「不買運動」という名の販促活動
現在、Twitterや755を休んで数週間。
メンバーから送られてくるモバメもほぼ読まずに日々何をしているかと言うと、仕事して、AKBの公式ブログのチェックをして、握手券の枚数を考えて…ぐらい。
仕事をしている時間、仕事について考えている時間が普段よりも長くなっているために、別にオタ活をしていないこと自体にはなんの問題もないのだけれど、まとまらない思考をまとまらないままに書くという作業をしていないから、頭の中がごちゃごちゃになっている気がするのは、Twitterに毒されているせいだと思う。
というわけで、まとまらない思考をまとまらないままに少し書いておこうと思う。
実際はTwitterでのオタクの発言をチェックしているわけではないから予想ではあるのだが、恐らく今回の騒動によって「握手券不買運動」などということを言っている人がいるだろうという想定のもと、とりあえずタイトルを書いてみた。
さて。実際に「不買運動」と言っている人はいるんだろうか。まぁいるだろうなとは思う。
ただ、その「不買運動」という宣言。
何の意味があるのか。
48の話をしていると、オタクの行動の理由になる感覚として、"支えなきゃ感"の話が出てくることがある。
"俺が支えなきゃ"という感覚は、明らかにオタクが大量に買う行為の理由づけになるのは間違いないと思う。
「不買運動」という言葉、"支えなきゃ感"の増大に一役買いはしないだろうか?
誰かが「不買運動」をすると発言をする。それに同意する声も上がると思う。
その流れを見た、買う気満々の人がいる。
「今回、こんなに買わないと言っている人がいる。"俺が支えなきゃ!"」となってしまうのではないだろうか。
48にとって、どんな言葉も販促活動なんだ。
世間からの批判が増えようと、誰が「不買運動」を宣言しようと、買う人に買わない感覚を植え付けることはできない。
因みに、自分の話をしておくと、今回の握手会日程、がっつり参加できるのは幕張2日間だけだから普段よりも抑え気味の枚数に出来るのだけれど、ここで普段よりも買わないと「不買運動」とか言っているやつと同じ感じになって圧倒的にダサいから普段と同じぐらいの枚数買おうという感覚になって1日当たりの枚数が増えそうですらある。
実際に発言を見ていない私ですらこうなんだから、実際に発言を見ている人はどうなんでしょうね。
というわけで、本当に「不買運動」をするつもりならどこにも書き込まず1人で粛々とやろう。その発言、販促活動になってますよ?