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今度こそ|なにきん引きずりオタクがLil かんさいにハマった備忘録
noteを書くのは楽しい。もとはTwitterで知り合った友人に読んでもらうくらいのものだったのが、最近はnoteをきっかけにフォローしてくださる方もいらっしゃる。めちゃくちゃ嬉しいしありがたいし、下手なことは書けないなと背筋が伸びる思いだ。
そういえば沼落ちブログをまだ書いていないなと思い立った。スペジャニやドリライを経てLil かんさいへの気持ちが昂っているこの機会に、私のこれまでを半ば備忘録的に綴っていきたい。言わば自分語りである。
別れ
私はもともと金内柊真が好きだった。
辞めジュではあるが本当に好きだったので名前を出すことを許してほしい。
柊真は知っての通りまいジャニメンバーのひとりであった人物だ。主に関西Jr.のバラエティシーンを担う中心メンバーだったが、2015年3月、彼は自らの夢を追うため18歳で退所する。
私が最後にアイドルの彼の姿を見たのはその年の3月28日が最後であった。
突然自担が辞めて、すぐ次に行けるオタクというのは羨ましい存在だ。まだ小学校を卒業してすぐの私には無理だった。
「焼け野原」と呼ばれた2015年、私も静かに関ジュから手を引いたひとりだ。
惰性でまいジャニは見ていたしジャニストは好きだったから、そのバックで踊る関ジュを見ることはあったけど、それでも「推し不在」というハンデはでかかった。
当時の関ジュについては以前にもまとめています。⬇
そんなオタクのことを外野は「なにきん信者」と呼んだ。ひどい話だよね。まあ昔の話。
新しい関ジュが入ってきても、心のどこかで私は(この子たちは柊真のいる関ジュを知らないんだな)とひねくれていた。柊真も関ジュの歴史の一部に過ぎないとは分かっていたが、怖かったのだと思う。自分の知っている世界が、いつか否定されるんじゃないかと思って。
そんなある時、ちょこっとだけ景色が変わる。
出会い
2017年。奇しくも3月28日、私はジャニストの「なうぇすと」というコンサートに来ていた。当時の私は中学3年生になる手前というところ。たまたまその公演には関ジュが団体で見学に来ていて、MC中、彼らにマイクが向けられた。
「ぜひ紹介したい子がいる」と言う康二。そして次にマイクを渡され、モニターに映し出されたのは、初雪や朝露のように混じりけがなく、それはそれは端正で、しかしどこか儚さのようなものをはらんだ、まっさらな美少年だった。
その美少年こそが嶋﨑斗亜くんである。
当時私が14歳だったということは斗亜は当時13歳である。カワイイに決まっている年頃だ。いやしかし、初めて同じ空間で見る斗亜は何か、只者ではないような、特別な力を持っているように見えた。
そして斗亜は伝説の「とあ〜、とあ〜、誰のもの〜」を披露した。これは当時放映されていた、剛力彩芽ちゃんの出演するジョアのCMのオマージュである。
会場全体が母性に包まれるような、不思議な暖かさを感じたことを今でも覚えている。
のちに担当になるわけだから、これはほとんどが思い出補正なのだろうが、この斗亜から感じた気持ちがそれ以降の私に大きく影響を与えることは紛れもない事実だと思う。
とはいっても、すぐに斗亜を推し始めたわけではない。自担が辞めたという経験から、関ジュを推すことに対してかなり臆病になっていたからだ。
それに加えて、今では信じられないが、当時は年下を推すことに対する罪悪感みたいなものがあった。ワンチャンのワンチャンで関ジュにまた担当を作る日が来ても、それは年下ではないだろうなと思っていた。(そういえば当時はまだ「ワンチャン」って言葉もなかった気がする。)
それからも特に注目して関ジュを見るというわけでもなく、今まで通り惰性でまいジャニや少クラを見ていた。
この期間自分は何を糧に生きていたのだろうかと不安になるが、当時かなり部活に打ち込んでいたから、エネルギーがそちらに流れてしまっていたというのも理由としてはあるのかもしれない。
そんな私が思わず関ジュにまた目を向け始めたのは2019年。
その年の2月16日は「WESTV!」というコンサートに訪れていた。
当時、Lil かんさいの結成は風の噂で聞いていたが、関ジュ全体へのモチベもなく、よく知る機会を持たないまま私はWESTVに臨んだ。
Jr.コーナーが始まると、現れたのは赤い衣装を着た5人組。いつもなら大ちゃんや康二が登場していた場面なので、その時はそれだけで新鮮だった。
「どうもー! Lil かんさいです!」聴き慣れた曲のイントロに被せてセンターの少年が喋り始める。
斗亜だ!!
すぐに気づいた。あの日の彼が、透き通った朝露の少年が、すっかりあの日とは声も背格好も衣装も変えて、今度は城ホのバクステの真ん中に立っていた。そうか。斗亜はLil かんさいに入ったのか。センターなのか。……
そのあどけない「NEXT STAGE」のパフォーマンスを見ながら、私はただ夢中で赤色を振っていた。メンカラなんて知らなかったのに「斗亜は赤に決まっている」という絶対的な自信があった。今でも円盤を見るたびに思い出す。
それからは明確にLil かんさいを意識し始めた。メンバーに「とうま」という子がいることにも、私は運命を感じずにはいられなかった。
転機
2019年はJr.担にとって大きな出来事があった。8.8だ。
8.8の印象というと何だろうか。東西のジャニーズJrが集結したお祭り。スノストのデビューが発表された場所。何にせよ、印象深い出来事には違いない。
それはLil かんさいにとっても同じだった。その8.8で、Lil かんさいはJr内公式ユニットの中で唯一、単独でパフォーマンスをする時間を持たせてもらえなかった。
当時まだLil miracleは披露されていない頃だが、同じくまだオリ曲のなかった他のグループは先輩の曲のカバーという形で単独コーナーを持たせてもらえていた。
Lil かんさいとしてのコーナーがないまま、先に当時中学生だった琉巧が時間の都合上途中で離脱し、8.8は幕を閉じた。
twitterでそのことを知って、私は大きな憤りを感じた。悔しかった。そうして湧き上がる怒りを自覚すると同時に、(あれ? なんでLil かんさいにここまで感情移入してるんだ?)とふと気づく瞬間があった。
そして同じ頃、私はNAVERまとめというサイトでとあたくの不仲説を目にする。
この記事でも書いたように、私がとあたくというコンビにのめり込むようになったきっかけのひとつがこの不仲説だ。
現在では該当の記事は読めないし、そもそもこの不仲説というもの自体が根も葉もない噂レベルの話なのだが、私はこのグループが不仲説が出るほどぶつかり合えているのかと受け取り、感銘を受けた。
Lil かんさいといえば小さい子達の集まり、というぼんやりとしたイメージが崩れたのがこのときだ。Lil かんさいだってCDデビューを狙っている。そんな当たり前のことにはっと気づかされたのがこの夏だった。
なにきん以来、Jrに深入りしすぎることを避けていたが、Lil かんさいからは何か特別なものを感じた。この子達は絶対に大きくなる。それならば今のうちから見ておかないでどうする。気づけば私はオンラインのジャニーズショップで斗亜ちゃんの写真を購入していた。
そして8月下旬にまいジャニで見たスパロケ、10月にまいジャニで見たLil miracleで完全に沼に落ち、Twitterのアカウントを作り、Lil かんさいを追いかけるようになった。
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初めて描いた5人のイラストを見返すと、ご丁寧に日付まで振ってあった。2019年9月23日。このときすでに私はLil かんさいにグループとしてのめり込んでいたらしい。
(本名が分かるサインが入っていたので消してます)
嬉しかったのは、数年ぶりに「自担」と呼べる存在ができたこと。柊真の退所以来、心にぽっかり空いていた大きな穴に、斗亜が入ってきてくれた。
今ではすっかり身も心も斗亜の色に染まっている。関ジュを推すのは本当に怖かったし、今でも怖い。でも斗亜なら、Lil かんさいなら、という自信がある。
自惚れすぎだという自覚はあるのだが、あれだけ苦しんで、もう関ジュは見ない! と一度は離れてしまった人間をもう一度関ジュに引き込んだLil かんさいの功績はでかいし、それだけの力を持った存在だと思う。
それから、このnoteの序盤で「新しい関ジュが入ってきても、心のどこかで私は(この子たちは柊真のいる関ジュを知らないんだな)とひねくれていた」と書いたのだが、
この動画で、少なくとも拓哉はあの頃の関ジュを知っているということが判明した。
きっと私がLil かんさいにハマったのはこの拓哉の存在も大きいのだと思う。
私にとっての関ジュはこれで最後! という気持ちが大きい。
関ジュには他にも推している子はいるが、グループとしてここまでのめり込むのはたぶんLil かんさいが最後。勝手にラストチャンスだと思って応援している。
だから必ず幸せになってもらわなくちゃ困るのだ。
……というようなことを書き散らして、沼落ちブログとさせていただきたい。
斗亜と出会えたことで、私の中の関ジュは悔しいだけの思い出で終わらずに済みそうだ。
Lil かんさいをきっかけにTwitterで友達ができたし、舞台を観るのが好きになった。10年前とやっていることは変わらないのに不思議と世界が広がった。感謝しかない。
最後に、Myojoの1万字インタビューで向井康二くんが私たちにくれた言葉を引用してこのnoteを締めくくりたいと思う。
「関西Jr.のファンの人へ。Jr.のファンは本当に大変だし不安になることも多いと思う。でも、信じて最後まで応援してあげてほしい。愛してあげてほしい。」
私にとってLil かんさいは希望でありチャンスだ。今度は悔いを残さないように、みんなで幸せになれるように、いつまでも5人の背中を信じ続けたい。
余談
ちなみにこのnoteのサムネイルとして使用した画像のキャンドルは、大阪の某イベントで斗亜が2019年に書いていたのを、筆者が偶然にも2022年に友人と発見し撮影したものである。
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紫色が退色してしまっているため欠けている文字はあるが、文字ごとに色を変え、赤・青・紫・黄・緑の5色で夢を綴っていた斗亜。
表には当時彼がブログに載せていた通りの「Lil かんさい ずっと5人でいれるように!!✌️ とあ」という文字。ピースの指が6本になっているのはご愛嬌だ。
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そして、当時明かされていなかった裏側には「デビューできますよーに!」の文字があった。
彼らはやはり、当時から確かな野心を抱いていた。
2019年当時はまだ斗亜自身の中だけにしまわれていたデビューという夢。それは彼の心のどこかに、まだその夢を語る時ではないという気持ちがあったからなのだろうか。
3年経った今も、彼らはもちろんその夢を持ち続けているはずだ。オタクという非力な立場ながら、必ずやその夢を現実のものにしてみせたい。