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ヘップってなんなん?【ヘップ親父の幼少編】 Vol.2

ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。
著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに笑

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500円札がまだ流通していた昭和。ヘップ親父こと私は比較的裕福な暮らしをしていた。

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祖父が早く他界したこともあり父が大黒柱として生活を支え、祖母は健在だったが仕事人間で家事は母が取り仕切っていたが、祖母、父、母、弟(祖父の他界一週間後に誕生)叔母、叔父、叔母の8人家族、いつも賑やかな昭和の大家族って感じで楽しく過ごしていた。

しかし、小学校に入る前に工場が火災。この時母のお腹の中には妹がいた。お得意先様の協力と父の負けん気で工場を立て直す。

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小学校時代は地元の友人達と野球チームで真っ黒になるまで野球をしていた。しかし、夜間練習などはせずダラダラとしている普通の少年だった。

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その頃、父が生産数を拡大する為、台湾に進出することになる。当時未だ地元の地方銀行でLC決済など出来ず、奈良の本店まで行ってたと聞く。

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台湾から父が出した手紙、当時かなり到着まで時間が、到着の頃はすでに帰国していた。

小6の夏休み家族旅行で北海道に行っている時に悲劇が、お得意先の倒産。急遽奈良に戻ることになる。しかしこの時も連鎖倒産することなく、この危機を乗り切る。

そしてある時、親から地元中高一貫校を受験するよう強要される、とりあえず塾にも行くことになった。

塾といっても夜に隣町までバスで通うのが楽しく解放感にひったっているような馬鹿な少年でした。塾でもお喋りばかりでスーパーに隣接していたので、食品売り場の試食コーナーはよくお世話になったもんです。

けどプライドだけは持っていたのか。このままでは合格は無理と塾の講師に言われると何故か闘志だけメラメラと燃やす馬鹿な小学生だった。

そして受験、当日のことは今でも鮮明に覚えている。私は野球をやっていたので、丸坊主で顔も真っ黒、小学校では優秀な方だった。周りを見渡すと青白い顔をした子供たちばかり、どう考えても負けるとは思えないほど自信に満ちて受験に挑んだ。

面接でも、坊主頭だったので部活はするかとの問いに母が、「部活動はやらせません。」と即答し私は唖然としたことを覚えている。

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ヘップ親父渾身の•••(買ってください笑)
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