実践した者にしかわからない境地のような気がして
「エッセイストのように生きる」を読了しました。
読んだ。
読んだが。
大きく賛成したところもあれば、そうもいかなかった部分があった。
後者、例えば、
・言っていることはわかるけど、少しきれいごとっぽいな…
・そんなことまで意識に盛り込んでいたら、頭の中が大混乱してしまうよ
・こことここ、なんとなく、言ってることが矛盾している気がする
などなどの感情が沸き起こる部分もあった。
しかし実際、まったく理解しがたい!共感できない!ということは書いてないように思った。
きっと自分もどこかで同じように思っているのに、自分が未熟であるが故に完全に受け取れきれていないのだ。そんな気がした。
受け取りきれていないのがすっごくもったいないと感じた。
もっとちゃんとその言葉を受け取ってみたいと思った。
こちらの受け取る態勢ができていれば、心にびゅんっと飛び込んでくる威力を持つ言葉たちなのだろうな、と思った。
その受け取る態勢をつくるひとつとして、実践してみたくなった。
著者が歩む、エッセイストのような生き方を。
実際に経験した上で読むと、受け取り方がまったく違う風になるんだろうな、という気がした。
今もやもやを抱いているあの部分も、「すっごくわかる」と頷いたあの部分でさえも、受け取り方ががらっと変わりそうだなあ。
松浦さんや内田さん流に言うなら、今の自分の状態は「scan」に近いのではないかと思った。「read」に至りたい。もっと深くわかりたい。境地に達したい。
そういうわけで、noteで実践してみようじゃないかという考えに至った。
「秘密の告白」を実践してみようじゃないか。
3日坊主になりませんように。
たぶんこの文章も「エッセイストのように生きる」を読んだ人じゃないと、何を言っているのかわからないと思う。
きっとこれも、この本を読むという「実践」を踏んだ人にしかわからない境地(?)
いや、読んでいても、私のこの拙い文章を読み取るのは難しそうだけど…(汗)