「風が強くてもいいじゃん。風よけつくれば。」
7さいの棟梁は、倒れた柱を前にそう言った。
その日は予定が急遽飛んで、お昼まで近場を散策し、昼過ぎには宿に戻った。
部屋でまったりしていると、末っ子(7さい)が母屋から離れの私たちの部屋に飛び込んできた。なぜ早く帰ってきたのかを確認すると、「あのさぁ、いま暇?あそぼー。」と。
スピード、ウノ、神経衰弱とお互い忖度なしに連戦をこなし、おやつを食べると、夕方になっていた。夕日を追いかけるようにして、私たちは宿の目の前のビーチへお散歩しに出かけた。
そこで、「家つくろうよ!」と言い出す棟梁。
嗚呼、秘密基地づくりは正統派ロマンよな!と深く頷き、よっしゃ!やろうゼ!とおとなげなく誘いに乗る。
棟梁はまず、浜辺に漂着した大きめの枝や材木を搔き集めるよう指示した。
三十路の私とほぼ還暦の叔母、砂に足を取られながらも材料を探して浜辺を右往左往。
めぼしい枝を見つけて棟梁に報告。頼りない枝はお眼鏡にかなわず放り投げられる。棟梁の建築基準をクリアした建材のみが砂浜に突き刺される。
柔らかい砂では柱固定の基礎として依然頼りないため、棟梁はその辺りに落ちてた竹筒を手に、波打ち際まで水を汲みに走った。
急いで持ち帰った竹筒を足元で逆さまにする棟梁。竹筒に穴が開いていたのだろう、数滴しか落ちてこなかった。
が、棟梁の情熱はとどまるところを知らない。
必死に柱の根元に土をかけ手で押し固める。
台風通過後とはいえ、当時の浜辺には強風が吹きつけていた。そうこうしているうちに、やっとこさ立てた柱が苦労虚しく何度も倒れる。柱が倒れる度、私の心は折られた。
が、棟梁の熱意は冷めることを知らない。
穴をより深く掘り、柱をより深く埋めることを思いつく。
そこに叔母の知恵が加わり、柱の両側に重めの木材を配置し、支えることを思いつく。
棟梁も「それはいい考えだ!」と褒めてくれ、俄然勢いづく私たち。
棟梁は齢7才にして、人を褒めて育てるのが実に上手かった。
半分ほど柱を立てたあと、日はどんどん翳り、いよいよ潮が満ちてきた。
もうそろそろ帰ったほうがいいのでは…?私トイレ行きたい…、と思い、
棟梁に「つくれたね!」と言うと、「まだだよ!3人隠れられないと!前側の壁完成しないと!」と、帰宅は却下された。
「日が沈む前に早くつくっちゃおうよ!急いで急いで!」と、励ましてくれる棟梁。
全員で一心不乱に柱を立てる。なんのためにとか関係ない。最初は足で砂を踏み固めていた私も、気づけば爪に砂が入り込むのを厭わず両手で懸命に押し固めた。
前側の壁が出来た、3人隠れられるだけの幅の。
すると、棟梁は座れるところも作りたいと言う。もうこれは当初の計画でいけば出来たんじゃん?と内心思いつつ、それを言うのは野暮な気がした。
そのとき、信じられない光景が目に入ってきた。
浜辺の端っこへ走っていった棟梁が、自分の体と同じくらい大きな発泡スチロールを転がして持ってこようとしていたのだ。
私も棟梁のところへ走っていき、発泡スチロールの片側をひっぱる。反対側を棟梁がつかみ、二人でいっしょに走って運ぶ。
ソファのように大きな発泡スチロールを壁の後ろに配置した。
二人で座ってみた。
発泡スチロールは日光の暖かさを吸収し、じんわりと温かいままだった。
ほんもののソファみたい、いや、それ以上の心地よさであった。
帰り道、棟梁は言った。
「あれはやりきった証だね。壊れてもいいじゃん。また作れば。写真撮っておけば。」
情熱大陸よりも情熱大陸だった。