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クリープハイプ「君の部屋」の俺は今どこにいるのか

「きっと死んだら地獄だろうな。でも天国なんかないしな」
と始まるこの歌は、ふとした瞬間に浮かび上がる、“君”の部屋のカーテンの柄から幕を開ける。

彼にとって、あのカーテンは、情けなくくだらない毎日を象徴している。
何もできず、ただ帰りを待っていた自分。そして「俺」にとって、そのカーテンの柄は、“君”と過ごした生活そのものであり、あの頃の「虫ケラだった自分」の証でもある。

君とあなた
歌詞の中で目を引くのは、「君」と「あなた」という言葉の使い分けだ。

同じ人物に向けた呼びかけだが、この二つの言葉の間には、過去と現在を隔てる何かしらの距離が孕んでいるように思える。
過去の「君」に囚われつつも、今では「あなた」として既に過ぎ去った存在。その事実を彼はどこかで自分に言い聞かせているのだ。

何もできないvs虫ケラ
「バイト先で虫ケラみたいで、君の前では飼い犬みたいだ」というフレーズには、無力で情けない「俺」が見え隠れする。
さらには、「君が稼いだお金でノルマを払って帰る」という皮肉めいた表現は、彼が未だに独り立ちできない自分を自覚しているのが伝わってくる。
彼が愛した映画も小説も音楽も、すべて「君の部屋」にあったのだ。つまり、“俺”は未だに「君」の存在に依存し、そこから抜け出せずにいる。

別れてるのか
この歌が語るのは、あるひとつの恋愛の後味だけではない。君の部屋に縛られ続けている男の自己認識、あるいはそこから抜け出せない現実だ。
もしかすると、「君の部屋」は「俺」の心そのものであり、彼がどれだけ遠ざかろうと、その影響から逃れることはできないのかもしれない。彼の現在は、過去の「君」に飼われ、構成され、今もなおその部屋の中で閉じ込められたままでいる

「俺」は本当に、「君の部屋」から抜け出せる日が来るのだろうか。それとも、ずっとそこに囚われ続けるのか。歌が終わったあとにも、彼の物語はまだ続いている

今どこにいるのか
冒頭の「きっと死んだら地獄だろうな、でも天国なんかないしな」というフレーズから考えると、「天国」はもう失われ、「俺」は天国のような安らぎに戻れず、今も「君」に囚われながら「地獄」のような現実を生きているわけです。つまり現実にいるでしょう。


GPTと一緒に文章作りました

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