耳鳴りー起こって欲しくない現実が起こった話ー
わたしの耳鳴りの歴史
2年半前に出現;ジージー、キーンというセミの鳴き声のような音
漢方治療(半年くらい)、整体、針治療を各3ヶ月ずつ試す。
最近は随分良くなっている。音が随分小さく、水しぶきや他人のぼそぼそしゃべる声も聞こえる。
耳鳴りはあるけど、このくらいの音なら全然平気だなぁ。
最近は、家で過ごすことが多くなって以前よりリラックスしている。
耳鳴りへの慣れ。
今は、引き続き漢方薬も飲んでいるし、サプリメントも服用している。難聴にも効果があるとされるコンドロイチン。
これを飲み始めてから効果を感じているためしばらく続けるつもり。
初めて症状が出た日
今でも症状がはじめて出た日をしっかり覚えている。その日は、夕方からどっと疲れを感じていた。
電話がかかってきていたのを折り返す元気もなく、『今日は体調が悪いからまた明日以降かけ直すね』と返答した。
その日は、頭がう゛ぁーんとなってもう寝ることしかできないというような状況だった。
これまで耳鳴りの症状は、出たことがなかったからそのときはわからなかった。
その頭がう゛ぁーんとなったのが初めての耳鳴り。
ジージー、キーンとその日からわたしの耳には春夏秋冬不死身のセミが住み着いている。
そのころ過剰なストレスがあることは自覚していたのでわざわざ耳鼻科には行かなかった。
職業柄、ストレスで耳鳴りがするというのはよく聞く話だったし、
『病院に行っても治らない。』
『耳鳴りや難聴はすぐに病院に行かなければもうずっとそのままだ。』
と聞いていたから病院には行っていなかった。
この考え方は今となっては違うし、普通に耳鼻科に行った方が良いと思う。
耳鳴りは表面的な現象でなぜ耳鳴りが起こっているかの元の部分は判断できない。
そもそも不調の表れなのに放っておくのはそれこそ職業柄どうかしら・・・
いや、職業柄とかじゃなくて普通に良くないね。
これまで漢方治療も針治療も行ってある程度の効果は感じてきた。
そのような中で苦手なことは、
・おじさん、男の人の声
⇒低音が聞こえにくい。
・話し手との距離が離れている場面
何度も聞き返すのも悪いなぁという気持ちは未だにある。
学会発表や研修会の講師などもしているけど、質疑応答はマイクを使うし、特に問題はなかった。
嫌いだったのは、むしろマイクを通さずその場で質疑応答がなされるような場面。
だからポスター発表や小さなカンファレンス、面接場面の方が苦手だった。
おじさんの方が多いしね。
わたしが怖がっていたのは、
相手の声が聞き取れず、的外れなことを言ってしまい、
こいつダメだなと思われるのではないかということ。
そのことが一番起きて欲しくない、恐怖を感じている場面だった。
一番起きて欲しくないことが実際に起こった
職場である会議があった。
会議のはじめにわたしがプロジェクトの概要説明をするのだけど、
3密を避けるために
机は離されている
マイクは使わない
しかも、わたしから一番遠い机に議長のおじさん+マスクという私のもっとも苦手とする状況だった。
3密を避けたことで起こった3?4重苦
目的の部屋に入室し、それぞれの配置を確認したところ
『あぁ、結構席が離れている』
と思った瞬間
ここ最近で一番の頭がう゛ぁーんがはじまってしまった。
セミの大合唱
うわぁ。き、聞こえない。聞こえづらい。
議長から
「〜〜〜説明してください。」
と言われ、予定通り概要を説明したところ、
「〜〜〜を中心に、と言ったんですが、」
と言われ、一番起きて欲しくなかった的外れ発言をしてしまった。
「あぁ、すみません。」
「〜ページの〜番の」
と前もって配布している資料からご親切にも該当箇所を指してくれているのに
その声自体が聞き取れないし、焦っているから該当するページが見つからない。
焦っているのが誰の目にもはっきりしているし、重要な箇所が私からは出ないのでそれとなく進めてくださった。
近くの席の人や声の比較的高い男の人の声は聞こえるので一応その後のやりとりは成立した。
あまりかみ合わないながらも後半は、比較的落ち着きを取り戻し、その会議自体はくぐり抜けた。
じゃあ、いいじゃん!と思えれば良いのだけど、そうもいかない。
久々にくよくよした。くよくよという表現が本当にぴったりなほどくよくよした。
何度も出来事を思いだし、あぁ言えば良かった。こう言えば良かった。延々繰り返す悪循環パーティ。
帰宅して久々に食べた(糖質制限をしている)インスタントラーメンもすっきりおいしく感じられなかった。
『すっごく重要ではないけど、今日みたいな大切な場面で重要なところを掴めず終わるのは嫌だ。』
『もう随分時間は経ったけど、耳鼻科へ行こう。』
『補聴器もいいかも。私みたいに軽度の人には必要ないかもしれないけど、いざとなれば補聴器があるし!と思えるのは先の不安を解消できるかもしれない。』
でも、
『一生使わなければなくなったらどうしよう。』
眼鏡やコンタクトは良いのに
『補聴器はちょっと受け入れがたい。』
などなどまた頭の中での議論をしていた。まだ補聴器が必要かどうか、わたしが軽度の症状なのかどうかわからないのに(笑)
そもそも大事なことは?
わたしが耳鳴りを治すことも必要だけど、それと同時に耳鳴りによって起こる弊害への心配を無くしていくことも必要だったんじゃないか?
だってストレスが悪いんだから。
今回の件でも症状悪化の嫌悪因子がストレスであることは明らか。
机が離れているどうしよう⇒耳鳴り(大)⇒聞こえない⇒パニック
わたしの場合、普段の会話なら聞き取れるので、耳鳴り自体が日常生活への大きな障害になることはない。
むしろ耳鳴りがひどくなるような疲労を蓄積させる生活自体に問題がある。
だから、疲れをためないようにとかサプリを飲むとか耳鳴りが起こらないように配慮してきたけど、
そもそもそれ自体も耳鳴りに対する心配で余計なエネルギーを使いすぎている。
そもそも始めに
「わたし耳が聞こえづらい時があるので少し配慮していただけないでしょうか?」
と事務の人になぜ言えなかったのだろう?思いもつかなかった。
聞こえないときに、
「すみません、わたし耳が聞こえづらいので少し大きめの声で話していただけ無いでしょうか?」
と伝えられていたらあんなに焦ることになっていただろうか?
そのときは、相手の声をしっかり聞こうと集中していたけど、
そもそも自分の状態を相手に伝えるのが先だったという。
的外れなことを言ってダメだと思われたくないと思っていたけど、そもそもその考え自体が的外れだったという。
あぁ………(泣)
自分が環境に合わせていくこと、環境を作って行くこと
なにか提案して、『だめです。できません。』と言われれば自分で新たな作戦を立てればいいことなのだから
まずは言ってみよう!自分。
結局プロジェクトは会議で通ったから良かったものの大事な場面でこんなことを起こしていたら・・・。
悲しいよね。せっかく頑張っているのに。
大事な場面で自分が納得いくパフォーマンスができるためにエネルギーを使わなくては、
ということで
ちょっと遅いかも知れないけど、耳鼻科へ行こう!
なにか別の手段を探そう。
こういう非常事態を心配しなくていいような方法を見つけるために。
もし補聴器を買うことになって、それが想像より高額だったとしても数万円でこの心配がなくなるのならそれはわたしにとって補聴以上の役割をする。
そもそもストレスを無くすことが大切なのだから
耳鳴りを直すための方法を探すのと同時に、わたしにとって過ごしやすいラクな方法を探すことが重要。
なんか頑張りすぎると方向を見誤るなぁということに気づいた日でした。
次の日、起きた瞬間に、
「っていうか、その状態でよくこれまでカンファレンス、ポスター発表、面接乗り切ってきたな。すごくない?」
と思った。苦手な場面を心配だけで乗り切って(笑)
『やってみたらそんなに心配することなかったなぁ』
を繰り返してきたけど、そんなに忍耐力というか変な勇気があるのであれば、少し方向転換したらもっと良い方向へ飛べるよ、自分!と言いたい。
本当に変な勇気だよ。
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