限界領域で人が見せる姿
限界領域において、人は変わる。
限界領域こそ、本来の姿なのかもしれない。
これを理解することは、リーダーとして動く人にとって重要だ。
今回は、この辺りについて書き綴っていく。
建設現場でアルバイトしていた時の話
私は17歳の時、はじめて建設現場でアルバイトをした。
ある土曜日、建設会社を経営していた父親に連れられて、工事現場の見回りへ。
なんと、そのまま軍手とヘルメットと長靴を置いて、工事現場に捨てられた。
巨大な用水路の土手にコンクリートブロックを据えるつける作業の労働人員として、建設現場に強制デビューとなった。
その後も事あるごとに建設現場で働くことを余儀なくされた。
最初は、自分が何のための作業をやっているかも分からず、とにかく言われた通りに体を動かした。
とにかく、よく怒られた。
胸倉を捕まれるなんてことは、日常茶飯事。
ヘルメットの上からだが、石頭ハンマーで頭を叩かれたこともある。
当時の建設現場は、とにかく気性の荒い人が多かった。
細かく正確な指示を出してくれる人は、殆どいない。
嘘みたいな話だが「プレートを持って来い!」と叫ばれたので、ダンプまで行って荷台に乗っていた金属プレートを持って戻ったら…
「プレートじゃない!プレートだ!」と言われたことがある。
プレートではないプレートとは何だ?
どうやら、金属のプレートではなく、転圧機のプレートを持って来いという意味だったらしい。
例えば、舗装工事でのこと。
電気丸ノコは、サンダー。
ガスバーナーは、ファイヤー。
でも、トンボのことは、冷気(レーキ)と呼ぶ。
そこはフリーザーではない。
初心者相手でも、不思議な専門用語のオンパレードだった。
最初は、次の作業を予測することもできず、とにかく目の前の指示をこなすことに必死だった。
逆に、次の作業を予測できている人は、指示なしでも先回りして体を動かしていた。
先輩へそれができる理屈を聞いても「??」だった。
「言語化して教える」ではなく「見て覚える」というのが当たり前といった感じだ。
夏休みに、毎日連続して現場へ行くようになると、一つの現場の全体の工程を把握するようになった。
そして「工程表」を読むことを覚え、先回りして次の工程の準備に取り掛かることができるようになる。
職人の人たちが何のための作業をしていて、どんなものが出来上がるのかが分かるようになる。
この辺りから、建設現場の仕事の楽しさが分かるようになってきた。
スケールの大きいモノをつくり、完成した時の爽快感。
(当時は)いつでもタバコを吸える解放感。
体を動かした後の食事の美味さ。
そんなこんなで結局は大学を卒業する直前まで、父親の会社で「都合の良い期間工」のように使われた。
ちなみに、本当に忙しい時は、作業着のまま大学へ通っていた。
本人にコスプレのつもりは毛頭ないが、なぜか友人から記念撮影を求められることが多かった。
超絶ブラック労働の話
当時の父親は、随分儲かったと思う。
私と兄を超絶ブラック労働者として、酷使することができたからだ。
私たち親族を除いても、今の時代ではありえないくらいの労働時間だったと思う。
ある鉄道工事でのこと。
電車が走る中での鉄道工事は、少し特殊だ。
電車が来る時は、全ての作業を中断しなければいけない。
材料も道具も線路に残したらアウト。
完全に安全な状態にして、電車に向かって合図をしなければいけない。
一つミスすると、電車は止まる。
止まったら、鉄道会社から、まるで犯罪者のような扱い(尋問と始末書)を受ける。
こういう特殊な条件だと、作業は通常の仕事よりも進まない。
当然、電車が走らない夜間にしかできない作業もある。
(貨物だけは走ったりするが)
つまり、昼も夜も工事が連続することになる。
私は、ここで「限界領域」を見ることになった。
昼勤の準備、昼勤、夜勤の準備、仮眠、夜勤、仮眠、これを連続して行うことになる。
特に冬の夜勤は過酷で、みんな早く帰りたい。
そうなると、限界領域が展開され、人の本当の姿が見えてくる。
父親の会社は、現場の施工管理までが仕事だ。
作業はもちろん、管理までして仕事を果たす。
つまり、現場作業の最終責任があるということになる。
また、私は現場の中で、どこか「経営者の息子」という特別扱いがあった気がしていた。
おまけに、若い。
そうなると、どういうことが起きるのか?
まず、作業を専門とする人たちの中には、進捗やそれに応じた材料の消費状況を報告せずに帰る人が出てくる。
そして、翌朝「材料がないから、今日は作業ができない」となる。
これには何回も痛い目を見た。
きちんと自分が責任をもって把握する必要性を痛感した。
社内でも事務処理を後回しにして溜める人が出てくる。
器具、機械のメンテナンスもあと回しになる。
また、急遽対応が必要なイレギュラーケースに目をつむり、翌日の進捗に影響が出たこともある。
――― どこかで私に雑務を押し付ける風潮があった
私はそういった動きが嫌いで、意地を張ってブラックを超えた超絶ブラック労働の志願兵をしていた。
誰かが残したタスクを可能な限り、私が引き受けた。
もちろん、私一人でフォローできたわけではない。
一人では、焼け石に水だ。
限界領域で見たもの
まず、普段は面倒見が良い人であっても、限界領域になると急に冷たくなることがあった。
もちろん、全員ではない。
しかし、体感的に7割程度の人は、温度が下がる。
逆に、限界領域でも、変わらず前向きな人もいる。
温度が上がり過ぎた私のことを心配する人もいた。
私が張った意地に快く付き合ってくれた人もいた。
これには、社員、アルバイト、外注、職人などといった役職や立場は関係なかった。
変わる人は、変わる。
変わらない人は、変わらない。
この違いは何だろうか?
随分長い間、この事について考え続けた。
今になって思うこと
そもそも、限界領域に追い込む経営者が悪い。
そこが大前提だ。
ただ、時には予期せぬエラーで限界領域が展開されてしまうこともある。
それも、分かる。
それでは、限界領域においても「頼れる存在」になるためにはどうした良いか?
これもまた随分長い間、考え続けた気がする。
今の私はこう思う。
まず、体を鍛えること。
体と精神は連動していると思う。
普段から体を鍛えるおくことで、少しの限界領域くらいなら、軽く突破できる。
その程度で、他人に冷たく当たることはないはずだ。
次に、普段から業務処理の基礎能力を高めておくこと。
やはり、基礎能力が高い人の瞬間火力は高い。
少しの限界領域なら、限界とすら感じないかもしれない。
限界領域においても、他人をフォローする余裕を残せるかもしれない。
最後に、心を鍛えるということ。
これが、一番難しい。
私が最も効果があると思うのは「定期的に過酷な目標に挑戦する」こと。
例えば、気の合う仲間と「富士山へ登る」こと。
これは、実際に私もやったことがある。
子供も含めて、60人程度の集団で富士山へ挑戦した。
8合目辺りから、志半ばで下る人が増える。
下る人には、バディー(相棒)としてもう一人が付いて下る。
すぐにあきらめる人、最後まで登る人、途中で下る人、下る人のバディー、それぞれの立場で感じることがあるはずだ。
こういったことが「心を鍛える」と思う。
――― 成功体験も、悔しい気持ちも、心の糧となる
逆に言えば、何もしないと、心の筋肉は衰えるかもしれない。
経営者にマラソンを趣味とする人が多いのは「定期的に過酷な目標に挑戦する」ということの表れなのかもしれない。
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