<一票の意義>
英国の総選挙で労働党が大勝利を収め、政権交代が起きました。ニュースなどでは労働党政権が「14年ぶり」ということに重点をおいて伝えていますが、それよりも僕が注目といますか感激したのは負けた保守党のスーナク党首の敗戦の弁です。
「イギリスの政府は変わらなくてはならないと、皆さんは明確に意思表示しました。そして、判断として意味があるのは、皆さんによるものだけです」。
真正面から負けを受け止め、しかも次の首相・スターマー氏について「公共心のあるまっとうな人で、尊敬している」とまで話していました。これぞ議会制民主主義の理想の姿です。それに比べてある大国では、大統領選挙で負けた候補者が「選挙結果」を認めず、支持者に議会襲撃まで促していました。これを劣化した民主主義国家といわずなんと言いましょう。
僕は最近アマゾンプライムで「十二人の怒れる男」という映画を観ました。この映画が製作されたのは1957年ととても古いのですが、米国の良心を描いた作品です。18歳の少年が父親殺害の罪で裁かれるのですが、ご存じのように米国の裁判は陪審制です。この制度では、一般の人が有罪・無罪を決めるのですが、審理がはじまったときは12人のうち11人が「有罪」を支持していました。つまり、「無罪」と考えていた人はたったの一人でした。
正確には「無罪」というよりは、「有罪とするには疑問がある」と主張したのですが、その「たった1人」がほかの11人を説得していくストーリーです。その「たった1人」をヘンリー・フォンダさんが演じているのですが、フォンダさんの説得がほかの陪審員の心を動かし、一人また一人と有罪から無罪へと変わっていく様は観ていて心が揺さぶられるものがありました。
その審理の中でフォンダさんが話す次の言葉が心に刺さります。
「これが実は民主主義の素晴らしいところだ」「この国が強い理由はここにある」。
陪審制度は、「全員一致」が原則とのことですが、全員が一致するまで話し合います。しかも、12人のそれぞれは年齢や性格はもちろん、職業も人種も育った環境も違っているところがこの映画を見応えのあるものにしています。というよりも、監督の意図はいろいろな人たちが話し合う、言い争う場面を作りたかったように思います。
僕が特に印象に残っている陪審員は「広告」関連の仕事に就いている会社員です。当時からすでに広告という仕事が社会に大きな影響を及ぼす職種だったことが想像できます。そのようなことを思わせる描写でした。本来ですと、12人全員について書きたいくらいですが、機会がありましたら是とも観ていただきたい映画です。
その米国が今、迷走しています。誰が書いた文章だったかは忘れましたが、「人は食べることが確保できてから、ほかのことを考える」と読んだことがあります。トランプ前大統領の登場はまさしくこの言葉を裏付けるものでした。
8年前、トランプ氏が共和党候補者として名乗り出たとき、当初は泡沫候補扱いでした。それがあれよあれよという間に共和党のトップにまで上りつめ、それでもマスコミは「トランプ氏が当選することはないだろう」と予想していました。多くの人が民主党のクリントン候補が勝利するだろうと思っていました。そのような中で、トランプ氏は大統領にまでなってしまったのです。
もしかしたなら、こうした結果も「これが実は民主主義の素晴らしいところだ」「この国が強い理由はここにある」を体現しているのかもしれません。しかし、現実問題として、トランプ大統領の実現はいろいろな場面で問題を発生させることになりました。大企業のCEOまで務めていたある側近の「彼は書類を最初の数行しか読まない」「彼は国際関係を理解していない」という言葉が忘れられません。
そのようなトランプ大統領を誕生させたのが民主主義です。そして今年、またもやトランプ氏が共和党の候補者に決まっています。先ほど書きましたように「人は食べることが確保できてから、ほかのことを考える」を実践した結果です。報道によりますと、トランプ氏を強力に支持しているのは、いわゆる「ラスト・ベルト(さびついた工業地帯)」 にいる人々だそうです。ITで発展する米国から忘れ去られた人々、と解説している記事もありました。
もちろん、そうした人たちをターゲットに選んだトランプ前大統領の着眼点、戦略性は認められるところです。しかし、米国とはなんのかかわりもない僕から見ていますと、トランプ氏の選挙戦は、「世界」や「社会」や「国際関係」について考えるよりも「いかにして選挙に勝つか」だけを考えている自分勝手な了見のように映ります。これは政治家の視点ではありません。そうとは思いますが、「食べることを確保したい」人たちがトランプ氏を支持する気持ちもわからないではありません。
フランスでも議会下院の選挙が行われていますが、本日決選投票が行われるそうです。事前の予測では極右政党が第一党になる勢いだそうですが、普通に考えて「極右」という名のつく政党にはあまりいい印象を持ちません。その政党が第一党になりそうということは、国民の間に極端な考えが芽生えていることの顕れです。
そうした現状を巻き返すべくマクロン大統領率いる与党連合と左派連合が選挙協力をするようですが、予断を許さない状況です。そもそも議会を解散したのはマクロン大統領ですが、まさか第3位になるとは予想していなかったのはないでしょうか。それを見て思い出したのが、英国の「EU離脱の国民投票」です。
ご存じのように、英国は2016年にEU離脱の是非について国民投票を行いました。当時の首相はキャメロン首相でしたが、キャメロン首相はまさか「離脱」の投票が勝利するとは考えていなかったそうです。つまり、読み間違えたことになりますが、キャメロン首相といい、マクロン大統領といい、政治家の突然の解散は思惑通りにならないと肝に銘じておくべきです。
選挙関連でついでに書きますと、イランでも大統領選挙が行われていました。結果、改革派のペゼシュキアン氏が当選したのですが、僕が驚いたのは選挙結果よりも選挙が公平に行われていたことです。今後の政策運営がどうなるかはわかりませんが、少なくとも選挙そのものはきちんと行われていたことが証明されました。どこかの国のように、政権と反対意見の候補者の立候補を認めない選挙システムではないことが本当に驚きでした。
先週ですが、NHKで放送された「映像の世紀バタフライエフェクト」は実に興味深い内容でした。ドイツがナチスに支配される過程を描いた内容でしたが、僕がこれまで知っていたのは「第一次世界大戦で膨大な賠償金を課せられた」ことがヒトラーが生まれた背景ということでした。この番組を観たところ、そのような単純な話ではないことを思い至らせました。
この番組を観て一番驚いたのは、ナチスが支配するようになるまで、ドイツは自由で平等な暮らしができていたことです。女性進出もどこよりも実現していましたし、労働時間の8時間制を確立したのも当時のドイツでした。そのような暮らしやすい国家がナチスによって支配されていったのがとても不思議でした。しかし、そのきっかけを作ったのは投票だったのです。ナチスは選挙によって選ばれたことを忘れてはいけない、と肝に銘じた次第です。
本日は、東京都知事選です。
東京都のみなさん、怒る必要はありません。ただ「1153万3132人の考える人」になりましょう。
じゃ、また。