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霊能者が語る 妻とのあの世日記 第99 回 「整形してあの世に入ったらどうなるん?」

「ゲームは、ある一定の法則が決まっていてそのルールの範囲内で頑張るから楽しいってのあるやん」
「ゲームしないからよくわからないし」
「そういうルールが自分に合ってると、そのゲームはとても楽しいものになるんだよね。
あの世というのはそんなもんかなと思ったりするけど」
「現実世界が自分に合わないゲームだらけってこと?」
「いや、現実世界が自分に合わないクソゲーだと思ってる人はあの世でルールから全て自分に快適なゲーム設定作ってその中でキャラクリして生きていくわけやん。
あ、そういえば死んだ後に容姿を変えたりするん?」
「意味ないわよ」
「なんで」
「外見で優劣判断しないじゃない」
「そうなると、整形は生前のみ役立つ手法ってことかいな。整形して結婚した人が老後なくなって、あの世で夫婦が再開したときに「誰やねんお前」とかならんの?」
「霊体でわかるわよ、それにその人が認識してる姿で見えるんだし」
「ああ、整形した後で慣れてるならそれで見えるってことか。ならそういう手法やってる人も一応安心やね」
「でも、死後に容姿とか気にする人いないから、本来の姿で認識されるかもしれないしよくわからないわね」
「おばあちゃんが亡くなった、孫の枕元に出てきた。でも整形前の顔、別人の顔してたからわからなかった、とかそんな悲しい出来事はないのかね?」
「孫が突っ込むんじゃないの」
「関西人ならそれいけるやろけど」
「孫には見慣れたおばあさんの姿よ。だって、死んだ時の姿とか固定だったら色々問題でそうじゃない」
「ああ、確かに、亡くなるときに常に綺麗な姿とは限らないしね。
病院で胃瘻とか点滴とか人工呼吸器とかそういうの繋がれた状態で寝たきりで亡くなったら、孫の枕元にその姿で現れるのかって話になるよね。
ん?服は死んだ人は身に付けてるというのはそれが体の一部、だからだけど。そういう生命維持装置を普通につけてた人はそれが体の一部だから幽霊になってもついてくるのかね?
ホーキンス博士とか幽霊でも車椅子で人口音声で会話するとか?」
「その人の最も健康だった時期とか、見る人がわかる程度に元気な状態とかになるわよ。
そんなんだったら死ぬ時まで美容とか健康に気を使わないといけないじゃない」
「確かに。でも、僕は元気なホーキング博士を知らないので。
もし僕の枕元に出てくる場合はやっぱり車椅子なのかね?」
「だから、わかる程度には元気な姿でしょう」
「そのわかる程度ってのは見る人次第となるなら、結局なくなった人の姿というのは固定化されてないという認識にならん?
そうなると、今ここで合っている妻の姿はなくなった時の年齢の姿に見えるけど、それは僕が知ってる妻の様子がそうだからだよね」
「もっと若く見てもいいのよ」
「20代の姿知らんし、初めて会ったのが37歳だから30代前半の姿も知らんし」
「晩婚はそういう弊害はあるわね。一番輝いてた私の姿を知らないからあの世で会ってもそう見てもらえないっていう、でもあなただったら私の20代見られるでしょうに」
「なんかイメージじゃないんだよね」
「そんなこと考えてるから、見えないんじゃない」



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