色々思うことのある経営プレゼンだったな。 来年上司のやったあれを私はできるかな。 上司、熱出しちゃったな。 私の店は確かに黒字化になったのに成功していないと評価されたのがとても悔しいな。 なんで社長はあぁやって言ったんだろう。みんなで半期頑張ってきたのに伝え方として酷いなと思ってしまった。意図はあるのかな。 非稼働率が高いのは本当に私たちで解決するべき問題なのかな? そもそも生産サイドは売れる商品作ろうぜ、お店はしっかり新作出たら準備して届けていこうぜ、物流は過剰発注やめ
私は仕事で「コミュニケーションデザインチーム」という部署に所属しています。名前だけ聞くと、なんだそれは?と思うかもしれません。この部署には販促プロモーション、ディスプレイ、店舗設計、ICT、アートディレクション、映像制作などが含まれています。私はそのうちのプロモーションチームに入って日々楽しく働いています。 多種多様なスキルを持った人たちが一つのチームになっているので一括りにするのは難しいと思いますが、みんな向かうべきところは同じです。 だからチームとして成立しています。
春だし、なんかあったかいし過去の恋愛の話を書こうと思う。 高校生のころ、本当に大好きだった人がいた。 ひょろっと長い手足、目にかぶっている長すぎる前髪、笑うとくしゃっとなる大きい口。 教室の隅にいた彼はミステリアスで群れず、自分の世界を確立しているのが当時の私にはとっても大人に見えて、話しかける勇気がなかったけど彼の見ている世界を知りたいなとひそかに思っていた。 彼と仲良くなりだしたのが確か校外学習。東京で大学見学に行くという校外学習だったと思う。割とクラスの中でも成績の良
4月から大好きだった東京の端っこの郊外のお店から異動し、東京のど真ん中の新宿のとある百貨店で販売員をしている。最近、会社は「世界的なブランド」になるべくどんどん路面店やカジュアル店舗をクローズさせて百貨店でどんどんお店を広げている。そんな日々も9月で節目なので振り返ることとします。人に向けた文章ではないので読みにくいです。 新宿という街での日々はたくさんのいろんな人が行き交い、息つく間もなく話すことが続く。 駅直結で「すぐ商品が見れてすぐ買って帰れる」が一つの価値となってい
私は田村姓の方と何かとご縁がある。思い立って今日は田村さんについてまとめてみようと思う。 田村という姓について 田村さんは全国で56番目に多い苗字で数でいうと275,000人いるらしい。たぐいまれなる私の苗字とは大違いだ。こんなに多いのだから、私とご縁があるのは納得だが、だとしたらもっと多い鈴木とか佐藤とかそういう苗字の人とのご縁が増えてもいんじゃないかと思う。 田村さん➀ 私のファースト田村さんは元カレだ。高校生の時に初めて付き合った彼氏だ。(彼氏といっても1か月で
それは季節の移り変わりで生温い風が吹いていた日の話だった。大学のOBOG会があると知り、気乗りはしなかったが、友達も行くというし、環境を変えたいと思っていたから思い切って参加してみた。 そこにどこかで見たことがある人がいた。先日、学科の先生が引退をされるということで食事会が開かれた。斜め向かいの端っこのテーブルに座っていた彼だった。 「もしかして、〇〇科の先輩ですか?先日の◇先生の引退パーティーに参加されていませんでしたか?」 『あぁ!いたよ!△ちゃん、〇〇科なんだね。』
私は都内の某百貨店販売員だ。しかしその肩書もあと1か月で終わろうとしている。異動が決まった。今回は、自分で希望した異動だ。本当に、、、本当に良かった。この異動がうまくいかなかったら本気で辞めようと思っていた。百貨店が自分に向いていなかった。ここまで向いてないと思うと笑えて来る。向いていなかったし、何より自分が愛着を持てなかった。 いろんな人に「百貨店はあなたのキャラじゃないよ~」と言われてきたし、自分でも今、そう思っている。でも小売りのボスとしての百貨店を知らないまま、このキ
入社2年目になって、ようやくブランドをつくることがどれほど大変か身をもって感じるようになった。今までは漠然とブランドをつくることに対して、自分のお店を持つことに対して憧れがあった。ブランドをつくるってことは自分の好きな世界をつくれることだって。そんな状態を想像すると最高だし、自分の好きなものや価値観に共感してくれる方に対して他愛もない会話を通して届けられるのってこの上ない幸せだよねって思っていた。 現実、ブランドをつくるってそんなキラキラした甘いもんじゃなくてもっと泥臭くて