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頑張れない人が嫌いな若き経営者へ

先日、20代の後輩経営者から相談を受けた。
子供の頃からの親友と喧嘩し、絶交してしまったとのことだった。
どうやら若き経営者は「頑張れない人が嫌い病」を発症しているようだ。
経営者の中には、過去に同様の病に陥っていた人が多いのではないだろうか?
今回はこの辺りのことを書き綴っていく。

若き経営者が喧嘩した理由

彼は、その親友と若い頃から、一緒に夢を語っていたそうだ。
彼自身は、今、創業3年目。
私の目からすると「安定した経営」からは、まだまだ遠い。
何かあれば、一瞬で消え去る事業所だ。
彼の熱意が切れた時にも、一瞬で消え去るだろう。

――― ただ、彼は今、必死で頑張っている

夢とも希望とも野望とも言える無形のモノを持ち、本人すらよく分からない最初のゴール地点へ向かって、がむしゃらに走っている。

一方、彼の親友は、すっかり過去の夢や野望に対して、消極的だったと言う。
そして、この世の不条理に対して、ネガティブな発言を繰り返したそうだ。

――― 喧嘩と絶交の理由は、たったこれだけ

多くの人は、なぜ彼が怒りに走ったのか分からないと思う。
しかし、創業経営者であれば、殆どの人が理解できると思う。
彼は「頑張れない人が嫌い病」だ。

頑張れない人が嫌い病とは?

もちろん、私が勝手につけた名称だ。
本気で何かに打ち込んでいる人に発症しやすい。
つまり、創業経営者は発症しやすい。

自分自身が猛烈に頑張っていると、頑張っていない人と自分を比べてしまう。
さらに、元々が頑張り屋気質だと「頑張れない意味が分からない」という事態に陥る。
もちろん、無関係の人が頑張るか頑張らないかなど、いちいち意識はしないだろう。
しかし、いざ自分の前に立ち、対面で話していると「頑張っていないと思う人」に対して怒りが込み上げて来る。
こんな病状が「頑張れない人が嫌い病」だ。

彼の場合、かつて夢溢れていた親友が頑張れないことに対して大きな怒りが湧き上がってしまった。
おそらく、親友だからこそ、より大きな怒りとなってしまったものと思われる。

病の行く末

実は、20代の頃は、私も同じ病を患っていた。
他人に食って掛かるほど、怒りを露わにしたことはないが、内心では怒りの感情が度々湧いていた。

20代の若者は、夢や希望や野望を語ることが多い。
だからこそ、最悪の環境、感情だった。
私は、夢の大きさに比例した努力をしない人が嫌いだった。
もちろん、その人がなぜ努力ができないのか、全く理解ができなかった。

やがて、同世代は誰も私と話したがらなくなった。
既に努力の結果が表れている年上世代の人との話が楽しかった。
我ながら、随分、ツンツンと尖った20代だったと思う。

会社内でもツンツンしていた。
自分と同等の努力量を感じられないスタッフに冷たい態度をとることも多々あったと思う。
この点は、私自身が最年少で社長という点に救われたのかもしれない。
年上のスタッフ達は、生意気でまだ結果も出せていない私に寛容だった。
そして、殆どのスタッフは、今もなお一緒に仕事をしてくれている。
これは、運が良かっただけだと思う。

とにかく、ツンツンしていたせいで、私の人間関係は歪になっていた。
狭いバンドの特定の人としか、話していて面白くない。
そう感じるレベルまで、考えが偏っていた。

この状態になると、嫌われる。
恨みすら買っていたと思う。
事実無根の悪評的な噂が広まったこともある。

――― 病の行く末は、辛い

これが実際に私が病に掛かって思ったことだ。

病を克服するには?

私の経験上、以下の3つのケースが多い

1.自分の努力が報われて、心が裕福になった時
2.自分も頑張れなくなって来た時
3.頑張れない人の心理を理解できた時

ちなみに、私の場合は まず1、そして3の経験をした時、病を克服したように思える。

自分の努力が報われて来たと感じた時、病は一段階沈静化された。
ただ、この時点で病を完全に克服したわけではなかった。
まだまだツンツンしていたと思う。

少し経って、次のインパクトが発生した。
「そして父になる」という映画を見た時だ。

物語の中で重要なセリフであったかは分からないが、その中に「みんながあなたのように努力できるわけではないの」というセリフがあった。

――― 衝撃を受けた

単純で、当たり前のことだが、その衝撃を喰らうまでは「努力できないという意味が分からない」という状態だった。
人は、誰しもが「追い込まれれば努力はできる」と思っていた。
だから、努力ができない人は「自分の追い込み方が足らない」と考えていた。

正直、未来への投資として、後に成果として報われるレベルの努力をできる人は多くない。
おそらく、多く見ても全体の3割ほどだろう。
夢や希望や野望があっても、努力ができるかどうかは別問題だ。
それが、やっと本当の意味で腹に落ちた。

今は「努力ができる」というのは、運良く授かったギフトだと思っている。
もし今、「頑張れない人が嫌い病」を患って苦しい若き経営者の人がいたら、こう思って欲しい。

――― 自分は努力できるというギフトを運良く授かっただけ

本当に、心の底からそう思える日が必ず来ると信じて欲しい。
ただし、「自らの努力を怠らなければ」という条件付きだ。


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