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「ピュー覚」

長い昏睡から目覚めると、人間の感覚は五感ではなく六感になっていた。

第六感であるピュー覚は、視覚でも嗅覚でも聴覚でも味覚でも触覚でもない、全く新しい、しかしずっと昔から人間に備わっていた感覚なんだそうだ。
あまりにも当たり前に備わっていたそれはずっと見逃されてきたにもかかわらず、あっという間に世間のあらゆる仕組みに浸透した。
その仕組みは視覚や聴覚に障害のある人にも使いやすく、障害によるバリアを限りなく低くもした。
ピュー覚の発見により、人類はまた大きく発展したのだという。

そんな説明をした母は、鞄から小さなカードを取り出すと自慢げに振って見せた。
「そのカードは何?」
尋ねると母は怪訝な顔をした。
「あんた、これがシュげないの?」
母が何を言っているかわからず聞き返したが、何度繰り返されても意味がわからなかった。
しばらくして主治医が回診に来ると、母はあの小さなカードを振りながら言った。
「先生、この子、ピュードをシュげないみたいなんですが」
「なるほど。倒れられる前には無かった概念ですからね。ピュー覚検査をしてみましょう」
主治医の質問にいくつか答えるとーーーほとんどは母の言うことのように意味がわからなかったがーーー、もっと詳しい検査が必要だと言われた。

血液検査やMRI、胃カメラ、CT、レントゲン、身長測定、反復横跳び、逆立ち、ピラティス、重量上げ。
何が何やらわからぬままに、やらされるがまま検査を受けた結果、下された診断は「重度のピュー覚障害」だった。
ピュー覚に必要な感覚器官が機能しておらず、眼鏡のような矯正器具も意味をなさない。視覚で言うと全盲のような状態だと主治医は言った。
母はそれを聞いてワッと泣き出したが、そう言われてもピンとこない。昏睡に陥るまで34年生きてきて、困ったことなど何もなかったのだ。

しかし、リハビリを終えて退院してみると、生活は全くままならないものになっていた。
心身は完全に昏睡前の状態に回復したが、いまや世の中のあらゆるものがピュー覚に基づいてリデザインされており、あらゆるものがピュー覚障害者にとっては利用しにくいのだ。
運転免許証は昏睡中に失効していたので再取得をしようとしたが、ピュー覚障害者は取得できないという。
電車に乗ろうとすると突然「ちゃんとシュぎなさいよ!」と怒鳴られ、列から押し出される。
まともに乗るには鞄につけたピュー覚障害マークに気づいた人が手を引いて「シュいで」くれるか、事前に駅に連絡し、乗車駅と降車駅でそれぞれ「シュいで」くれるのを待って乗り降りするしかない。
仕事もPC操作は専らピュード(母が振っていたあの小さなカードだ)に頼っており、マウス操作だと仕事の効率が格段に下がる。もともと仕事は早い方だったはずだが、ピュー覚のある社員とは比べものにならない。「あの人に頼むと遅いから」と仕事が回ってこなくなった。

買い物も、家電の操作も、役所での手続きも、何もかもがピュー覚無しではままならない。
朝起きてから夜眠るまで、常に自分がピュー覚障害者であるということを突きつけられる。
何をするにも、ピュー覚が無いことを補うためには金がかかる。
ピュー覚障害者向けの支援制度もあるにはあるが、全く不十分に思えた。

数年が経ち、やっとピュー覚障害との折り合いもついてきた頃、新聞にセンセーショナルな文字が踊った。
「第七感「ニョー覚」発見 ピュー覚以上の優位性」
それから世の中がニョー覚に特化するまでは早かった。
電車に乗るにもニョー覚でチれば良いのでピュー覚でシュげない不便さはほとんど感じなくなった。
PCや家電の操作、キャッシュレス決済のほとんどでピュードを使うのは時代遅れになった。
なるほど、ニョードを使えば仕事はこんなに早いのか。
ピュー覚障害の不便さは、ニョー覚により大きく解消された。

ニョー覚障害のマークをつけた年配の女性が、横断歩道のない道路を横断できずに困っていた。
「お手伝いしますよ」
車に向かってチり、女性の手を引いて通りを渡ると、女性は深く頭を下げて謝意を述べた。
そのとき、ポケットのニョードで流しっぱなしになっていたニュースがチれてきた。

「第八の感覚 ギェッ覚発見される」
「人類の進歩がまた進むか」
「障害者支援団体は障害への対応を懸念」
・・・

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マルコメ乙女
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