が悪い時は怒られるので、
緊張感が常にありました。
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子どもの私に、それが普通なのか
そうでないのかなんてわかりません。
わかったところで、どうにもできません。
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日曜日にはパチンコ玉がガラスに当たる音が
ずっとしていたし
父は給与から決まった金額しか渡さないので
母はやりくりに苦労していたし
姉に見た目をからかわれたり
トイレのドアを開けられたり
自分勝手に怒るのも
”そういうもん”だと思っていました。
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姉は「小さい母」と思えるくらい
私に口出ししてくることが多くて
私の中では、母より存在感が大きくて
怖いものでした。
抑圧も強くて主従関係にあり
同じ部屋で寝起きするので
常に気を使っていました。
小学校低学年の頃は2段ベッドで寝ていて
私が寝返りをうつとベッドが揺れるので
それで怒られるのが嫌だったことは
今でも覚えています。
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父は機嫌が良ければ居間にいたり
悪いと自室にこもるので
それで機嫌の良さがわかりました。
私はだんだんと話しかけるのも
ためらうようになりました。
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結局、家族の中で母が1番
父や姉と話しをするので
当然、当たられることも母が多くなります。
そんな様子を見て私は母が
「可哀そう」でなりませんでした。
この「可哀そう」と思う時というのは
同時に自分も傷ついていました。
「可哀そう」な母を
自分はどうにもできないからです。
ただ、母の気持ちの拠り所になろう
反抗したりキツイことを言って
傷つけないようにしようと
私は自然と
「機能不全家族で育つ子どものパターン」
を身に着けていきました。
子どもは、親が喜んだり、安心していたり
リラックスしていないと
親から愛情をもらえないことを知っています。
親から愛情をもらうために
家族内の問題をどうにかしようと
自分の役割を演じるようになるといいます。
それは逆に
「ありのままの自分」
「子どもらしい子ども」
ではいられなかった、ということです。
今日はここまで。
それではまたね。