最後のおやすみ、いってらっしゃい
我が家では、「おやすみ」「いってらっしゃい」「おはよう」「おかえり」のあいさつが、いつも聞こえる。
特に「おやすみ」と「いってらっしゃい」には重みを感じる。
これが最後の「おやすみ」や「いってらっしゃい」になるかもしれないことを、知っているから。
最後の「おやすみ」や「いってらっしゃい」を2度も経験してしまっているから。
離れて暮らしていた兄たちの時は、別れ際の「おやすみ」「またね」が最後だった。
私たち家族はいつも、これが最後になるかもしれないことを心の何処かで意識してしまっている。
一人目の兄を亡くした数年後、二人目の兄が亡くなった日。文字通り互いの手を取り合って、残された家族で助け合って生きていこうと約束した。
あの日取り合った手を、私たちは怖くて離せない。
それとも私だけが離せないのだろうか。
いつも家族のそばに居たいという気持ちが、私は人より大きい気がする。
その気持ちを肯定したい思いと、少しずつ手を離しても大丈夫なのではないかという思いの両方が、ある。
でもどちらも私のほんとうの気持ちだ。
否定も肯定もなく、ただこの瞬間にわいてくる気持ちを、事実を、見つめていたい。
それが変化していったとしても、またその瞬間を抱きしめたい。
うん、そうしよう。
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